20.語られる真実

 ミソロギアの北部にある軍事施設。

 その裏に広がる庭園は太陽が昇っているときとはまた違った顔を見せる。月に照らされた花々や頬を撫でる心地よい夜風は、疲れた体を癒してくれるようだ。


 今日という日を無事に乗り切った五人は、この庭園に集まっていた。

 一般市民に開放されている時刻は過ぎ、周囲に人の気配はない。

 聞こえてくるのは風が揺らす木々の音だけ……とても静かな夜だ。


 ミソロギアに着いたロウ、シンカ、カグラの三人はエヴァを医務室まで運ぶと、リアンに与えられた部屋で夕食を取り、温かい湯船で凝り固まった体をほぐした。

 その間にリアンとセリスは軍上層部へ報告を済ませ、ロウたちと合流。

 そのときのリアンの説明によると明日、軍会議が開かれるとのことだ。その会議には軍人であるリアンとセリス以外の三人も当然参加することになっている。


 綺麗な芝の上にリアンとセリスが座り込むと、シンカとカグラが話をしやすいように対座する。ロウはコの字になるように、その間に腰を下ろした。


「ふぅ……やっと一息だな。長い一日だったぜ」

「だが、問題は山積みだ。聞かせてもらうぞ、お前たちの知るすべてを」


 ぐっと両腕を伸ばしながら言ったセリスとは違い、リアンは話を聞き終わるまで気を緩めるつもりはないらしい。

 全員が座るのを確認すると、さっそく事情の説明を求めた。


「えぇ、もちろんよ。私たちはそのためにここまで来たんだもの」


 口ではそう言うものの、シンカの顔は優れなかった。この期に及んでもなお、話すことを戸惑うような表情を浮かべている。

 両眼を閉じ、煩く脈打つ心臓を落ち着かせようと大きく息を吸い込みそれを吐き出すと、注目する三人へ順に力の籠った視線を送っていく。


「……驚かないで聞いて欲しいの。今から話すことはすべて本当の話。どれだけ認めたくなくても……紛れもない真実なのよ」

「いろいろ続きすぎたんだ。もうこれ以上、驚く元気も気力もねぇよ」

「そう……」


 シンカはすでに、すべての真実を打ち明ける覚悟を決めていたはずだった。それでもやはり躊躇してしまうのは、それを今まで誰一人として信じてくれなかったからだろう。

 現に、降魔こうまの存在をミソロギアの軍の人たちは信じてくれなかった。そのせいで無為に七日間も経過してしまったことは事実だ。

 そして今からシンカが口にしようとしている真実は、人によっては降魔という存在よりも信じ難いものなのだから。


 しかし、カードに導かれたリアンとセリス、そして魔憑まつきであるロウならきっと信じてくれるに違いない。頭でそう思い込もうとしても、もし、万が一、否定されたら……そんな思いがシンカの口から続けられるはずの言葉を奪っていた。


「お姉ちゃん」

「うん……大丈夫。……ふぅ」

 

 そんなシンカの手を握るカグラの手を優しく握り返し、シンカは再び自分を落ち着かせた。

 いまだ脈打つ鼓動は落ち着きを取り戻さないものの、覚悟を決めた声を振り絞る。


「驚かないって言ってたわね。それは――私たちが未来から来たと言っても?」


「ったりまえだろ。今の時代、未来から誰かが来ることなんてしょっちゅう――ねぇよ! なんなんだ、その未来ってのは! いや、待て! 知ってるぞ! 前に絵本で呼んだことがある! ってことはやっぱあれか? 青いやつなのか? 実はタヌキだったのか? そうなのか!? そうだったのか!?」


