18.乗り越えた予兆

『エプタ、今すぐ帰還しろ。そこの馬鹿も連れてな』


 魔石の向こうから聞こえたのは男の声だった。

 小さく首を傾げ、エプタが疑問を投げかける。


「このまま、帰る?」

「ってこら、ズィオてめぇ! 誰が馬鹿だ!」

『おいエプタ。なぜ、エクスィの声が聞こえる? 秘匿状態に切り替えろ』

「やりかたがわからない」


 見えない相手に対し、エプタが首を横にふるふると振りながら答えると、


『………いいだろう、エプタなら仕方ない』


 短いの後、男は快くそれを許すも、すかさず呆れた様子で突っ込んだのは愛らしい顔の熊猫ぱんだの傍に立つ厳つい男だ。


「お前はいつもエプタに甘いんだよ」

『は? だからお前は馬鹿なんだ。これは摂理だ』

「何言ってんだお前は。馬鹿はどう考えてもお前じゃねぇか」

『これは開放状態だったな。ならそこの姉妹の姉の方』


「え? 姉妹って私たちのこと?」


 魔石の向こう側から聞こえる男に急に話を振られたシンカが呆気にとられ、思わず問い返した。


『そうだ。お前は妹が大切か?』

「は? 大切に決まってるでしょ」

『なぜだ?』

愛妹いもうとだもの」


 当たり前だと言わんばかりに即答したシンカは、何をわかりきったことを聞いてるのか、というよう呆れた表情を浮かべていた。

 あまりに愚問だ。シンカにとって、妹が大切かどうかなど考えるに値しない。

 いやむしろ、それを考えること自体が愚行であると言い切れるほどだ。


『うむ』

「うむ、ってなんで満足そうなんだよ。今の返事でいいのかよ」

『なら次にそこの男三人』

「……無視かよ」


 エクスィの疑問を脇に置き、次に男が問いかけたのはロウたちだが……


「って、次は俺たちか?」

「なんなんだこいつは……」


 エヴァを抱えたまま、ロウたちの側まで歩み寄っていたセリスが首を傾げた。

 緊迫した空気はすでになく、さすがのリアンも呆気に取られているようだ。

 この場を空気をどう扱っていいものかと、戸惑うように眉を寄せている。


『お前たちは……そうだな、なんでもいい。そこの妹が大きな失敗をしたら咎める口か?』

「ん~……そりゃ内容にもよるけどよ、許すんじゃねぇか?」

「……弱い者を虐げる趣味はない」

「誰にでも失敗はあるからな」


 三人とも言っていることは違うが、その内容が示すところは同じだ。


『わかったか? エクスィ。そういうことだ』

「わかるか! お前は何が言いてぇんだ!」

『これでもわからないのか? 腹が減ったら飯を食う。眠たくなったら寝る。エプタがいたら愛でる。それがわからないからお前は――』

「ズィオ、なにか要件があったはず……あうっ」


 より一層に迷走しそうなズィオと呼ばれた男とエクスィのやり取りに、エプタが巨大な熊猫ぱんだのぬいぐるみから飛び降りながら、静かな声で話しかけた。

 だが――その直後に聞こえた短い悲鳴。

 エプタに悪気などなかった。二人の仲間の間を取り持とうとした善意だといえるだろう。

 しかし、飛び降りた際に小さくふらつき、軽く尻餅をついたエプタの口から零れ落ちた声が、この状況を悪化させる。


『エプタッ!? エクスィ、貴様! なんのためにそこにいるんだ!』

「ハァ!? オレに言ってんじゃねぇよ! 関係ねぇだろうが!」

『その身、その命を賭してエプタを守るのがお前のアイデンティティだろうがッ!』

「人の存在価値勝手に決めてんじゃねぇ!」 

『だったらお前のチカラはなんの為に与えられたと思ってるんだ!? エプタを守るために決ま――』


 熱を帯びた口論が続く中、エプタはゆっくりと起き上がりながら、小さなお尻についた砂をぱんぱんと払っている。


 見たところ、戦っていたのは実際には熊猫ぱんだだし、エプタの魔力は桁外れなのかもしれないが、身体能力という点においてはそれほどなのかもしれない。

 ロウたちにとって、今が好機といえば好機なのかもしれないが、巨大化した猫熊がその場に留まり続けている以上、下手に動くことができないでいる。

 突然始まった訳の分からない口論を、ロウたちはどうしたいいものかと戸惑いながらも聞き続けることしかできなかった。

 

「わたしは大丈夫。ズィオ、話の続きは?」

 

 発展した口論が自分のせいだと気付かず、あくまでマイペースにエプタが話の続きを促すと、矛を納めたズィオは一度咳ばらいを挟んで話を戻した。


『コホン、そうだったな。今すぐ帰還だ』

「だから、なんでだよ!」

『派手に動けば外界の連中が介入してくるかもしれない。これ以上無駄な戦いをするな。それに、渡した貴重な魔石もどうせ使っただろ? だいたいお前自身は戦うなとあれほど釘を刺したというのに、馬鹿みたいに魔力をまき散らしたお前は馬鹿以外のなんなんだ』

