26.軍議の意味

「……ロウさん」


 カグラが助けを求めるようにロウの名を呟くが、ここにロウはいない。四人でなんとか乗り切るしかないのだが、そもそもセリスは頭を使うことは苦手だ。


 カグラに関しても意見を言えるような強さはない。小さな勇気を振り絞って発言しても、すぐに相手に呑まれてしまう。そしてそれはシンカも同様だった。

 いくら力のある魔憑まつきとはいえ、シンカもカグラも中身は普通の女の子だ。このような場に慣れているわけでもない。


 リアンも出せるカードはすでにきった。というよりも、出せるカード自体がそもそも一つしかなかっのだ。

 しかし、自分を物差しに相手の強さを伝えることができたとしても、それが九月十三日に現れる保証はできず、その規模もわからなければ正確な被害を想定させることもできない。

 四人の旗色は極めて悪いといえた。

 

「だから、お前はうちの部隊の恥を晒すなって言っただろう。女の子相手にお前って奴は……少し黙ってろ」

「ですが、ここは軍議の場です。男や女など――」

「嬢ちゃんらは一般人だ。軍人じゃねぇんだよ」

「そ、それは……」

「わかったら大人しくしてろ。すまんな、みんな」


 フィデリタスの言葉に周囲は軽く苦笑した。いつもながら苦労しますね、といったフィデリタスの気苦労を察するような表情を浮かべている。


「うちのリアンが信頼できる男であることは、私も保証します。そのリアンがこの軍議に持ち込んだ議題。少女たちの話も私個人としては信じるに値すると思っていますが……どうしたものでしょうな……」


 リアンの上官である境界警備部隊所属第一小隊の男がそう口にするも、誰からの意見も出なかった。皆が皆、難しい顔で何かを考え込んでいる。


 様々な思いが交錯する中――突然、激しい音とともに壁が破られ、何かが部屋に侵入した。

 誰もが驚愕に目を見開き、その何者かに視線を送るも、その存在を認知できたのはここにいる内のたったの四人だ。すなわち――


降魔こうま……」

「くそっ、なんでこんなとこにいんだよ!」

「わからないわよ!」


 カグラの呟きにセリスが声を荒げるも、シンカも戸惑いを隠せないでいた。

 降魔を前に、周囲の騒めきが大きく広がっていく。


 破られたのは領海監視部隊と都市保安部隊の座っている間付近、後方の壁だ。都市保安部隊の三人が即座に距離を取り、領海監視部隊の三人は粉塵を身に被りながらも少し下がりつつ警戒態勢を取った。

 異形のそれを前に逃げる者が一人もいないというのは、さすがといったところだろう。


 そして中央守護部隊の三人。一番議長の席に近いフィデリタスは議長を守るべく、すかさず彼の傍へと行動に移す中、トレイトはただ固まって椅子の上から動けないでいた。

 第二小隊長であるカルフ・エスペレンサが、軍人ではないシンカたちへ逃げるように告げるため、息を吸い込んだ瞬間――


「みんな、どいて!」


 大長机テーブルを踏み台に、八メートルはあろう向こう側までたった一度の跳躍で距離を詰める。その人間離れしたシンカの動きに、魔憑の強さを知る者以外の全員に再び驚愕の色が濃く浮かびあがった。


 シンカは前に飛び出すとすかさず細剣を抜き放つ。

 だが一筋の銀閃が煌めいた瞬間、切っ先が降魔にあたる直前でその動きをピタリと止めた。


「お姉ちゃん!?」

「……違う。これは……降魔じゃない?」

「正解だ」


 途端、一際甲高い音を立てながら砕け散る降魔。現れた降魔だと錯覚したそれは、塗装を施した氷の像だった。そして、砕けた氷像の降魔の後ろから現れた男。

 いきなり現れた怪しい人物に周囲が警戒を強める中、二人の少女の声が室内に大きく響き渡った。


「ロウさん!」

「貴方ね! 今までどこにいたの!」

「すまない、ちょっとだけ道が入り組んでてな。俺を呼ぶ声が聞こえたから無事に来られた。で……思った通り状況は芳しくないようだな」


 そう言いつつ、ロウはゆっくりと周囲を見渡した。

 驚愕に目を見開いたままの者、鋭い視線を送る者、何者かと怪しむ者、様々な表情を浮かべる中、ロウの視線が壁に掛かった時計で停止する。

 

