19.青紫の鏡花
ロウとリアンの会話中、ずっと一人で騒ぎ続けていたセリスが、頭に二つのたんこぶをこしらえ地に倒れた。
ずっと無視して会話を続けていた二人だが、遂に我慢の限界が来たようだ。
そんな光景を前に、二人の少女は点になった目を瞬かせていた。
「あ、あのっ。だ、大丈夫なんですか?」
「気にするな」
カグラがセリスの身を案じるが、そんな彼女をよそにリアンの答えは実に
そうした和んだ空気の中で不意に、シンカも言いそびれたことがあったことを思い出す。
「それよりももっと大事なことがあったわ。私も聞くタイミングがなかなかなかったけど、そうよ……そう言えばそうなのよ」
言って、シンカはロウをキッっと睨みつけた。
整った綺麗な顔立ちな上、強い意志を宿すような凛とした瞳である分、こうして睨んだ時のシンカの迫力はなかなかどうして……いや、はっきりいって怖い。
というよりも、実に勿体ない。
そんな事を考えつつ、なぜ睨まれたかわからない様子のロウが首を傾げた。
「ん?」
「ん? じゃないわよ! どうして貴方がここにいるのよ! ていうか、どうして平然と当たり前のように溶け込んでるのよ! 私はもう二度と顔も見たくないって言ったわよね!? 二度とって意味わかってるの!? 顔も見たくないって言った顔が、目の前にあるこの意味わかる!?」
一気にまくし立てるシンカを前に、今度はリアンが唖然としていた。
シンカはロウに言われてリアンたちを訪ねたと言っていたし、戦いの最中もシンカはロウのことを気にかけていた。そんな彼女がこのような態度を取るなど、いったい誰が想像できただろうか。
あまりに想定外の光景に、リアンは溜息交じりにロウへと問いかける。
「……おい、どうなってる? とても仲良しには見えないが」
「あぁ、どうやらかなり嫌われてるようでな」
ロウが苦笑すると、力の抜けたリアンの口元からもう一度、静かな溜息が零れた。
「それなのに、この二人を俺たちのところへ寄こしたのか? ……お前って奴は」
「すまない」
呆れるように言ったリアンにロウが一言、謝罪の言葉を発した。
嫌われている相手を気にかけ力になろうと思うなど、余程のお人好しか馬鹿のすることだと思いつつ、それでもリアンは目の前の男がそれに属する者であることを知っている。
「理由があるんだろ。お前のことはわかっている」
「ありがとう」
ほっとするように微笑んだロウへ、いつの間にか蚊帳の外へと放り出されていたシンカが堪らず突っ込んだ。
「人の話聞きなさいよ!」
「あっ、いや、これはだな」
シンカへと視線を戻し、ロウは焦りの表情を浮かべていた。
が、そんな彼を庇ってくれたのは優しき妹、カグラだ。
「お姉ちゃん、言い過ぎだよ。ロウさんは私たちを助けてくれたんだよ?」
「あっ、いや、それはね」
そして、今度はシンカが慌てた様子で言葉を詰まらせる羽目になる。
困ったように眉尻を下げながら言い訳を考えるシンカの姿から、姉と妹との力関係は一目瞭然だといえるだろう。
「はぁ……(似た者同士で何をやってるんだこいつらは……)」
そんなやり取りにリアンが今一度、心底呆れたように深い溜息を零すと、それに気付いたシンカの顔が恥ずかしそうに赤く染まっていく。
すると、それを誤魔化すように――
「とにかく! 私はリアンさんとセリスさんに話があるの。貴方に話すつもりはないわ」
そう言って顔を背けるシンカの瞳に、僅かな悲哀の色が宿っていたのに気付いたのはカグラだけだった。
そんな中、割って入ったのは、ロウとリアンの一撃によって沈められたはずのセリスの声だ。
「でもよ、ロウのおかげで二人はここにいるんだぜ? そもそも最初に頭の固いリアンが話を聞くって言い出したのは、ロウとの関わりがあったからだしよ。話を聞くくらい別にいいんじゃねぇか?」
このとき、シンカとカグラの心の声は同じだっただろう。いつのまに……と。
セリスにしては珍しくまともな意見に、シンカは反論できずに肯定した。
「た、確かにそうだけど」
「……ごめんなさい。お姉ちゃんはただ、ロウさんを巻き込みたくないだけなんです。本当はとても優しい――」
「カグラ!」