「なッ!? くっ……エプタだって戦ったろうが」

『何度も言わせるな、エプタなら仕方ない』

「このやろッ……」


 エクスィの額には青筋が浮び、やり場のない怒りを押し殺すような声で呟いた。

 ズィオ自身はここにはいないため、当然やり取りはエプタの持つ魔石に向かって、ということになる。


 まるでエプタを睨みつけるようなエクスィに、エプタが不思議そうに首を傾げると、エクスィは視線を逸らして気持ちを落ち着かせた。

 ズィオがこの場にいない以上、エプタを睨んでも仕方がない。


『それにエプタに万が一のことがあれば……エナが黙っていない。戦争の前に死ぬか?』

「なら、なんだってエプタを寄越しやがった」

『お前がどうせくたばって貴重な魔石を使った後、頭に血が上って本来の任務を忘れると思ったから、今手の空いてるエプタにお前の回収へ行かせただけだ』

「あぁもうわかったっての! お前のその読みの鋭いところが嫌いなんだよ! ってか、魔憑がもいるのわかってたなら、最初から情報を寄越せよ!」


 まだ熱の引いていないエクスィとは対照的に、すでに熱の冷めたズォオは冷静に言葉を重ねていく。


『俺もお前の馬鹿な所が嫌いだ。四人ではなく三人だろ、数も数えられないのか。いいからわかったらさっさと戻れ。あ、それと魔門ゲートの警告はしておけよ。今までの魔扉リムとは訳が違うんだ。全滅されては予定が狂う』


 淡々と言いたいことだけ言い残すと、魔石から感じる魔力が途切れた。

 すると、エプタは巨大化した熊猫ぱんだを元の小さなぬいぐるみへと戻し、それを胸に抱きかかえながら問いかける。

 

「……終わった? 帰るの?」

「あぁ終わったし、今から帰るぞ」


 そう言って、エクスィがロウたちの方へと向き直った。

 再び戻って来た空気に皆が静かに構えるも……


「つうわけだ。とりあえず警告だけはしといてやる。さっきも言ったが、お前たちが魔門ゲートと呼んでいたのはただのとびらにすぎねぇ。本格的な魔門が開くまでにせいぜい態勢を整えるんだな。あと、そこの氷の魔憑……この借りは必ず返すぜ」


 エクスィが取り出した魔石を使用すると、彼とエプタの体が淡い光に包まれていく。

 そんな中、ヘルムの奥に隠された見えない瞳が、じっとロウを見つめているような気がした。そしてエプタが小さな口を開き、控えめに手を振りながら、


「ばいばい」


 そう口にすると同時に、二人は光りの粒を中空に残しながら、瞬く間にこの場から姿を消した。


 いったい何がどうなっているのか。

 とりあえず分かるのは、エクスィの言葉とシンカが想定していなかった出来事だったという二つを合わせると、今日がシンカの言う運命の日ではなかったということなのだろう。

 

 暫し訪れた静寂の中、セリスのぽつりと呟いた声が皆の意識を引き戻した。


「た、助かったのか?」

「そのようだな。とにかくミソロギアの無事を確認するのが先決だ」

「そうね」


 リアンの言葉に皆が頷くと、ミソロギアへ向けて駆け出した。


 ミソロギアの街並みが見える地点まで走ると、一同はその足を止めて呼吸を整える。ここまで全力で走って来たのだ。当然、リアンとセリスの息は上がっていた。

 呼吸の乱れていない魔憑の三人を見て、セリスが不満気な声を絞り出す。


「魔憑ってのは……はぁはぁ、どんだけっ、すげぇんだよ」


 ロウやシンカはもちろんカグラでさえ、その息は乱れていなかった。

 戦闘の向き不向きに個人差はあるが、カグラとて魔憑なのだ。その体力自体は、普通の人間のそれを遥かに上回る。

 ロウにいたってはエヴァを抱えて走っていたにも関わらず、まるで平然としていた。

  

「ミソロギアは無事みたいね」


 そう言って向けたシンカの瞳には、夕焼けに照らされる綺麗なミソロギアの街並みが映し出されていた。

 先に戻ったホーネスたちおかげか、ミソロギアの混乱はすでに収まっているようだ。

 しかしシンカとカグラにとって、今から起こること、成さねばならないことを考えると、決して気を緩めるわけにはいかなかった。


「……行きましょう」

「待て」


 再びミソロギアへ向けて歩き出そうとしたシンカをリアンが呼び止める。


「俺たちはこの状況を理解する必要がある。神話でしか知らなかった魔憑まつきの存在。それだけではなく、降魔こうまという魔物まで現れた。さらにルインという謎の勢力。そして、お前たちが言っていた運命の日。……すべて話してもらう」

「そうね……わかっているわ」


 これまで一気にたくさんの事が起こりすぎた。

 何も知らなかった者からすればやっと落ち着いた今、一刻も早くこの現状を整理したいのも無理はない。

 

