16.炎の記憶と氷の世界
揺れる瞳の中に映るのは、激しく燃え盛る炎。まるで生きているように
離れた位置であるにも関わらず、ここまで届きそうなほどの熱気が周囲の空気を揺らめかせ、舞う火の粉は手向けられた
燃え盛る炎を見つめる少女たちの瞳はその熱を失っていた。
その業火が意味するところは、一つしかないだろう。ただの人間があの炎の中で無事で済むはずがないし、仮に
それだというのに、その光景を悲痛な表情で見つめるシンカとカグラとは裏腹に、リアンとセリスの表情は遠い過去を覗き込むように目を細めるだけだった。
「なぁ、リアン……これが運命ってやつなのか?」
「だとすれば、この後を過去と同じにするわけにはいかんな」
「何を呑気なこと!」
「そうです! ロウさんが……ッ、ロウさんが――ッ!」
平然とそう言ってのけるリアンたちを、二人の少女は信じられなかった。
自分たちを助けるために戦ってくれたロウの敗北を、どうしてそう簡単に受け入れることができるのか。
いくら憎いと言っても、仲間であることは確かだったはずだ。
なのにどうして――
リアンたちの感情が、シンカとカグラには到底理解することなどできなかった。
「話はそろそろしまいだ。別れ話はいいだろ」
「おもしろい冗談だ」
大剣の先に炎を灯しながら終わりを告げるその言葉に対し、リアンが小さく鼻で笑いながら答えると、気を悪くしたのかエクスィの表情が歪み眉間を寄せた。
「なに?」
「だから、誰と誰との別れ話だ?」
「確かに。別れ話をするにはまだはえぇよな」
「あぁそうとも。炎の中での別れは……もうたくさんだ」
静かな口調。底冷えするような低い声音。
忌むべき過去を懐かしむかのように、二人の表情は複雑だった。二人以外の誰も理解し得ないありとあらゆる感情が、リアンとセリスの心中に渦巻いている。
「まだ足掻くつもりか? その程度の力で」
二人を見るエクスィの声は、少し苛ついていようだった。
「……貴方たちはなんでそんなに平然としてるの? こんなのって――」
あんまりだ。と言おうとしたシンカの言葉をリアンの声が遮る。
「幻滅したか? だが、お前の期待した想像と比べられても困るな。言ったはずだ、憎き相手だと」
「そ、そんな……」
「この状況で仲間割れか?」
「気にするな。お前がどんな風にやられるのかを話し合っていただけだ」
「なんだそりゃ」
「テメェら……」
珍しいリアンの惚けた声に、セリスが苦笑する。
どうしてこの二人にこんなにも余裕があるのか、エクスィにはわからなかった。恐怖で気でも狂ったのか、それとも他に仲間でもいるのか。
リアンたちを注視したまま炎の柱の気配を探るも、そこから感じるのは自身の放った魔力だけだ。
「辺り一面、炎の海だった。何人もの命が、その炎に呑み込まれそうになってた」
「は?」
セリスの脈絡もない話についていけず、エクスィが間抜けな声を上げた。
返答のないエクスィをよそに、次に言葉を紡いだのはリアンだ。
「だが、その炎の海は一瞬で白銀の世界へと姿を変えた。その日からだ、あいつが憎き相手へと変わったのは」
「何をさっきからべらべらと」
「わからないか? ――お前の炎はぬる過ぎる」
そう言いながら、リアンは口の端を上げて自虐的に微笑んだ。
いつもは鋭い彼の瞳には隠すことなく剥き出しになった、明らかな悲しみの感情が見える。このときの瞳に宿るものを、シンカとカグラは初めて目にした。
「どうやらお前たちは、死に急ぐ生き物みてぇだな。なら、望みどおり……」
大剣に宿した炎が一段と勢いを増す、と――そこに響く声。
「いいのですか?」
「は?」
「いいのですか、と聞いたのです」
何を言ってるのかわからないといった様子のエクスィを見て、再度エヴァは抑揚のない声で問いかけた。
「なにがだ?」
「戦いの最中……敵に背を向けても」
「まだ仲間がいるのか? いいぜ、呼べる奴はいくらでも呼びな」
次に戦える者がいるなら、先の戦いが不完全燃焼だったエクスィにとってもありがたい話だ。が、先程も確認したが、周囲に魔力を持つ者の気配はない。
ただの言葉遊びか時間稼ぎか、それとも恐怖を押し殺した虚勢か。
そんなことを思考しながら周りを見渡し、余裕の表情で答えるエクスィに対し、エヴァはゆっくりと首を傾げた。
「なんのことですか? 先程、貴方自身が彼女に言っていたことではありませんか」
――獣に背を向けると……噛み殺されますよ?
