21.少女たちの目的

「ディザイア神話だな」


 ロウがぽつりと呟くと、シンカは黙って頷き返した。


「待て、俺たちの知ってるディザイア神話と少し違うぞ」

「ディザイア神話は元々一つの話が七つの国に分けられて伝えられたものだ。他の国の話は知らないが、今のはケラスメリザ王国の王都クレイオに伝わるものだと思う」

「私たちの今の状況から、私の知る未来にかけて……まるでこの神話なのよ」

「滅びが始まる……か」


 リアンはエクスィの言っていた言葉を思い返しながら、そっと静かに声を零した。


 シンカの言う通りこれまでの、そしてこれから起こる出来事が神話と同じであるとするなら、ディザイア神話は予言書のようなものなのだろうか。

 だとすれば、英雄という言葉はこの世界の光そのものだ。

 カグラの持つ導きの札カードというもののしるべを辿っていくことが、世界を救うことに繋がるということなのだろう。

 

 そう推測する中、セリスが抱いた疑問を投げかける。


「で、でもよ。どうやって過去に来たんだ? たった二人きりでよ。それも魔憑の力だってんなら、もっと仲間を連れて来たらよかったんじゃねぇか?」


 セリスのもっともな発言に、シンカは哀感を帯びた表情を浮かべた。

 確かな理由があれば、そしてそれが事実であれば平然と答えられる問いかけだ。

 だが、シンカはそれに対する明確な答えを持ち合わせてはいなかった。


「それは……正直わからないの」


 瞼の裏に映るのは、木々に囲まれた古い大きな屋敷。

 庭に広がる様々な種類の花と、人を怖がることのない愛らしい動物たち。

 曖昧にぼやけた景色の中、幸せとも思える日常がそこにはあった。

 初恋とも思える大切な人の輪郭は、今はもう遠い遠い記憶の彼方。

 覚えているのは、遠ざかってい一人の背中。


 どうやってこの時代に来たのか……それは彼女にもわからなかった。ただ――


「私が送られたのは今からだいたい五年前のはずなんだけど、そのときの記憶は私もカグラも曖昧なのよ。元の時代のこともちゃんと覚えてるわけじゃないわ。たぶんまだ子供だったのと、時間遡行したときの副作用みたいなものだと思うんだけど……ただね、この魔石」


 腰の革製小袋ポーチから取り出したのは、一つの魔石だった。

 魔石としての力はなくその色も失われているが、高度な技術で加工されているのか、まるで数種類の石が溶け合うような表面に残る模様からはどこか洗練された美しさが感じられる。


「今はもう使えないんだけど、この魔石に触れると走馬灯のように次々に色んな光景が頭の中に入ってきたの。その中でミソロギアが滅びる光景も断片的にだけど見えた。たぶん、追想石だと思う。簡単に言えば起こった過去を振り返ることができる魔石ね。これをくれた人は私のお母さんで、きっとこれはお母さんの記憶よ。それによると私たちを過去に送ったのはお母さんだと思う」


 もうただの石となった魔石を撫でながら、もう二度と会うことができないかもしれない遠い記憶の人たちを思い出し、寂寥せきりょう感の滲む瞳を細めた。


「お、お母さんの言葉の中で一つだけ、はっきりと覚えてる言葉があります。こ、この世界を救った月の英雄と、共に戦った人たちを探しなさい。そう、お母さんは言ってました。だ、だから私たちは今までずっと、必死に探し続けてきたんです」


 補足するようにカグラが言った言葉を聞き、少女たちのこれまでの境遇に憐憫の情を抱いたのか、ロウは深く考えこむように顔を伏せた。

 

「一つ質問だ」 

「な、なんでしょうか?」


 リアンの問いかけに、カグラが表情を引き締めながら彼を見つめた。

 それはシンカも同様で、真面目な視線をリアンへと向けている。


「姉の話だと、五年前に飛ばされたということだが……そうするとこの時代に飛ばされた時のお前たちはまだ子供だったはずだ」

「そうね、当時の私はまだ十一で、カグラは九つだった。リアンさんの言いたいことはわかるわ。当時まだ子供だった私たちが、どうして旅なんてできたのか、よね?」

「あぁ」


 この国に限らず他の六国に関しても、成人年齢は十五だ。職に就くし酒も飲める。

 幼い頃から遠出する仕事を手伝うことはさして珍しくはないし、成人に近い歳になると仕事によっては一人で任されることもある。

 しかし、頼れる人もいないまま、長期の旅を続けるとなれば話は別だ。

 そんな疑問に対してシンカは……

 

「五年のうちのほとんどはそのっ、あれよ……こ、困らない程度のお金は持たせてもらってたみたいだし……」

 