「その前に一つ。お前たちは――何者だ?」


 最後に問いかけたリアンの言葉に、二人の少女の表情が曇る。 


「それは私から話すわ。でも、その前に場所を変えましょう。エヴァさんを早く寝台ベッドで休ませてあげないと」

「そ、それに、もうすぐ暗くなって来ます。だ、だから先に夜を過ごす場所を……確……保、しないと……と、思うんです……けど」


 シンカに続いてカグラが意見を述べるが、リアンから注がれる視線に声が次第に小さくなっていき、遂にはシンカの後ろに隠れてしまった。

 もともとカグラは人見知りだ。状況が状況であったため、今まで頑張っていたに過ぎない。元より鋭いリアンの視線に、遂に耐え切れなくなったのだろう。


「ちょっと、カグラを怖がらせるのはやめて」

「俺は意見を聞いていただけだ」


 謂れのない言葉にリアンが反論した。

 リアンからしてみれば、カグラの意見を聞こうとただ単に視線を向けいただけにすぎない。睨んでいるわけでもなく、怖がらせるつもりも脅すつもりもなかったのだ。

 リアンとシンカの視線が交差すると、


「お、お姉ちゃん。やめてよ」


 カグラがシンカの裾を引っ張りながら頬を赤く染め、恥ずかしそうに懇願した。

 姉に大切に思われるのは嬉しいが、過剰な反応は止めてもらいたいという妹心。


 そんな中、珍しく今までずっと黙っていたセリスがその場を収めた。


「まぁ待て」


 いつものような明るい声色ではなく、低く静かなその声に皆の視線が集まる。


「話を聞くにしても、移動するにしても、その前に少しいいか?」


 背を向けて立っているセリスの表情は、皆からはわからなかった。

 しかし、いつになく真面目な声音だ。いつもの御調子者の感じは一切ない。

 セリスの発する空気から、それが大事な話であることが窺えた。


「ずっと我慢していた。でも、もう限界だ。落ち着いた今なら……やっと話せる」


 そう言って次にセリスが口にした言葉は、この場の誰もが衝撃を受けた。


 ――命に関わることだ。


 静かにそう告げ、セリスがゆっくりと振り返る。

 と、そこにはさっきの真剣な声とは裏腹に、両眼を潤ませ、口をへの字に曲げるセリスの顔。


「…………」


 この場の全員が反応に困っていた。

 思うように言葉が出ず、唖然とセリスを眺めている。

 するとセリスがロウの名を呼びながら、ずっと無言で居辛そうにしていたロウへと距離を詰めた。


「ローッ! 急にいなくなるから、すげぇ心配したんだぞ! ほんとだぞ! すげぇってのは、ほんとにすげぇんだぞ!」


 あの前振りはなんだったのかと、ぽかんとした表情でセリスを見る二人の少女。

 その横でリアンは呆れたように溜息を吐いた。


「……悪かった」


 申し訳なさそうに呟きながら、ロウは視線を逸らした。


「それについてはちゃんと、理由を聞かせてくれるんだろうな」


 そんなロウへと問い詰めるように言ったリアンの視線は、ロウを捉えたまま離さなかった。

 しかし、そんな視線を送っていたのは今だけではない。戦いが終わった後、ここに来るまでの間中ずっと、リアンはロウを注視していた。

 居辛そうにしていたロウがこの場を離れることなく留まっていたのは、絶対に逃がさないといわんばかりのリアンの視線を受けていたからだ。


「すげぇって意味わかってんのか? もう俺のすげぇときたら、他のすげぇよりすげぇんだからな!」

「あぁ、俺のことはちゃんと話すよ。それより先に、まずは二人の話を聞いてやってくれないか? 大丈夫だ、逃げたりしない」

 

 リアンへ視線を向けながらロウがそう言うと、


「本物だぜ! 本物のローだぜ!」

「そうだな、お前の頼みなら仕方ない。それにこうなった以上、聞かずにいるほうが無理というものだ。しかし……いきなり消えて、急に現れるなり頼み事か。遠慮のない奴だ」


 口ではそう言いつつも、リアンの表情が少し緩んだような気がした。


「ほんと懐かしいぜ! なぁ、なぁ、なぁ!?」

「……悪い。でも聞いてくれるんだろ?」


 軽く苦笑し、ロウが問い返す。


「ロー、俺は信じてたぜ、お前はいつか帰ってくるって! ほんとだぞ!? 俺はずっと信じてたんだからな! ほんとってのはすげぇほんとなんだぞ!」

「ふん、あの二人に力を貸すかどうかは話しだいだがな。が、その前に……」

「……あぁ」


 瞑目し、額に青筋を浮かべたリアンの言葉にロウがただ一言頷くと、


「ロっ――ぐはっ!」


「「うるさい」」


 声を重ねながら、鞘の先でセリスの頭を強打する二人。

 ロウとリアンの会話中、ずっと一人で騒ぎ続けていたセリスが遂に倒れた。


 頭にたんこぶを二つ、こしらえて。

 

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