「なに? ――なっ、ッ!」
途端、背筋を駆け抜けた悪寒と共に、エクスィは思わず片膝をついた。
衝撃を受けたわけではない。傷を負ったわけでも、痛みが走ったわけでもない。
彼の額から浮き出た汗の粒が頬を伝い、顎へと流れて地面に落ちる。
氷よりも冷たい怖気と深い悪寒が背中を走った瞬間、鋭牙で抉られたような錯覚を受けたエクスィは、悔しげに食い縛られた歯の隙間から声にならない掠れた音を押し出した。
先程まで燃え盛っていた業火はすべて凍てつき、白銀の光を宿している。ひび割れた
咲いた大輪の氷花、地面を浅く漂う冷気の中で、ロウは静かに佇んでいた。
「お前と同じ土俵に上がれないと言った覚えはない」
その光景を見たシンカとカグラは再び驚愕し、鋭く息を飲みなながら両眼を見開いた。
それもそのはずだ。ロウの強さを見て、それでも彼女たちは彼が魔憑であるということをまったく想像していなかったのだから。
そしてその理由は単純だった。それはいくら強くとも、ロウの体内からまるで魔力を感じることができなかったからに他ならない。
つまり二人の少女のからしてみれば、ロウが今まさに魔憑への覚醒を遂げたようにしか見えなかったのだから。
「お、お姉ちゃん。こ、これって……」
「氷の……魔憑」
凍てつく氷の世界を見つめる少女たちの瞳が再び熱が取り戻す。
「やはりそうだったのか」
しかし、そんなシンカたちとは違い、リアンとセリスの二人はこの光景に納得するように軽く微笑んでいた。確証はなかったが、ロウが魔憑であることを予想していたかの口振りだ。
「ど、どういうことなの?」
「そりゃ、ロウがあの程度で死ぬはずないってことだよ」
言って、セリスは誤魔化すように微笑んだ。
「グ、ッ……くそったれッ!」
苛立ちを声に出して叫びながら立ち上がったエクスィが、ロウへと鋭い視線を向ける。
見開かれた金赤色の双眸に、明らかな怒りを含んだ光が宿っていた。
「……やってくれるじゃねぇか。最初から魔憑の力を使わなかったのはなぜだ?」
「できれば今は使いたくなかった。ただそれだけだ」
「だが、使わざるを得なくなった、か?」
「そうだな」
しかし、疑問は残る。
元々ロウが魔憑だったとしたのなら、当然内に宿る魔力を感じることができたはずなのだ。
仮に普段は魔力を制御していたのだとしても、燃え盛る炎の中にいた以上、自身を魔力の障壁で覆いでもしない限り無事で済むはずがない。
考えられるのは、膨大な炎の魔力の中に隠せる
いや、後者はないだろうとエクスィはそれを切り捨てた。似た魔力は確かに存在しているが、親子でもない限りわからないほど魔力の質が似通ることはない。
となればロウの魔力の制御が余程長けている、ということなのだろう。
(だが、今のこいつから殺気も魔力も感じねぇ。なんだってんだ……まったくこいつの底が見えねぇぞ。まさか……魔獣か)
だがそれよりも問題なのは、よもや自分があのような形で膝をつかされることになるとは思ってもいなかったということだ。
これまでの戦いの中に感じた幾つもの妙な違和感。
ロウ自身は全力であるにも関わらず、実際のところは全力に遠いような矛盾した感覚を受けながらも、エクスィはその違和感の正体をはっきりと掴めずにいた。
「内界で力の扱える魔憑が四人……なんだそりゃ、聞いてねぇぞ……」
「内界? どういう意味だ?」
「知る必要はない。どうせ、お前はここで終わりだ」
ロウに感じた違和感は、帰還してから彼を知る者を問い詰めればいい。
どうして事前に情報を渡さなかったのかは不服であるものの、エクスィは自分自身の役目をこなすだけだとそう言い聞かせ、思考を切り替えた。
「そうか、なら早く終わらせよう。お前風に言えば……狩りの再開だ」
「ハッ! そんな氷、俺の炎で溶かすまで!」
エクスィは気迫が籠った瞳でロウを睨みつけると、大剣を振り下ろして炎の蛇を放ち、その後ろへと貼り付くように駆けだした。
「溶かせるのか? そのぬるい炎で」
「言ってろ!」
途中、炎蛇の頭部が左右へと二つに分かれ、挟み撃ちにしようとロウへと迫る。左右からは咢を開いた炎の蛇が、正面からは大剣を構えたエクスィが、すでに狙いを定めていた。
ロウは低い体勢で後ろへと跳躍し、先に来た炎蛇を回避する。後ろに飛んだ勢いを殺すように地面に手をつくと、地面を擦る音と共にロウの体が停止した。
瞬間、ロウの眼前にはさらに加速したエクスィの姿が映りこむ。
一気に間合いを詰めながら片手で振りかぶった大剣が炎の軌跡を描き、突き出した左手に纏う炎は流れるように大剣へと業火を注ぎ込む。
繰り出されるであろうそれは、紛う事なき渾身の一撃だろう。
加えて軌道を修正した二匹の炎蛇が再び獲物を求め、左右からその咢を開いて迫り来る。
だが――
「終わりだ!」