 恥ずかしそうに視線を逸らし、細い指先でぽりぽりと頬を掻きながら、耳を澄ませていなければ聞き取れないほどの声で言うと、


「コホンッ、あ、あとはあれよ。力を使いこなせてたわけじゃないけど、一応その頃から魔憑まつきだし。何かあっても逃げるくらいできたし」


 咳ばらいを挟み、瞳を閉じて両腕を組みながら自身で納得するように、うんうんと頷きながら当時のことを説明したかと思えば、


「で、でも、いくらお金があったからって、無駄遣いはしてないわよ?」

 

 何故か聞いてもいない言い訳を最後に付け加えた。

 

 だが、それは実に単純な答えでありつつも、納得できるものだったのは間違いない。

 魔憑というのはその能力を差し引いても、身体能力自体が常人のそれを遥かに上回るのだ。仮に鍛え上げた無数の大人に襲われたとしても、一撃を加えて逃げるくらいは造作もないことだろう。


 加えて旅において一番重要なのは路銀だ。確かに誰が二人をこの時代に送ったにせよ、頼れる人のいない時代へ子供を送るのに、金銭の一つも持たせないはずがないだろう。

 未来で通貨が変わっていれば話は別だが。

 

 と、その点についての疑問が解消されてたにせよ、先に問うたセリスの疑問に対する答えはとても曖昧なものだ。嘘を言っているようには見えないが、それを鵜呑みにするのはあまりにも情報の中に不確定要素が多すぎる。


「そ、それに、あのっ……わ、私の持っているこのカード」


 言って、カグラは腰の革製小袋ポーチから札束カードを取り出して目の前に置いた。


「こ、これはお母さんから託されたもので、私たちを導く力があります。か、簡単に言えば占いのようなものなんですけど、未来に関わることを教えてくれるんです。これを頼りに私たちは、今までずっとお母さんの言葉を胸に旅を続けてきました」


 時間を遡った影響で記憶が曖昧になり、魔石の力で見た光景がこれから起こりうる出来事で、カードの導きを頼りにたった二人で旅を続けてきた。

 少女たちの言葉を簡単に纏めるとこうなるが、それが真実であるならどうしてすぐに戦える他の精鋭たちを送らなかったのか。


 母の子を想う心からすれば、二人を過去へ逃がしたともとることができる。これから待ち受ける困難がどうであれ、そのまま滅びの道を辿る運命の中にいれば、子供だった二人は確実に死んでいただろう。

 母親が共に過去へと来なかったのはその能力に人数の制限があるのか、それとも自身が能力の対象外であるか、といったところか。


 どちらにせよ、少女たち自身がよくわからないことをいくら考えても、それは推測の域を出ず、確定した情報を得ることはできない。

 今考えることは、それを信じた上で行動するか否かだ。


「重要な部分があまりに漠然だな……本当に信用していいものか……」

「わ、私の記憶も曖昧だし推測にすぎない事もあるから、悔しいけどそれはなんとも言えない……で、でもっ! これが本当で、このまま運命の日を迎えたら大変なことになるわ!」


 先程の恥ずかし気だった表情から一転し、必死の形相で訴えるシンカのフォローを入れたのはセリスだった。


「確かにそうだぜ、リアン。実際、降魔もルインって奴らも現れたわけだしよ」

「…………そう、だな」


 確かに降魔もルインも現れたのは夢でもなんでもない。紛れもなく、この現実で起きたことだ。そこにエクスィの警告も考慮すれば、シンカの言っていることに真実味はあるだろう。