 まくし立てるセリスの頭部から鈍い音が響く。

 リアンがセリスを黙らせるための処置として、その頭を剣の納まっている鞘で殴打していた。


「黙ってろ」

「やっ……やりすぎ――」


 セリスが力なくパタリと横に倒れた。頭に大きなたんこぶを一つこしらえて。

 あまりに予想外の反応だったのか、シンカとカグラの二人は拍子抜けした様子でその光景を眺めていた。

 数秒後、我に返ったシンカがぽっかりと空いた口を締め直し、問いかける。


「えっと、あ、あのっ。……いいの?」

「こんなのは日常茶飯事だ。続けてくれ」

「え、えぇ。い、今言ったように、私たちは今からずいぶん先の未来から来たの」

「にわかには信じ難い話だ」

「普通はそう、よね……とても信じられることじゃないわ」

「で、でも! ……ほ、本当なんです」


 シンカを後押しするように勢いよく言葉を吐き出すものの、カグラの声はこの真剣な空気に呑まれるように尻すぼみとなり、眉の端を下げながら俯いてしまった。


「この先はそれを信じてくれた上での話になるけど……」

「うぅ~ん、なるほどな」


 いつの間にか起き上がり、そう呟いたのはセリスだ。

 二人の少女はいつ目覚めたのかという目でセリスを見ている。


「無い脳をいくら捻っても無駄だ。何を考えている?」

「無い脳とはなんだ! 俺はだな! 未来から来た割に未来っぽくねぇから、いったいどこが未来っぽいかをだな!」

「未来っぽいってなによ……」

「そっ、れを今一生懸命考えてんじゃねぇかよ」


 呆れながら突っ込むシンカに、セリスは唇を尖らせながら拗ねたように小さく呟いた。

 そんなセリスに、ずっと大人しく聞いていたロウが声を掛ける。


「セリス、そんなに拗ねるな。甘いものは頭の疲れにいい」


 ロウがセリスに何かを投げ渡す。セリスがそれをキャッチすると、開いた包み紙から出てきたのは数粒の小さな砂糖菓子だった。色とりどりの金平糖に、セリスは顔を輝かせる。

 そんな光景はまだロウとリアン、セリスが三人で過ごしていた頃にはよく見た光景だった。


「おぉ! やっぱロウはいい奴だ!」

「ロウ、甘やかしすぎだ」

「いいだろ、大人しくなるんだから」


 セリスがとても嬉しそうに口に含んだ瞬間、懐かしい味が口の中に広がっていく。リアンが呆れたようにロウへ注意すると、ロウは苦笑いを浮かべて返した。

 そんなやり取りの横で、カグラが羨ましそうに綺麗な金平糖を見つめている。


「カ、カグラ?」

「はっ――!」


 シンカの声に、恥ずかしそうに小さな体をさらに小さくすると、ロウがカグラへ金平糖を包んだものを差し出した。


「カグラちゃんのもあるぞ。甘い物、好きだもんな」

「あっ……」

「せっかくだからいただきなさい」


 ロウが差し出した金平糖を前に、貰っていいのか確認するかのように遠慮しがちな視線をシンカに送ると、それに対して優しく微笑んだシンカの表情を見て、カグラの頬が嬉しそうに緩んだ。


「ロ、ロウさん。ありがとうございます」


 照れながらお礼を言うと金平糖を受け取り、カグラはそれを嬉しそうに口に含んだ。

 そして、脱線した話を戻そうとリアンが続きを促すものの、


「はぁ……続きを聞こ――」

「ロウ、おかわり――うぐっ!?」


 短く鈍い悲鳴を上げた後、腹部を抑えながら静かに倒れるセリス。

 今回のセリスの頭にたんこぶはなかったが、それも当たり前だ。なぜなら、今回リアンの鞘の餌食になったのは、頭ではなく脇腹だった。


「いつもこんな感じなの?」

「セリスは頭を使いすぎると駄目なんだ」

「気にしていてはもたないぞ。気にするだけ面倒……無駄な労力だ」


 呆れた様子で尋ねるシンカに、セリスと長い付き合いである二人は”もう慣れた””というように言ってのけた。 

 それに納得するとシンカは気持ちを締め直し、改めて続きを話し始める。


「そ、そうなのね。それじゃあ、話の続き……の前に、貴方たちの疑問に答えるべきよね。私たちが未来から来たのなら、ルインが現れる場所も日付もわかっていたはず。なのにどうして止めれなかったのか……そう思ってるんでしょ?」


 シンカの自嘲するような口調と声に、ロウはゆっくりと首を左右へと振った。


「あの短い間でも、二人がどれほど必死だったのかはわかってるつもりだ。それでも止められなかったのなら、余程の理由があるんだろう」

「それなら簡単な話だ。今日の日付が予想外だったということだな。会議室での反応を見ていればわかる」


 責めることなく優しい言葉をかけてくれた二人に、シンカは「ありがとう」と一言控えめに呟き、話を再開した。


「私の知る未来では九月十三日……それが運命の日のはずだったの。今日が八月三十日だから今から二週間後ね。私は最初、運命の日が今日訪れたんだと思っていたわ。でも、エクスィという男の話を信じるなら、今日の出来事はただの予兆に過ぎないってことになる。十三日に開く本当の魔門ゲートの規模は計り知れないわ。なにせ、運命の日というのは……」


 ――ミソロギアが滅びる日なんだから。


「ミソロギアが滅びる……?」


 無意識に同じ言葉を繰り返したリアンの声は掠れていた。

 確かに庭園でのシンカの言葉があった上に、降魔やルインの強さを垣間見たのだから、この国に大きな厄災が降りかかろうとしているのは覚悟していた。

 しかし、滅びるという言葉はあまりにも異常な言葉だろう。 


 それでも大袈裟だと言い切ることができないのは、今日の経験があったからだ。

 それ無くしてあのまま会議室でシンカの話を聞いていたところで、にわかには信じられなかったに違いない。いや、信じることなどできなかったと断言できる。


「わ、私たちの知る星歴せいれき七七四年九月十三日。その日、降魔の侵攻にあったミソロギアはたった数時間で滅びました。そ、その背後にいたのがおそらくルインという組織です」