「ロ、ロウさん。あの……わ、私たち……」

「大丈夫だ」


 カグラが心底不安そうな視線をロウに送るが、ロウは一言そう言って優しく微笑んだ。

 緊迫した空気の中、リアンの口から小さな溜息が零れる。

 

「はぁ……こいつは報告にも上げた俺の仲間です。怪しい者ではありません」

「……皆さん、席に戻って下さい」


 静かに言ったリアンの声に、議長――ゲヴィセン・パトリオスの冷静な声が響いた。理解できないであろうこの状況の中、努めて冷静に対応する彼の言葉に、周囲の男たちはロウを注視したまま自分たちの席へと戻っていく。

 それぞれが席に着いたのを確認すると、ゲヴィセンがロウへと問いかけた。


「貴方が報告にあった氷の魔憑ですか?」

「そうです。それで……どう思いましたか?」

「どう、とは?」

「そのままの意味です」

「き、貴様! 無礼だぞ! そもそも、この神聖な議事堂に大穴を開けるなど、どういうつもりだ!」


 やっと我に返ったトレイトが上げた怒声に、ロウはすっと目を細めた。

 そして、その口から発せられたのは、シンカたちが驚くほどに冷めた声音だった。


「おもしろいことを言うんだな」

「なに?」

「お前は国とこの建物……どっちが大切なんだ?」

「……は? 貴様……何を言って……」


 理解出来ないといった表情を浮かべるトレイト。

 ロウは懐から収納石を取り出すと、机の中心へとそれを無造作に投げ捨てた。収納石が机に落ちた瞬間、大量の銀貨が音をたてながらその場に散らばる。中には金色に光る硬貨も複数混じっていた。


「俺の全財産だ。それで修理をすればいいだろ? 信じられないものを信じさせるには、実際に見せるのが一番手っ取り早い。それで国を救えるのなら安いものだ」


 その言葉に誰もが息を呑む中、ロウは言葉を重ねていく。


「さっきお前はこんな大穴を空けてどういうつもりかと、普通・・にそう聞いたな? だが、よく考えてみてくれ。ここにいる誰が、どうやって、この大穴を開けることができる? 大砲を使うか? 投擲で岩を投げつけるか? もっと簡単な方法を教えてやる」


 言って、ロウは静かにその足を進めた。

 そして大穴の空いた壁の横、まだ綺麗な壁の前に立ち、ロウがそっと拳を壁へとあてがうと、


「それはな……」


 強めに扉を叩打ノックするかのような仕草でロウの拳が壁にあたった瞬間、再び砕ける壁。


「殴るんだよ」


 その光景に、言葉を発する者は一人もいなかった。発さなかったわけではなく、発せなかった、というのが正しい表現だろう。ただ唖然とその光景を見つめている。


「で、だ。この拳が壁以外……たとえば、そうだな。お前の額を殴れば……お前はどうなると思う?」


 ロウが静かにその拳をトレイトの額へ突き立てると、トレイトは奥歯を鳴らしながら震え始めた。小さな悲鳴のような声を漏らし、椅子から滑り落ちる。

 感じたことのないような恐怖に顔を引きつらせるトレイトを前に、それを見下ろすロウの瞳は底冷えするほどに冷徹なものだった。


 するとその二つ隣に座る男、フィデリタスがロウへと言葉を発した。


「兄ちゃん、それくらいで勘弁してやってくれ。嬢ちゃんたちを馬鹿にしたのは俺が代わりに謝るからよ」

「俺は真実を伝えようとしているだけだ」

「はははっ、そうか、そうだったな。でも、謝らせてくれ」


 政治的役割を主に担っている前に座る五人を除けば、軍内部で一番権力を有しているのはフィデリタスだ。


 交わる二人の視線。そしてこのとき、フィデリタスは確かな違和感を抱いた。


 四十に差しかかっているであろう彼は、今までに多くの人間を見てきた。平和な世界とはいえ、悪人がまったくいないわけではない。

 たくさんの者たちの顔を見てきた中で、初対面でこのような瞳を向けられたのは生まれて初めてのことだったのだ。


 冷めた瞳の奥に、確かに見えるのは悲痛の色。

 それはまるで、葬儀などで遺族が死者へ向けるような……


 フィデリタスが口にした言葉にロウは拳を収めると、あらためて周囲をゆっくりと見渡した。

 この場の全員の瞳を丁寧に、その内を見透かすように、ゆっくりと視線を合わせていく。


「今この国がどれほどの脅威に見舞われているか……これでもわからない人がこの中にまだいるなら教えて欲しい。次はこの議事堂を破壊してみせるから、ここにいる全員でそれを阻止してくれ。心配しなくても誰の命も奪ったりしない。俺だってこれ以上、何かを壊すなんてことはしたくないんだ」

