15.無牙の狼

「お前だよ……狩られるのは」


 ロウの動きに絶句し、大きく見開いたシンカたちの両眼に映しだされているのは、僅かな険しさを帯びたロウの横顔だった。

 まるで呼吸を忘れたかのように、小さく開いた口から漏れる音はない。


 そんな中、石のように身を硬直させていたシンカたちの肩を揺らしたのは、エクスィが吹き飛んだ先の土煙を突き破るように現れた炎の蛇だ。

 しかしロウは真っすぐに突き進んでくるそれを、冷静に横へと回避する。


「甘いぜ!」


 だが、通り過ぎた炎蛇が方向を変え、背後からロウへと襲い掛かる。それを気配だけで察知したロウが振り返ることなく後方へ宙返りして躱したすぐ下を、勢いよく炎蛇が通過した。

 とそこに、ロウが飛んで避けることを予想していたかのように正面に迫るエクスィが拳を引き、


「さっきのお返しだ!」


 思い切り体重を乗せた重い拳でロウの額を殴り飛ばした。

 体が地面に落ちる寸前、片手を地面へつきながらロウは体勢を立て直してそのまま着地すると、視線をエクスィへ向けながら問いかける。


「どうして斬らなかった?」

「お前こそさっき抜かなかったろ」


 そう言いながら、先程ロウに突かれた自分の額を指先で何度か叩いた。


「これが俺のスタイルだ」


 ――リンッ


 鈴の音を響かせながら見せた鞘に納められた刀は、その刃が抜けないように白い紐で結ばれている。


「牙を隠した狼……か」

「なに?」

「当の本人に自覚はないようだが、まぁいい。さっきの女と違って、お前は喧嘩慣れしてやがるな。だが、それでオレを倒せると思ってんのか?」

「倒せなくとも、退けれたらそれでいい」

「そうかい、お前となら楽しめそうだ。次から遠慮はしねぇぜ」


 エクスィは不敵な笑みを浮かべると、手にした大剣を構えた。




「やっぱり私も行くわ」

「お、お姉ちゃん、こんな腕じゃまだ無理だよ」

「けどいくらロウさんが強くても、魔憑まつき相手に戦えるのは同じ魔憑の私しか――」    

「いけません」

「貴女までッ」


 二人のやり取りに割って入ったのはエヴァだった。

 魔憑と常人では身体のできからして違うのだ。いくら強かろうと、本気になった魔憑が相手ともなれば結果は目に見えている。

 確かにロウの動きには驚かされたが、最初のような不意の一撃など二度と通用するまい。

 魔憑相手にまともな勝負ができるのは魔憑だけだ。それだというのに―― 


「これも必要な運命」


 シンカがどうしようもない憤りをぶつけるような視線を送るも、それでエヴァが取り乱すことはない。冷めたような冷静な呟きに、シンカはぎりっと歯の奥を噛み締めた。


「運命って……これでロウさんが死んだら、それも運命だから諦めろって言うの?」

「どうしてもと言うのなら、私は貴方たちを力尽くでも止めさせていただきます」


 言ったエヴァの言葉に、その場の空気が一気に下がり凍りついた。

 微塵も揺れ動かない恐ろしいまでの双眸に、シンカたちが鋭く息を飲む。


「今はわからなくても、この先嫌でも知ることになります。貴方たちはこの運命と、決して無関係ではないのですから。だから今は耐えて、大人しく見守っていてください。月の導く運命を……」


 この場にいた全員、エヴァの言葉を理解したわけではなかった。

 それだというのになぜ、大人しく言うことを聞こうと思ったかはわからない。

 ただ今はこうすべきだと、確かにそう思わせる何かがエヴァの言葉に宿っていた。




 エクスィが炎を宿した大剣を振るうと、剣先から炎の蛇がロウへと襲いかかる。ロウはそれに合わせて真正面から突っ込むと、体勢を低くし、炎蛇の下を抜けてエクスィの懐へと入り込んだ。