 カグラの言葉でロウたちは、エクスィやエプタとの戦いを思い出していた。

 リアンは降魔を一体退けることに成功しているが、その強さを思い出しただけで、いつの間にか固く握られた掌にじわりと汗が滲んでいる。


 数時間。たったのそれだけで中立国アイリスオウス最大都市であるミソロギアが陥落するという話を、今日の戦いがなければとても信じることはことはできなかっただろう。

 しかし、降魔の強さを知った今ならわかる。万全の準備もないまま、いきなり未知の異形が大量に押し寄せたとなれば、いくらミソロギアとはいえ簡単に陥落するであろうことは容易に想像ができるものだった。


「こ、降魔は数ヶ月で多くの都市を滅ぼしました。ルインにいる人たちの強さもそうですが、降魔という魔物はそれほど強大な力を持っているんです」


 だが、次に出てきたカグラの言葉に疑問を感じたのは言うまでもない。

 ミソロギアが滅びの運命さだめを迎えたのであれば、降魔の存在はこの世界でおおやけのものとなっていたはずだ。それに応じて各国に対策する時間はあっただろう。

 

 この世界には大きくわけて七つの大国が存在している。その各国が手を取り合ったとして、そう簡単に滅ぼされるものなのか。

 そんな考えを代表するように疑問をぶつけたのはセリスだった。


「おいおい、いくらなんでもそれは無理だって。万全の国軍たいちょっとやばい系の獣の群れみたいなもんだろ? こう、大砲とかでドカンッてさ」 


 再びいつの間にか復活しているセリス。

 しかし、さすがにもう慣れたのか、一瞬セリスに視線をやった後、何事もなかったかのようにシンカは話を続ける。


「でも、その群れを操る存在がいたとしたらどうかしら?」


 途端、リアンたちの脳裏に過ったのは支配・・という言葉だった。

 恐ろしく強大な力を持つ降魔を統率できるとなれば、確かにそうおかしな話ではないのかもしれない。だが、群れと言っても野犬とはわけが違うのだ。そんなことができるとすれば……


「つまりルインという組織の中に、そういった能力ちからを持つものがいるということか。だが、それだけ広範囲に力を行使することが本当に可能なのか?」

「たぶんだけど、普通の魔憑なら無理でしょうね」


 操るという能力が存在するとして、それが催眠術なのか契約なのか、獣を使役する類のものかまではわからないが、国を落とすとなれば相当数が必要なはずだ。

 となれば、その能力の所有者は相当な力を持っているということに――


「つまり、やっぱの青いタヌキのっ――」


 リアンの思考を遮り、便乗するように言ったセリスの言葉を詰まらせたのは、すかさず剣の柄へと伸ばしたリアンの手だ。


「冗談だ!」


 額から冷や汗をだらだらと流し慌てて両手を左右に振りながら、セリスは想像しうる自分の悲劇に待ったをかけた。そして……


「――ただ場を和ませたかったんだがな。ただの魔憑じゃない、それはつまり……」


 一呼吸置いて、先とは真逆の真剣な表情を作る。

 その口から発せられた言葉はまるで、何かを悟ったかのようだった。


「セリス、何かわかったのか?」

「知りたいか? 知りたいなら今は、シンカちゃんの話に耳をすませるんだ」


 言った瞬間、回避したはずの悲劇が訪れ、リアンの鞘がセリスの脳天を直撃する。


「――ぐほっ! 何すんだリアン!」

「わかってないのなら、最初から黙ってろ」


 リアンが一喝し睨みつけると、セリスは何も言い返さず大人しくなった。痛そうに腫れた頭を擦りながら涙目で縮こまっている。

 シンカは思考を切り替えるように小さく咳払いをすると、説明を再開した。


「え、えっと……コホン。彼らは正確には普通の人間じゃない。ルインの技術によって能力を与えられた存在……つまり、人造の魔憑ってことになるわね」

「人造の……魔憑。人の手で魔憑を生み出したのか……」

「し、信じられないかもしれませんが、本当なんです」

 

 魔憑を造りだすほどの技術など、今のこの世界からは到底信じられるものではなかった。

 確かに能力を強化した魔憑という認識で考えれば、それを成せるのも頷けるが、そもそもそれ自体の話が無数の降魔を操るという事実よりも荒唐無稽な話ではある。

 どちらも信じ難いことに変わりはないが、未来から来たという話自体が妄言と思えるほどに無茶苦茶な話だ。

 

 しかし、その未来から来たという少女たちの瞳は、それが真実だと物語っている。

 傷つきながらも必死に戦った少女に、今ここで嘘を吐く利点メリットなどないだろう。


「そして降魔は次々に町を、そして国を滅ぼした。それでも、中には落とせない国がいくつかあったの。貴方たちの中での神話の世界が、この世界には実在する」


 シンカの口から出た言葉は、リアンとセリスには聞き覚えのあるものだった。

 そう、ルインの一員であるエクスィもまた、同じ言葉を口にしていたのだ。


「こんな神話を聞いたことない? この世を支配する者が現れ、降魔という魔物を送り込み、数多の町を滅ぼした。そこに立ち上がった月の英雄と想いを同じくした者たちと共にこの世界を救う。そんな神話を」


「ディザイア神話だな」


 ロウがぽつりと呟くと、シンカは黙って頷き返した。

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