14.七つ目の選択肢
「くそっ! なんとかなんねぇのかよ、リアン!」
「馬鹿を言うな。なんとかしたくとも、光の壁も炎も消えないことには動きようがないだろ」
「私の力が、戦える力だったら……」
焦るセリスの言葉に対して、冷静に対応するリアンの表情にも焦りの色が見える。
外見や口調と相まって一見冷たく見えるリアンだが、セリス同様、危機に瀕した命を前に黙っていられるような男であるはずもないだろう。
軍に入り欠かさず鍛錬を積んできたにも関わらず、目の前の少女一人救うことができない不甲斐なさに強く自分を嫌悪するも、それで状況が好転することはない。
エクスィの言った通り、この状況で諦めなければ奇跡を起こせるなどただの戯言なのだ。
小さく呟いたカグラの声も虚しく、エクスィはエヴァへと間合いを詰めた。
「――ッ!」
その瞬間、シンカがエヴァを守るように立ち塞がり、荒く息を吐きながら揺れる切っ先をエクスィへと突き付けた。
額からは血を流し、青黒くなった右腕はおそらく折れているのだろう。常人ならすでに死んでいてもおかしくない、少なくとも立ち上がることなどできない程の傷を負いながらも、シンカは無言の気迫を迸らせていた。
その光景を見ていることしかできない三人がおもわず息を飲む。
だが、エクスィの振り下ろした大剣は鋼を打ち合わせたような音を響かせるだけで、その刃がシンカまで届くことはなかった。
リアンたちを守る光の壁と同じ光が、シンカとエヴァを包み込んでいる。
エヴァはじっと何一つ音を零さぬまま、眉一つ動かさずにただエクスィを見据えていた。
「あ、あれって本当にエヴァ……なのか?」
「
リアンが視線を下した先には、その場で力なくへたり込むもう一人の魔憑の少女の姿があった。
魔憑であるにも関わらず、大切な姉が苦しむ姿を見ていることしかできないという経験は以前にもあった。
しかし、あれからまだたった二週間だ。集中してまともな訓練を積んでいるわけでもないのに、たったそれだけの期間で強くなれるはずもない。
いくら常人離れした魔憑とはいえ、一朝一夕で戦う力を身につけることができないのは当然だ。
もっと時間があればと思ったところで、訪れる悲劇は待ってくれない。
ましてや、今日この日の出来事は彼女たちにとっても想定外のものだった。
そんな無力な自分を悔しく感じているのだろうか。
周りの声もまるで聞こえていないように、俯いたまま小さな肩を揺らしている。
だが、俯けた口から漏れた声は――
「……そんな、嘘です」
「カグラちゃん?」
セリスの問いかけにも反応せず、ただ湿った声で何かを呟いていた。
「ど、どうして……私たちはあんなにひどいことを……なのにッ」
震えた音は弱々しく、掠れている。
目尻から溢れた雫が頬を伝い、カグラの手元にある一枚のカードに小さな染みを作り出した。カグラの揺れる瞳を釘付けにし、落涙を受け止めているそれは淡い光を放っている。
それが何を意味するのか、リアンとセリスに知る由もない。
「あいつらを解放させちまうが仕方ねぇ」
リアンたちを包み込んでいた炎が少しずつ消えていく一方、それに割り振っていたであろう力を得たかの如く、エクスィの手にした大剣に炎が宿り出した。
途端、嫌な音が鼓膜を揺らす。
それが意味する受け入れがたい事実は、二人を包む光の障壁に入った僅かな亀裂だ。
「お願い! 私が欲しいなら大人しくついていくわ! だからっ!」
それを前に、これまで気丈に振舞っていたシンカが崩れ、今にも泣きだしそうな表情を浮かべながら必死にエクスィに叫びかける。
だが、そんなシンカの必死の訴えにも、障壁の亀裂に目もくれず、自らの命が危ういこの状況下でさえも微塵も臆することなくエヴァは静かに問いかけた。
「そうでした、貴方は彼らに選択を迫っていましたね。私の答えも聞きたくはありませんか?」
「ハッ、命乞いならもう遅いぜ?」
「いいえ。六つ目までの案は出ていましたから、次は七つ目ですね」
周囲の炎が完全に消えるのも待たず、僅かに残る炎を突き破るようにリアンが即座に駆け出すとセリスもそれに続くものの、間に合わないのは明らかだった。
隔てるものは何もなく、シンカたちまで決して遠い距離ではない。
それでも、魔憑でもない普通の人間である二人が到達するには、あまりにも遠い距離だった。