「その能力に自信でもあるのか?」

「なっ!?」


 そして鞘に収めたままの刀を、エクスィの顎めがけて下から思い切り振り抜いた。次いでさらけ出された喉元を、横一文字に薙ぎ払う。

 地面擦れ擦れを飛ぶエクスィの体が、地を擦る音と共に土煙を上げながら地面に落下した。


「ガハッ、ゲホッ――ッ」


 少し咳き込み、喉を抑えながらゆっくりと起き上がるながらロウを睨みつける。


「……ッ、はぁはぁ……やってくれたな」

「今ので倒れないのか」

「当たり前だ、ッ……体の出来が違うんでな」


 エクスィの呼吸が落ちつくまでに要したのは、常識では有り得ないほどに短い時間だった。

 しかしその理由が、常人より遥かに高い自身の耐久力によるものだという、そんな単純な理由だけではないということを、このときのエクスィは確信していた。


 激しく続く攻防の中、彼はロウの動きに少しばかりの違和感を感じていたのだ。

 一番最初に額へと受けた鋭い刺突に比べ、明らかに攻撃の威力が落ちている。

 ロウは悟られないように戦っていたようだが、今の喉元への一撃。本来の力で振るえていたのならいくら魔憑とはいえ、エクスィの回復にももう少し時間を消費していただろう。


 つまり、理由はわからないがロウの右腕・・が万全ではなくなっている。もしくは、敢えて加減をしているというところだが、今のエクスィにはどちらでもよかった。

 万全でないにしろ、加減をしているにしろ、全力で戦えないことへの不満はエクスィの中で大きく膨れ上がった。


「オレの攻撃は当たってねぇ。なら……古傷でも痛むか? いや、そんなことはなさそうだな。だったら単に舐めてるのか。まぁどっちでもかまわねぇ。ただ、今のお前は許せねぇな」

「ここからが本気ということか」


 明らかに目付きの変わったエクスィが、走りながら振りかぶった大剣を勢いよくロウへと振り下ろす。それをロウが刀で受け止め、小さな火花が散ると同時に弾き返した。エクスィの右足が、ロウの脇を捉える。

 が、その足を掴んだロウが、それを軸にしてエクスィの側頭部へ蹴りを放った。エクスィが飛んできた蹴りを屈んで躱すと、そのまま下から大剣を振り上げる。


 受けた刀と大剣が交差すると、ロウは刀を横に滑らせ着地。着地すると同時に、刀を横に一閃。エクスィの足を目がけて薙ぎ払うが、それを軽く跳躍して回避するとエクスィは空中で足を振り上げ、ロウの頭部に振り下ろした。それを左手で受けると横に払い、すかさず刀で斬り上げる。

 エクスィが大剣の腹でそれを受けた瞬間、再び散る火花。激しい攻防が続く。




「な……なんて攻防なのよ」


 唖然と見つめる視界の中では、尚も繰り広げられる二人の熾烈な戦い。絶え間なく聞こえてくるのは甲高く鳴り響く金属音。

 シンカもカグラも、目の前で繰り広げられる光景に目を疑っていた。

 同時に、ふとした疑問が二人の少女の中で浮かび上がる。


 それはミソロギアまでの道中でバロン級に襲われた時のことだ。これだけの力がありながら、どうしてバロン級の一撃で倒れてしまったのか。

 腕の立つ者であれば、ナイト級とバロン級程度の降魔相手なら倒すことも可能だ。

 無論、初見でないことを含め、恐れず立ち向かえたらという話ではあるが、ロウの場合エクスィの初撃に耐えた以上、少なくとも一撃で気を失うことはないだろう。


 気絶したふりをしていた、ということはあり得ない。二人は朝まで寝ることなくロウの傍に居続けたが、そのときのロウは完全に気を失った状態だったのだ。

 しかし、それを今考えても詮無きことだ。単に打ちどころが悪かったのだろう。

 今はロウがこの場を乗り越えてくれることをただ祈るしかない。


 そんな中、すぐ傍でリアンの声が耳へと届いた。


「さっきお前はあいつを止めない俺たちに、意味がわからないと言ったな」

「言った……わね。でも今ならわかるわ。こんなに強いとは思ってなかったもの」

「はははっ、そりゃ違うぜ。ロウが強いのは確かに知ってたけどよ、俺たちもロウが魔憑と戦うのは初めて見るんだぜ? ここまでやり合えるってわかってたわけじゃねぇよ」

「はぁ!?」

 