振り下ろそうとした大剣は、最後までその軌跡を描くことなく使い手の手から離れ、空しく乾いた音を響かせながら地へと落ちた。
後少しで獲物を喰らえるはずった炎の蛇も、それと同時にその姿を消失させ、僅かに漂う火の粉でさえも風に乗って消えていく。
「バ……カな。この……俺、が」
僅かに開いた唇から漏れる掠れた声。
その体には、地面から突きだした幾つもの細い氷刃が突き刺さり、赤い雫が氷を伝って流れ落ちている。じわりと赤く広がる刺し口を徐々に侵食するように、白銀の氷が広がり始めていた。
エクスィにしてみれば、それはあまりに不可解な一撃だった。力を発動する際の魔力の流れを、まったく感じ取ることができなかったのだ。
いくらロウが魔力の制御に長けているといっても、向かい合った状態の彼がまったくその気配に気付けないなどあるはずがない。
「……狩りを楽しむ、か……最悪の気分だ」
小さく呟いたロウはエクスィを一瞥することもなく、皆のいる方へと歩き出した。
勝利したにも関わらず、静かに口にしたロウの表情は優れず、まるで何かを堪えるように下唇を小さく噛み締めていた。
最後にと、ロウの背後からエクスィの呟く声が聞こえてくる。
「……本当に……気にくわねぇ奴、だ……この、亡霊……が」
突き出した氷が砕けると共に力なく地面に倒れこむエクスィに、ロウはもう何も答えることはなかった。
「さすがロウだぜ!」
「魔憑の件は後で聞くとして、よくやったな」
浮かれた声でロウを迎えるわかりやすいセリスとは裏腹に、リアンの声色は普段と変わらないものの、少し緩んだ口元がその心情を表していた。
ロウは二人に頷きながら一言だけ言葉を返すと、その視線をエヴァへと向ける。その視線を真っすぐに受け止めたエヴァの瞳に、ロウはまるですべてを見透かされているような錯覚を覚えた。
「――貴方はいったい何者なんだ。エヴァに何をした」
「私は少しエヴァさんの体をお借りしているだけです。貴方に伝えるために」
「俺に?」
「貴方はこれから先、再び多くの苦難に出会うでしょう。それでも、何があってもそれを受け入れなければなりません。これまでの平穏は……もうないのです」
力の籠ったエヴァの瞳から、微塵も嘘は感じられない。
しかしロウが、再び、という言葉に感じたのは紛れもない違和感だ。まるでロウの過去を知っているような口振りに、傍にシンカやリアンたちがいなければ問い詰めていたであろう衝動を、無理矢理心の奥深くへと押し殺した。
「この世界で何が起ころうとしている?」
「――支配」
一言。リアンの問いにエヴァは答えた。
たった三文字しかない短いその言葉に、この場の空気が緊張に包まれる。
誰もが生唾を飲み込み、金縛りにあったかのように体を硬直させた。
「歩んで下さい、貴方に集う仲間と共に。そうすれば、また近いうちにお会いすることになるでしょう」
「俺に集う……仲間?」
ロウの言葉に答えるように、エヴァはシンカの方へと視線を向けた。
「私たちのことなの?」
シンカの問いに何も答えず、エヴァはロウへと視線を戻す。
「運命は残酷です。目指す未来のために、目を瞑らなければならない不条理もあります。私はこのまま貴方の歩む運命を許しません。私は決して貴方の作る未来を許しはしない。ですから……どうか――」
そう言って、エヴァがロウを抱き締めた。
「え?」
「おいおい……」
「……」
「ちょ、ちょっと!」
「あわわわわっ」
何が起きたかわからないロウをよそに、周囲の反応は様々だ。
しかし、次に発したエヴァの濡れた声に、その場の誰もが言葉を失った。
今までのような、揺らがぬ瞳でエクスィと対してした力強さは感じられない。零れた音はまるで嘆き悲しむ少女のような、掠れたとても弱々しい声だった。
「諦めずに立ち向かうのですよ。生きて下さい……どうか、お願いします。生きて、必ず生きて辿り着いてください」
そう湿った声で言いながらロウを離したエヴァの頬を、一筋の雫が流れ落ちた。
あぁ、なんて顔でそんなにも必死に懇願するのだろうか。
どうして、こんなにも心が痛むのだろうか。
どうして、こんなにも悔しい思いに満たされるのだろうか。
エヴァの中にいる誰かが言っている言葉の意味も、泣いているその訳も、そう願う理由も、内で感じたこの感情も……そう、その何もかもが、このときのロウにはわからなかった。
「どうか、私に貴方を殺させないで……。貴方に――月の恩寵があらんことを」
眉をハの字に曲げながら、目尻に小さな雫を浮かべたままエヴァは微笑んだ。
そして、揺れる瞳が静かに閉じた瞼に遮られると同時に、その体は支えをなくしたようにその場で崩れ落ちた。
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