真っ赤になった顔で、シンカは慌ててカグラの小さな口を両手で塞ぎこんだ。
「やはり面倒な話のようだな。まぁ、あんなことがあれば誰でも想像はつくことだが……危険を伴うなら、なおさらロウには話しておくべきだ」
「俺もそう思うぜ」
「で、でも……」
リアンの言葉にセリスが同意を示すが、シンカはいまだ戸惑っているようだ。
真剣に悩むシンカの手元で、カグラががジタバタともがいている。それにすら気付かないほど、シンカの胸中は決断し難い葛藤に苛まれているのだろう。
ロウが助けに来ていなければどうなっていたかわからない。もちろん深い感謝の気持ちはあるし、言葉では否定しても、嬉しかったことも事実ではある。
しかし、ルインの二人が引き返さなければ、ロウとてどうなっていたかわからなかっただろう。結果として巻き込んでしまった事実がシンカの心を締め付ける。
複雑に絡んだ感情が、まるで嵐のようにシンカの胸中で渦巻いていた。
「そんなことよりだな」
「ロウさんは少し黙ってて」
両眼を瞑り、答えを出そうと思案するシンカへ投げかけるロウの言葉にも、今の彼女に答えを返す余裕などなかった。
「いや、しかしだな」
「うるさい」
それでも食いつくロウを軽く受け流すが、
「カグラちゃんが――」
「だからうるさいって! ――え? カグラ?」
妹の名に反応したシンカが手元のカグラへ視線を送ると、少女の顔は真っ赤に染まり、きつく瞳を閉じた目尻には小さな雫が溜まっていた。
「カグラ!?」
「ぷはっ! お、お姉ちゃんっ!」
「ご、ごめんねカグラ……」
慌ててカグラの口を抑えていた手を離して解放すると、本当に申し訳なさそうにシンカが身体が縮こまる。
まるで悪戯が見つかって叱られた子供のようにしょんぼりと地面を見つめていた。
「もぉ……死ぬかと思ったよ」
「どうしてもっと早く言わないのよ!」
そして、なぜかいきなりロウを睨み付けるシンカ。
「いや、言おうとしたんだぞ? でもな、シンカさんが俺の話を聞こうとしないから」
「私が悪いのね?」
「あっ、いや……」
助けを求めるようにリアンへと視線を向けるロウだが、リアンは明らか意図的に目線を逸らしたまま、ロウと視線を合わそうとはしなかった。
リアンは元々、こういったことに首を突っ込むタイプではない。
あくまで、我関せずを貫いている。だが――
「悪いのはお姉ちゃんです」
「……はい」
妹が姉を一喝。
そして再びしゅんと縮こまったシンカへと、カグラは真剣な声で語りかけた。
「お姉ちゃん、私たちはロウさんに二度も助けられた。リアンさんとセリスさんの友達で、ロウさんのくれた助言のおかげでこうして今、リアンさんたちとお話が出来てる。私たちはずっと……ロウさんにお世話になりっぱなしなんだよ? お姉ちゃんの気持ちはわかってる。私も同じ気持ちはある。それでも……ロウさんにも聞く権利はあるよ」
その両眼はシンカを真っすぐに見据え、妹だからこそわかるシンカの胸中を理解した上で発せられたその声音は、真剣味を帯びながらもシンカの中で複雑に絡んだ糸を優しく解きほぐすようだった。
ここまで自分の意見をはっきりと告げる妹を前に、シンカが折れるのは仕方のないことだろう。ここで意地を張り、大切な妹に嫌われるのだけはごめんだ。
「――っ、……わかったわよ。私たちに好き嫌いで判断してる余裕はないものね」
「好き嫌いでって……」
「なによ、行くの? 行かないの?」
「……行きます」
「もう……お姉ちゃん」
「話はまとまったようだな」
「ならさっさと行こうぜ」
そのとき、話がまとまるのを待っていたかのようなタイミングで、リアンの襟元に付いた魔石が点滅し共振した。
リアンがその伝達石に振れると、向こう側から流れてくる声。
『こちら司令部。都市保安部隊所属第四小隊より報告を受けたが、状況を確認したい。信号弾を上げて現状を報告せよ。繰り返す。こちら司令部。都市保安部隊所属第四小隊より報告を受けたが、状況を確認したい。信号弾を上げて現状を報告せよ』
「セリス」
「へいへい」
リアンに呼ばれたセリスは頷くと銃に青色の弾を込め、それを空へと打ち上げた。夕焼け空に青い煙が広がっていく。青い煙は異常がないことを知らせる