 苦笑しながらそう言ったセリスに、シンカが驚きの声を上げながら咄嗟に振り返ると、彼はロウへと視線を向けたまま言葉を重ねた。


「仲間だからこそ、あぁなっちまったロウを止められねぇんだよ。止めたくても止められねぇ。それはさ、あいつが俺たちを仲間だと思ってくれてる。大切にしてくれてるからだ」

「どういうこと?」

「お前はその妹が大切だろ。一緒じゃないのか? その気持ちと」

「え……?」

「あいつはいつもこうだ。案外、お前に似ているかもな」

「なっ!? ばっ、バカじゃないの? 私は全然……あんなのとは――」


 リアンの言葉に取り乱しながら、シンカはロウの方へと視線を戻した。

 その瞳に映るのは、懸命に戦うロウの姿だ。

 そんな姿を前にして、シンカはその先に続くはずだった言葉を声に出すことができなかった。代わりに出たのは、あの時の言葉に対する疑問だ。


「……でも貴方たちは最初、ロウさんを憎き相手って言ってたわよね」

「そうだな」


 ロウの情報を求めたリアンたちの真剣な顔を思い出しながら、静かにそう呟いた声は弱々しいものだった。

 しかし、リアンはその問いかけに躊躇いもなく頷き返した。

 いよいよもってわけがわからない。ロウのことを理解しているような口振りであるにも関わらず、憎き相手と口にする理由はなんなのか。


「……どうしてなの?」

「大切な仲間だからこそ、憎いこともあるさ」


 そう言ったセリスの表情は大切な何かを失ったように悲痛な色を浮かべ、何も言わないリアンの表情もまた、同じように得も言われぬものだった。




 大剣と刀が交わり停止すると、ロウへと言葉を投げかけたエクスィの声色はまるで浮かれた子供のようだ。


「いいぜ、まさか本当に今の俺を楽しませてくれるとはな。ここでお前が仮に生き延びれば、いつかもっと楽しませてくれそうだ」

「今のお前は手加減していて本当の力は隠している、って言い方だな」


 ロウが大剣を弾き返すが、再び振るわれた大剣と刀が交差し合う。

 ぎりぎりと金属が軋み合う音を聞きながら、


「くはははっ、どうだろうな。それより狼さんよ、こっちに来ねぇか? 案外、悪い話じゃねぇと思うが」

「俺には成すべきことがある」

「ハッ、断れば痛い目を見るのはお前だ。それでも来ねぇのか?」

「言っただろ。狩るのは俺、狩られるのはお前だ」

「そうかよ……だったら、名残惜しいが楽しい時間も終いだ。うぉらぁぁぁっ!」


 言って、ロウの腹部を蹴り飛ばし、すかさず振るった剣先から飛び出した今までにないほど大きな炎の蛇が、ロウの体をまるまると呑み込んだ。

 そのまま地面から露出した岩の残骸に突っ込むが、なおも炎は消えず、そのまま天高く燃え盛る。


「ロウさん!」

「ロウ……さん? 嘘……ですよね?」


 二人の少女が漏らした悲痛な声は空しく響く。

 冷たい態度を取ってまで巻き込まないようにしてきたつもりが、結果としてロウを死地へと誘ってしまった。

 目の前の光景が信じられない、いや、信じたくない。

 こんなことあっていいはずがない。

 やはり自分が戦うべきだった。

 誰に止められたのだとしても、自分がやるべきだったのだ。

 どうしてロウを戦わせてしまったのか。どうして納得してしまったのか。

 自責の念が少女の胸を埋めつくす。


 そんな思いを掻き消すようにエクスィの声が響いた。


「くくくっ、はははははっ! …………はぁ。ちっ、なんだこの呆気ない幕切れは。大口を叩いてこの様じゃ、落胆しても無理はねぇよな? 俺の能力を忘れてたか? お前と同じ土俵で、いつまでも戦うと思っていたのか? って……これじゃ答えれねぇよな」


 哄笑から落胆し、心底つまらなそうに言葉を発したエクスィが、ゆっくりとした動作でシンカたちの方へと体ごと向き直した。


「次はお前たちだ」

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