それこそが、魔憑と常人を隔てる超えられない壁だと思い知らせるかのように。
「駄目だ、間に合わない!」
「やめろぉぉぉぉっ!」
「神に祈りは届かない! この世に希望などありはしない! 願った所で奇跡など起こらない! イラつくんだよ! それを信じ、諦めない奴を見てるとな!」
エクスィがさらに力を込めると、障壁の亀裂がその範囲を広げていく。
それでもその双眸は揺らぐことなく、エヴァはただただ言葉を重ねた。
「七つ――泣いている子を月が照らす、と言うのはどうでしょうか?」
そう言ったエヴァの口許が初めて、微笑んだかのように妖艶な色を宿した。刹那――
――チリン
「……鈴?」
空耳かと思うほど儚く響いたその音色に、シンカは目の前の光景をも忘れ、無意識にエヴァの後ろへと振り返った。
それと同時に光の壁が、高い音を響かせながら硝子のように砕け散る。
しかし、光の壁が壊れた瞬間、エクスィの口から漏れたのは僅かな悲鳴だ。同時に、攻撃を仕掛けたはずのエクスィの体が勢いよく吹き飛び、土煙を舞い上げた。
「……あっ」
救いを求めた傷だらけの少女が、誰かの腕に抱かれながらぽつりと声を漏らす。
光の壁が壊れたことも、エクスィが吹き飛んだことも、今の彼女にとってどこか遠い出来事のように感じられた。
ただ目の前の信じられない光景に、この温もりに、少女の思考は奪われる。
「おい……」
「あぁ」
エクスィを止めようと駆け出していたリアンとセリスの足は緩やかに減速し、自然とその動きを止めていた。
「……ど、どうして……私たちはあんなひどいことを言ったのに……どうしてなんですかっ!」
カグラにとっても目の前の光景が半ば信じられなかった。
しかし、彼女はこうなることを知っていたのだ。
どれだけ信じられなくとも、どれだけそれを疑っても、あのとき、淡く光った
――再び迷花の雫を拭うは、黒き使徒
しかし、カグラは違う……一人だけ心当たりがあった。
いや、逆に一人しかいなかったのだ。
今まで大切な姉の心の奥底に気付き、その涙を拭ってくれたのは、たった一人だけだった。
それでもカグラは信じられなかった。
あんなにも酷い別れ方をしたのだ。
あれでは利用するだけ利用して、捨てたようなものではないか。
それにこの状況だ。
誰がこんな有り得ない現実に、自ら首を突っ込むのか。
どうしてこんな状況で、こんなにも最低な自分たちを救おうというのか。
どれだけカグラが自問自答しても、答えなど出るはずがなかった。
そしてそれは、シンカも同様だった。
どれだけ目の前の状況を整理しても、何も答えなどない。
いや、それでも――ロウがそこにいる。
それのみが唯一の答えなのだ。
シンカを左腕で抱き寄せ、右手で鞘を突き出しながら彼はそこにいた。
その刀の柄の部分には、綺麗に光る漆黒の鈴が揺れている。
「すまない」
ロウはシンカの頬に右手を当て、親指で目許を優しく拭うと、皆を守るために懸命に戦っていた細い体を離しながら謝罪した。
「大丈夫か?」
「えっ……あっ」
優しい声音とどこか懐かしい温かさに、シンカは声を詰まらせた。
「あ……ありが……とう」
なんとか切れ切れの言葉で感謝を述べると、ロウは微笑み返した。
そして後ろを振り返り、何かを探るようにエヴァを見つめるロウの視線を、エヴァはまっすぐに受け止めている。
彼女の唇が少し動き、ロウに何かを言いかけたところで、セリスたちが駆け寄って来た。
「ロウッ! ほんとにロウだよな!?」
少し興奮気味に言葉をかけるセリスから、ロウは気まずそうに顔を背けた。
「お姉ちゃん!」
「ごめんね、大丈夫よ」
少し遅れて来たカグラが、目尻に涙を溜めながらシンカに抱き着いた。
シンカは申し訳なさそうに微笑みながら、心配をかけてしまった愛しい妹の頭を優しく撫でる。
「カグラちゃん、遅れてすまなかった」
「……い、いえ……そんな。わ、私は……」
ロウの視線に耐え切れず、罪悪感と安心感が同居した複雑な感情に、カグラの瞳から一筋の涙が零れ落ちる。
それを隠すようにシンカの胸元へ顔を埋める少女の姿に、ロウは小さく苦笑した。
「ロウ」
「わかってる」
リアンの呼ぶ声にロウが視線を向けると、そこには立ち上がって服についた砂埃を叩いているエクスィの姿があった。
「今のはちと痛かったぜ。まるで気配がわからなかった。お前が無牙の狼か?」