 

 言葉を切りながら一度目を閉じ、再び開くとロウはさらに言葉を重ねていく。


「だが、国と人の命が係わっている以上、信じてもらうためには仕方ないとも思ってる。なにせすでに五分以上経過しても、誰もここに来やしない。ここの警備はどうなっている? さぞ温い平和の中に浸っていたんだな」


 言ったロウの目は本気だと、誰もがそう思った。

 そしてそれを言ったロウは、本当にそれをするだけの力がある。まるで生物としての本能が警告を促す感覚に、男たちは背筋が寒くなるのを感じていた。

 敢えて挑発するように振舞うロウの言葉に悔しさを感じながらも、誰も言い返すことができないでいる。


 シンカとカグラはこのときのロウの言葉も、行動も、その表情ですら、すべてが信じられないでいた。自分たちの知ってるロウとはまるで違う。

 その別人とも思えるロウの姿に戸惑いを隠せないでいる。


 しかし、そっと視線を送ったリアンとセリスに動揺はなかった。

 このような展開になった以上、ロウがこういった行動にでることを半ば予想していたといった表情に、何か通じ合っているような関係に、少女たちは胸が少し痛むのを感じていた。

 共に過ごした日々の長さを考えれば、自分たちよりもリアンたちの方がよりロウを知っているのは当然だとういうのに。


 そんな中、先程までとは違い、一際真面目な声で問いかけたのはフィデリタスだった。


「兄ちゃん……降魔ってのは、兄ちゃんが相手どってどの程度なんだ?」

「降魔には階級がある。上の階級になると、群れを抑えきるのは難しい」

「そうか……兄ちゃんの力でもそうなのか」

「皆さん、聞いて欲しい」


 言ったロウは伝わることを祈りつつ、できる限りの真剣な眼差しで、力を込めた声で、被害を最小限に抑えたたいという想いの限りを乗せて、説得を試みた。


「俺は魔憑だが人間だ。人間には理性というのがある。だが、降魔にはそれがない。ただ魔力を喰らいたいという欲望だけだ。人間を遥かに凌ぐ早さ、人間を遥かに凌ぐ力を持った人の命を喰らう群れだ。その規模は正直俺にもわからないが、その群れは確実にこのミソロギアに攻め入って来る」


 そして一度言葉を切り、ロウは一際熱を乗せた声を響かせる。


「信じる信じないの軍議に意味はない。信じた上での話し合いをしなければ、この国に待つのは滅びという運命……それだけだ」


 誰もが大人しくロウの言葉に耳を傾けていた。

 ここに集まった者たちは皆、この国の秩序と平和を守るために身を粉にしてきた者たちばかりだ。当然、国を想う気持ちはこの場の誰もが、誰にも負けないと自負しているだろう。

 国のために、国民のために……それならば――すでに答えは出ていた。


「議長、決めてくれ。俺たちが手を取り合えるのか、否か」


 ロウの言葉に一度思案するように瞑目し、開いたゲヴィセンの瞳はロウ、そしてその場のすべての者たちを見渡していく。

 その双眸と開いた口からでた音には、この国を代表する男の覚悟が籠められていた。


「……決をとります。降魔の存在、いや、この者たちの言葉のすべてを信じ、来る九月十三日の日への対策を講じることに賛成の者は挙手を」

 

 議長の言葉と共に迷いなく上がった手の数は、この場にいる人数と同数だった。


 このとき、不安で押しつぶされるほどの思いを胸の中に秘めていたに違いない。

 まだ見ぬ未知の魔物を相手にする。その不安は計り知れないものがあるだろう。


 それでもそれを表に出さず、毅然とした態度で伸びる真っすぐの手は、この場にいる者たちの心が一つになったことを示している。


 シンカとカグラの胸は大きく高鳴っていた。

 目の奥が、胸が、体が、熱くなるのを感じながらロウへと視線を送る。


 ロウはいつものロウらしい微笑みを浮かべ、その光景を見つめていた。

 

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