17.幼女と熊猫
突然崩れ落ちた華奢な体を慌てて支えたロウの腕の中で、エヴァは静かに寝息を立てていた。どうやら気を失っているだけで、身体に異常はなさそうだ。
安堵の息を吐きながらエヴァを地面にそっと寝かせると、セリスが疑問の色を濃く浮かべた声音でぽつりと呟いた。
「なんだったんだ……?」
「ロウ、心当たりはないのか?」
「向こうは貴方を知ってたみたいだけど……」
「いや、俺にもよくわからない。ただ、最後の言葉……あれは」
「ロ、ロウさんが港で私たちに言ってくれたのと、同じ言葉でしたね」
「あぁ」
それぞれの複雑な想いがこの場の空気を満たしていく。
シンカとカグラからすれば、ロウに対して顔を合わせ辛いだろう。言葉を交わしはするもののロウを直視できず、避けるようにその目を逸らしている。
最初の反応を見るに、ロウもリアンたちに対して気まずくなるような何か理由があるようだ。彼もまた二人を直視せず、エヴァの中にいた何者かの言葉の意味を考えていた。
リアンは冷静に今まで起きたことを思い返しているのか、腕を組みながら両眼を閉じたまま動かない。
そんな中、顔の
「い、いっぺんにいろいろありすぎて頭いてぇ……」
「なんだ、お前も何か考えてたのか? その頭で」
「失礼だな、考えてるっての!」
難しいことを考えると頭から煙が出そうになるくらい、セリスは基本的に考えることは苦手だ。案の定、今回も考えがまとまる前に挫折したらしい。
セリスとリアンのいつものやり取りに、その場の空気が少し和らいだ。
それも束の間、静かに響く声。
「――情けない」
そのたった一言で、ロウたちの背中に深い悪寒が走った。
ロウがすかさずエヴァを抱えると、その場の全員が振り返りながら距離をとる。
そこにいたのは、一人の幼い少女だった。
口元しか見えないヘルムに覆われ、後ろから覗くのは艶やかで光沢のある純白の色をした短めの髪だ。体は小柄でその線は細く、フリルのついた黒のワンピースから見える健康的な足は白のタイツで覆われ、手には爪の尖ったグローブをつけていた。小さく華奢な体躯には、とても似つかわしくない格好と言えるだろう。
可愛らしい私服に不気味な戦闘装備といったアンバランスな姿に加え、その異様さを引き出しているのは手に抱きかかえられた
ヘルムに覆われた少女の表情は読めないが、そこから発せられた声はどこか無感情で、本当に少女が発したものかと疑いたくなるほど、凍えるような冷気を帯びていた。
「なんかよ。や、やばくねぇか?」
「……まったく気配に気付かなかった。君は、誰だ?」
「わたしはエプタ」
「ぐっ……」
ロウの問いにエプタが答えると同時に、少し離れた場所で倒れていたエクスィの体が僅かに動く。よく見ると、彼の周りには小さく淡い魔力の粒子が漂っていた。
最後の光の粒が消え去ると同時にエクスィはゆっくりとその体を持ち上げ、額に手を当てながら軽く頭を振ると、服についた土埃を
「あの傷でもう動けるの?」
シンカの疑問はこの場の誰もが感じたことだろう。
確かに止めを刺すような真似はしなかったが、それでもたった十数分のうちに再び動けるような傷ではなかったはずだ。
「ズィオがこれを渡してくれて助かったぜ」
それに答えるように見せたエクスィの手には、小さな魔石が握られていた。すでに使用した後のようで、その色は失われている。
それを見たシンカはハッとした表情を浮かべ、小さく呟いた。
「……
「ま、魔塊石ってあの魔塊石か?」
魔塊石への反応が違ったのも無理はない。
魔石の一つである魔塊石は、
時折鉱山から発掘されるそれは綺麗な無色透明の結晶ではあるが、どう扱ってもその石が力を発揮することはない。ただの美しい魔石の塊、要は外れ魔石だ。
しかし、魔力を扱えるものが使えば話は別だ。
他の魔石はそれぞれに色彩や模様があり、使い切ればその色を失うが、元より色のない魔塊石は魔力を注ぎ込まれることでそれに応じた輝きを放つ。
例えば氷の能力を持つロウが魔塊石に魔力を注ぎ込めば、氷冷石と似た輝きを宿すということになる。つまり魔塊石とは注ぎ込まれた魔力によって、注いだ者の能力を宿す魔石なのだ。
となれば考えられるのは、エクスィの使用した魔塊石に注がれていたのは、カグラの能力に酷似した者の魔力、ということになるのだろう。
「エプタ、手は出すな。こいつらは俺の獲物だ。回復に時間がかかるのが難点だが、もう傷は癒えた」
その口振りから、やはり傷を癒す効力を宿していたようだ。
エクスィは握っていた使用済の魔塊石を粉々に砕くと、うなじがちりちり痺れるほどの気迫が籠った視線をロウへと向けた。
だが、そんな彼にエプタが淡々と言葉をかける。
「エクスィ、手も足も出ずやられてた。おかげで、貴重な魔石を使うはめになった」
「ちっ、見てたのかよ。この制御装置さえなかったら十秒で片がつく。あの男、俺が死なねぇように急所を外しやがった。なめやがって……」
「だめ。ミゼンの命令がない」
「……わかってるよ」
首に着けた
「制御装置って……あの力でか?」
「私たちは完全に遊ばれてたのね」
セリスの声に答えたシンカの眉はきつく寄せられ、下唇はいまにも血が滲み出そうなほど強く噛み締められている。
制御、というのがどれほどのものなのかはわからない。七割の力しかだせないのか、五割か、はたまた三割程度しか発揮することができなかったのか。