当然異常がないわけではなかったが、とりあえず無事に事なきを得た。
ここで下手に不安を煽る情報を与えることに意味はない。
直接自らの口で報告しなければ、ややこしい事になるのは明白だ。ただでさえ、起こった出来事はとても信じ難いことなのだから。
信号弾を打ち上げると、ロウたちはミソロギアへ向けて歩き出した。
その道中、ハッと思い出したようにセリスが疑問を投げかける。
「そういえば、ルインの奴らはなんでお互いに会話ができたんだ? 伝達石は離れてても言葉を伝えれるってのは便利だけどよ、元の魔石からの一方通行のはずだろ?」
「貴方たちにとってはそうね」
「どういうことだ?」
「伝達石というのは本来、互いに言葉を交わせるものなのよ。ただ、石に魔力を通わせないとそれはできないし、切り離された石の欠片同士なら、受ける側の人の魔力を察知できないといけないから、魔憑でない人にはちゃんと扱えないの」
「まじかよ」
「魔力の存在を知らない人たちからしても便利なものだけど、魔石って魔力を籠めることができれば本当に応用が利く便利なものなのよ」
「……ほぉ」
シンカの説明に、セリスとリアンは感嘆の声を漏らした。
魔石はどれも魔力に反応してその効力を発揮する。魔力を知らない普通の人からすれば、魔石はただの便利な消耗品であり、それに応用が利くなど考えもつかないことだろう。
だが、魔憑でない普通の人にも魔力は流れている。それはとても微量なものだが、それがあるからこそ魔石を使用することができているのだ。
それぞれの魔石の特性を正しく理解しているか否かでは、応用できる幅に差が生まれるのは当然のことだった。
「俺も応用して使ってるぞ。俺の力は氷だろ? 収納石に俺の魔力を込めれば、溶けるものや腐りやすいものでも貯蔵できる」
「魔憑ってすげぇのな」
「能力によって、当然相性の良し悪しはあるけどね」
そんな会話をしながら歩いて行くロウたち一行。
沈んでいく太陽が大空を茜色に染め、今日という日の終わりを告げ始めていた。
だが、彼らの一日はまだ終わらない。
少女たちの知るこの国の行く末を、受け止めなければならないのだから。
そんな彼らの背中を、少し高い丘から見下ろしている影は二つ。
一人の女性は黒いローブを身に纏い、顔は口許の空いた狐の面に覆われている。
腰に携えた一振りの刀は、ロウの持つ刀と同一のものだった。
違うところといえば、ロウの刀のように白い紐に巻かれてはいない事と、刀の柄に異なる色の五つの鈴がついているというところだ。
そしてもう一人は黒く長いドレスローブを纏い、束ねた髪を鍔の広く大きなヴェールのついた帽子押し込んでいる女性。意図的に姿を隠しているようにも見受けられる彼女は、プネブマと別れたロウの目の前に現れたミオと名乗った女性だった。
「はじまりましたね、デュランタ」
「……想像していた以上に辛い。それでも――やらなければ」
ミオにデュランタと呼ばれた女性の声は小さく掠れた音ではあるものの、その中には確かな決意が色濃く浮かんでいる。
「はい、運命を変えなければいけません。貴女自身と私自身のために。でも、どうしてわざわざ魔石を使ったんですか? 憑依の力を込めた魔塊石は貴重なのに。もうエヴァに魔力を注いでもらうわけにはいかないんですよ?」
「それは……察して下さい」
「意地悪な質問でしたね、すみません。でも、これだけは言わせてください」
「……なんですか?」
「ずるいです」
不満げな声を漏らすミオに、デュランタは小さく口許を緩めると、
「次の私の役目を思えば、これくらいは許して欲しいものですね」
「今回だけですよ」
「……えぇ」
ミオとデュランタ、二人の会話は誰に聞かれることもなく、夕焼けの中、静かに吹く風に乗って消えた。
ロウたちの背中が見えなくなるまで見送った二人は踵を返し、空中に現れた靄のような空間の中へと歩いて行く。
やがてその場には何も残らず、幾つかの鈴の残響だけが儚げに小さく留まっていた。
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