「なんのことだ?」
「まぁいい。狩る獲物が増えただけだ」
そう言ったエクスィの眼は獲物を狩る猛獣のそれだ。まるで新しい玩具を見つけたように口元を歪ませ、その瞳は相手を平気で殺せそうな程の冷酷さを帯びていた。
「お前は狩りが好きなのか?」
「あぁ、必死に逃げる姿、泣き叫ぶ声、そのどれもが俺の力になる。だがな……いつまで経っても諦めねぇその
「そうか……なら変えてみたらどうだ? 俺のこの顔を、お前好みに」
「テメェ……」
二人の視線か交わり、うなじが痺れる程の緊迫した空気に包まれる。
だが、それを破ったのはシンカの少し沈んだ声だった。
「……無理よ。相手はただの人間じゃないのよ?」
そう言ったシンカの左腕を先ほどから治療しているカグラもまた、暗く沈んだ表情を浮かべていた。言葉にせずとも、シンカと同じ思いなのだろう。
諦めたわけではない。諦めるわけにはいかない。
その為に少しでもシンカは体を休ませ、カグラは必死に彼女の折れた腕を治そうとしているのだ。しかし相手が魔憑である以上、時間稼ぎをすることすら叶わないだろう。
それだというのに、ロウの口から返って来たのは……
「そうだな」
「そうだなって……貴方ね!」
「あいつなんだろ?」
「え?」
このとき、ロウの突然の問いかけの意味がシンカには理解できなかった。
それを察して、ロウがもう一度言葉を紡ぐ。
「あいつにやられたんだろ?」
「そ、そうよ! だから相手がどれくらい危険なのかわかるでしょ!?」
「あの男は強い。この現状を見て、俺もそれは理解できる」
「だったら! さっさとここから――」
「ならどうして呼んだんだ?」
その声を遮るようにシンカに問いかけるロウの言葉は、シンカにとって身に覚えのないことだった。助けを求める言葉を吐いてはないし、ましてやここにいるはずのなかったロウの名など呼ぶわけがないのだから。
「どういう意味よ」
「わからないならいいさ。だいたい、君は俺を知っているのか?」
「そりゃ……」
馬鹿で無神経で何を考えてるかよくわからない。と言おうとしたが、シンカはその言葉を咄嗟に呑み込んだ。が、ロウへと向ける表情にその気持ちが僅かながら浮き出てしまっていたのだろう。
ロウは苦笑しながら問い掛ける。
「何かひどく傷つくことを考えてないか?」
「……気のせいよ」
「まぁいい。それより、君はあの男の強さを知ってるが俺のことは知らない。つまりそれは、結果がどうなるかわからないってことだ」
腕を組み、指先で何度も腕を叩くエクスィからは苛立ちが見て取れるが、早く話を纏めろといわんばかりに佇んでる彼の鋭い眼光を、ロウは逸らすことなく受け止めていた。
「貴方のことを知らなくてもどうなるかくらい!」
「止めておけ」
今まで黙って成り行きを見守っていてリアンがシンカをなだめるものの、それで納得できるわけがないだろう。
むしろ、リアンの口からどうしてそのような言葉が出てくるのか、シンカには不思議でならなかった。
「どうしてなのよ! あのときはなんだかんだ言ってたけど、セリスさんは嬉しそうにしてたじゃない! 仲間なんでしょ!?」
「だからだ」
「お、お姉ちゃん落ち着いて!」
「ッ、意味がわからないわ……」
取り乱すシンカを落ち着けようと、カグラが傷ついたその手を優しく握る。
シンカは納得いかない、というように顔を背けた。
普通に考えれば単なる自殺行為だ。思い起こされるのは会議室での憎き相手だと言っていた言葉だが、魔憑であるシンカがこうもやられた相手に送り出すなど、どう考えても普通ではない。
「長話は終わったのか? せっかく待ってやったんだ、先手はくれてやるから少しは楽しませろよ」
「その期待には応えられそうもないな」
「はぁ? まさか大口を叩いておいて自信がねぇのか?」
「いや……お前は自分が狩る側だから、狩りが好きなんだろ? 残念ながら、今回お前は狩られる側だ」
「はっ、俺を狩るだと? 上等だ……来いよ」
エクスィが言い終わると同時に、ロウが一瞬にして間合いを詰めると、余裕から出た隙だらけの顎を蹴り上げる。その体が宙に浮き、間髪入れず放たれた回し蹴りが側頭部を捉えた。
「お前だよ……狩られるのは」
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