 リアンはいまだ何かを考えこむように難しい顔をしているが、セリスの言葉に一応は納得をしたようだ。

 僅かに詰まりながらも頷いたリアンの姿に、シンカはほっと胸を撫で下ろすように安堵の息を吐いた。

 そして一先ず重要な話の一端を終えると、シンカはもう一つの重要な話へと移行した。


「そしてこれから言うことが、私たちが貴方たちを訪ねた本来の目的なの」


 そう前置きし、シンカは言葉を重ねていく。


「このミソロギアに来た時、新たな導きがあったのよ。それには、二人の名前が浮かび上がったわ。リアンさん、セリスさん……貴方たち二人の名前が」

「や、やっと見つけたんです。運命を変えるための手掛かりを」


 深閑とした空気がこの庭園を包み込む。

 リアンもセリスもさすがにその戸惑いを隠し切れないようだ。いきなりそのようなことを言われても、上手く呑み込むのは難しいだろう。中でもセリスは……


「ハ? ナニイッテンデスカ?」


 ポカンとした表情で、言葉もカタコトになる始末だった。

 しかしそんなセリスを見ても、シンカとカグラは力の籠った真剣な眼差しを向けていた。その瞳は揺れることなく、虚言でも空言でもないのだと訴えている。


 そんな二人の表情に、セリスが激しく首を左右に振りながら我に返った。


「でも、俺たちは他の国に伝手つてなんてないぜ? ミソロギアの部隊って言えば、話くらいは聞いてくれる国もあるだろうけどよ」

「そうだな。他国との橋渡しなら手伝うことはできるだろう」


 そう協力を申し出た二人に返って来た言葉は、予想とはまったく違っていた。


「いいえ……」


 二人の言葉を否定し、シンカは眉間にしわを寄せながら両眼を伏せた。強く下唇を噛み締め、細い体が少し震えているようにも見える。


 ――言いたくない、それでも言わなければならない。

 その姿からは、そんな葛藤が色濃く浮かんでいた。


 そして歯の隙間から振り絞るような掠れた声で、小さく、それでいて力強く、何かを堪えるように短い言葉を口にした。


「――戦うの」


 …………

 ……


「え、はっ? ちょ! ちょっと待て! あんな化物染みた強さの奴と戦うのか!?」


 少しの間の後、セリスは慌てて反論の声を上げる。降魔一体に対して逃げるしかできなかった上に、魔憑を相手にしても何一つできなかったのだから、セリスの意見は確かに最もだ。

 それに対し、シンカの発した言葉は一言。


「世界を救うために」


 だが、その言葉に対して次に反論したのはリアンだ。


「確かにセリスの言う通りだ。俺は降魔と戦ったが、一体でも相手にするのがやっとだった。それにエクスィという魔憑。奴はあの力でまだ制限してる状態だったんだぞ。魔憑でもない俺たちの出る幕じゃないだろう。悔しいが、今の俺たちではどうにもならん」


 確かに今のリアンたちにとってはそうかもしれないが、何もシンカとて、常人である今の彼らに対して大きな期待を抱いているわけではない。

 その先にある可能性にこそ、期待を寄せているのだ。


「貴方たちはまだ、自分の力に目覚めていないだけなの。この運命に導かれた貴方たちの中には必ずいるはずよ」


 続けたシンカの言葉に、セリスはきょとんと首を傾げながら問いかける。


「なにが?」


「――魔獣」


 …………

 ……


「いねーよ! ってか、その言い方はいて欲しくない系のやつだ! 魔獣ってなんだんだよ!」


 初めて聞く不安を掻き立てるようなその響きに、セリスは困惑の色を浮かばせながら再び大きな声を張り上げた。

 しかし、同じく困惑しているはずのリアンは、努めて冷静に疑問を投げかける。


「ルインの奴も素質がどうと言っていたが……俺たちも魔憑になれる可能性があると言うのか?」


 その言葉に、シンカは無言で頷き返した。


 とても受け入れられない様子の二人は互いに顔を見合わせるが、返ってくるのは戸惑う視線だ。当然ながら、二人はすぐに決断できずにいた。

 そんな中、リアンは何かを思い出すように呟いた。


「あのときの――そうだ、あのときのエヴァの中にいた誰かが言っていた言葉。あれが真実だと言うなら」

    

”歩んで下さい、貴方に集う仲間と共に――”


「あの誰かは明らかに、ロウへと語りかけていた。すでに魔憑のロウは、その導きとやらに名前は挙がらなかったのか?」

「わ、私もそれは不思議に思ってました。ま、魔憑の力があること自体、とても珍しいですから。でも、名前が挙がったのはお二人と……後、二人。ソティス、エリス、という人……だけです」


 だんだんと尻すぼみになっていくカグラの声。

 彼女はちらちらと遠慮しがちな視線をロウへと送りながら、申し訳なさそうに答えた。

 

「で、ロウ。さっきから黙っているお前の意見はどうなんだ? 本当にエヴァの中にいた奴に心当たりはないのか?」

「あぁ、俺はあの人のことは知らない。ただ、導かれない理由は想像できる」

「さすがロウだぜ。で、それはなんでなんだ?」


 即座に返したロウの言葉は、この場の皆にとって意外なものだった。

 四つの視線がロウへと集まる。

 シンカとカグラもやはり気になっていたことなのか、その両眼はまるで何かを懇願するかのようだった。綺麗な琥珀色の瞳が小さく揺れている。

 そんな中、ロウは一呼吸置いて静かに口を開いた。

 

「……この力はある人に託された力だからだ。俺自身の力じゃない。だから導きに挙がらなかったんだろう。この力の持ち主は優しくて、博識で、強かった。今この場にいたら、きっと皆を引っ張ってくれる存在だったはずだ。導きがあるとすればその人だろう。でもその人は……もういない」


 ロウの表情は変わらなかった。

 それなのに何故か、そう言葉を口にしたロウは、まるで親と生き別れた子供のように小さく見えた。


「弱かった俺にくれた力。大切なものを守るための力だ。だが、俺はあの日――」


 なおもロウを見続けるリアンとセリスの視線を感じ、ロウは言葉を詰まらせた。

 逃げ場所を探して泳ぐ瞳。

 しかし、そんなロウの姿を見て、その先の言葉をリアンとセリスは容易に想像することができた。懸命に感情を押し殺すようなリアンの声が、途切れたロウの言葉を補足する。


「あの日……それは、お前が俺たちの前から姿を消した日。あのときのことを言ってるのか?」


 

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