しかしたとえそれが何割であろうとも、相手が本気でなかったことは事実だ。
本気でない相手に、まるで歯が立たなかった。
その事実がシンカに与えたものは、屈辱以外の何でもない。
「だから、わたしがやる。ルインに逆らう人はわたしの敵」
「ルイン、それが組織の名か……何が目的なんだ?」
「……支配」
問いかけたロウに返って来たエプタの言葉は、つい先程エヴァの体の中にいた何者が口にした言葉と同じものだった。
焦燥が二人の少女の胸を満たしていく。
「おい、エプタ。やるならさっさとやれ」
「わかってる。わたしのお願いのために……」
「セリス、エヴァを頼む!」
エプタが右手を掲げると同時に動いた皆の対応は迅速だった。
ロウがセリスへとエヴァを預け、後方へと下がらせる。リアンがそのセリスの前に立ち、シンカもカグラを庇うように位置取りながら構えた。
掲げた右手の爪先から伸びるのは、微かに光る細い細い魔力の糸。それを辿った先にある
その姿を前に茫然とした表情を浮かべるロウたちの口からは、戸惑うような乾いた音が漏れる。
間髪入れず割って入ったロウが氷の壁を出現させるが、エプタの
氷壁を破壊され、その魔弾がロウの体へとまともに直撃する。
ロウにはそれを回避することも可能だったが、ロウが躱せば後ろにいるシンカとカグラがどうなるかという容易に想像のできる結果が、ロウから回避行動という選択肢を除外させた。
「――ッ!」
勢いよく吹き飛ばされたロウの体が、シンカとカグラの横を通過し、地面に背を強く打ちつけながら倒れ伏した。ロウは腹部を押さえながら立ち上がろうとするが、立ち上がれず片膝をつくと、浅い呼吸を繰り返しながら歯を食い縛る。
「ロウが……一撃?」
魔憑の力を使ったロウは相手が全力でなかったとはいえ、炎を扱うエクスィを難なく倒していた。そのロウがたった一撃で、すぐには立ち上がれないダメージを受けたという事実が周囲に大きな衝撃を与える。
目の前で起こったその出来事はエプタの強さを示す、とてもわかりやすい物差しだと言えるだろう。
「とどめ」
エプタの声に呼応し
リアンが長剣を抜き、エプタの行動を阻止しようと果敢に斬り掛かる。
が、リアンの長剣はエプタまで届くことなく、甲高い音を響かせた。
必死な形相で睨みつけるリアンが叫んだ声色には、確かな焦りが含まれている。
「邪魔だ! どけっ!」
「させるわけねぇだろ。その表情……なかなかいいぜ」
リアンの振るった長剣は、エクスィの大剣に受け止められていた。
剣身と剣身の間から見えるエクスィが不敵な笑みを浮かべると、
「させない!」
ロウに
カグラの能力は本来、ゆっくりと傷を癒していくものだ。シンカがエクスィの戦いで負った右腕の負傷も、先程まではまだ折れた骨を癒合するだけに留まっていた。
しかしこの僅かな時間の間に、カグラは全力で自身の能力をシンカの痛めた腕へと施していた。
無論、カグラの負担はかなり大きく、小さな肩を上下させながら荒くなった息を整えている。戦えないカグラにとって唯一できる無茶だったが、そのお陰でシンカが間に合うことができた。
黒い渦が純白の魔弾を飲み込んで行く光景に、エプタは一瞬、小さくだが驚きの声を発した。が、明らかに黒渦の許容限界を超えた魔力だ。
「くっ、ッ、なんて……魔力なの――受けきれ、ないッ」
黒い渦がエプタの魔力を吸収しきれず、その場で爆発して弾け飛んだ。爆風に煽られたシンカの体が吹き飛ばされるが、後ろにいたロウがシンカの体を抱きとめる。
完全には防ぎきることはできなかったが、どうにか直撃を間逃れることに成功すると、シンカは顔だけ振り向きながら絞り出すような声でロウの身を案じた。
「大……丈夫?」
「ありがとう、俺は大丈夫だ」
「大丈夫そうな顔、してないわよ?」
そう言いながら、シンカは苦笑いを浮かべてロウから離れた。
「シンカさんこそ、大丈夫そうじゃないな」
「私は他人に借りは作らないの」
そっぽを向くシンカに、今度はロウが苦笑する。
ロウの無事を確認したリアンは、エクスィから大きく距離を取り、離れた位置にいるセリスも安堵の息を吐くように、額の汗を拭っていた。
カグラが慌ててロウに駆け寄り、酷使した力をさらに使おうとするものの、それをロウは手でやんわりと制止する。
「今はまだ大丈夫だ。カグラちゃんの力は、この先のために取っておいてくれないか?」
「……は、はい」
一瞬、カグラは戸惑ったが、大人しくロウに従った。
しかしその表情は優れず、ロウを心配するように見つめたままだったが、確かに魔力も無尽蔵というわけではない。
カグラは両眼をきつく閉じると、頭を左右に振って気持ちを切り替えた。
「エプタ、今のは本気か?」
「今のわたしの本気。それをあれだけ抑えた。でも、まだわたしには勝てない」
「そうだな、さっさとこいつらを――」
エクスィの声を遮るように、エプタの首元が点滅しながら共振している。
細い首につけられていたのはエクスィと同じ形の金属の輪だ。よく見るとそこには小さな魔石が埋め込まれている。
エプタが光と振動の発生源である金属の輪に埋まった魔石に触れると、その魔石から男の声が聞こえてきた。
『エプタ、今すぐ帰還しろ。そこの馬鹿も連れてな』
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