11.魔の獣を宿す者
シンカと別れてほどなくしたところで、リアンたちの視界に都市保安部隊所属第四小隊の姿が映った。
人数は四人に馬が一頭。見たところ全員命に別状はなさそうだが、一人の男が蹲っている。それを囲む三人の表情までは見えないが、ここで何かが起きたのは間違いないようだ。
「え? あの人たち……」
「知っているのか?」
「え、あっ、はい」
都市保安部隊所属第四小隊の面々に、カグラは見覚えがあった。
男の名前はホーネスとローニー。少女の名前がエヴァとキャロ。
以前、オープンカフェの
彼らの近くで馬を止めると、リアンは馬から降りながら状況を確認する。
「全員命に別状はないな。何があった?」
「あう……な、何があったって……それは……」
キャロがリアンからローニーに視線を移す。痛みを堪えるように蹲っているのはローニーだった。その様子にリアンは周囲を警戒するが、他に誰かがいるような気配はない。
爆発音と地鳴りの原因に関係していそうなものもなく、不思議なことにここに来るまでの間、荒れた個所どころか立ち昇る煙すら見えはしなかった。
「妹、敵の反応はどうだ?」
「い、いえ、今はまだありません。で、でも急がないといつ現れるかは……」
「ん? 君は一昨日の……カフェであった子だよな?」
ホーネスの問いに、カグラは馬から降りて挨拶を返した。
「は、はい。あのときはあ、ありがとうございました」
「無事に会えたのね。よかった」
「挨拶は後だ。それより、ここで何が起こったか説明しろ」
「だから……それは……その……」
キャロがホーネスに戸惑いがちな視線を送ると、彼は困ったように頷きながらリアンに向き直り、少し前を思い返しながら起こった出来事を説明した。
「俺たちがミソロギア周辺を
言って、ホーネスは軍服の襟に付いた小さな魔石を指で叩いた。
その魔石は伝達石と呼ばれるもので、元は大きな一つの魔石だ。元の大きな伝達石は、それから削られ、加工されたものへと通信することができる。元の伝達石からの一方通行であり、そんなに多くを削りだすことはできないため、使用されている数は少ない。別の伝達石の塊から削られたものへの通信は不可能なため、限りある伝達石の欠片は、各部隊の小隊長のみが所持していた。
無論、リアンもホーネスと同じものを持っている。
「で、様子を見に来たわけだが……急にここで馬が暴れ出してな。実に恥ずかしいことなんだが……落ちた」
「……なに?」
「つまり落馬したの、ローニーが。それも、足を
「わ、悪かったな! 鈍臭くてよ!」
「別にいいわ。私は無事だったのだから」
ホーネスの説明にエヴァが補足すると、リアンは既視感のある光景に両眼を閉じて大きな溜息を吐いた。
するとローニーが目尻に涙を溜めながら声をあげるが、エヴァはそれを軽く流した。その様子から、落馬した彼の後ろに乗っていたのはエヴァなのだろう。
「お前もか……」
「も?」
「うおぉぉ~いっ!」
リアンの言葉にエヴァが首を傾げると、少し離れたところからセリスの声が聞こえてきた。
額に汗を浮かべ、息を切らしながら全力で走って来ている。
それを見たローニー以外の三人は「あぁ~」と納得したように頷いた。
呆れた様子で頷く三人の横をカグラが足早に通り過ぎ、ローニーの傍で膝をつく。
「あ、あの……み、診せてもらっていいですか?」
「医療に詳しいのか?」
「く、詳しくはないですけど……」
カグラはローニーの挫いて腫れた足首を、両手で優しく包み込んだ。
隙間からは淡い光が漏れている。温かな優しい光だ。
「お? おぉ? おぉ~?」
「綺麗な光だね~」
驚いたローニーの声に反応し、覗き込んだキャロの口から感嘆の声が漏れた。
「こ、これで大丈夫です。た、立ってみて下さい」
「え? マジか?」
ローニーが立ち上がると、その場で軽く飛び跳ねる。
痛みは綺麗に消えたようで、感動のあまりといったろことだろうか、訳の分からないことを叫びながら興奮気味に走り回っていた。
途端、少し微笑んだカグラの表情が強張り、その原因であるリアンの方へとおそるおそる視線を向けると、彼の鋭い視線が幼気な少女へと突き刺さった。
が、無論それはリアンだけではない。
単純な性格のローニーやキャロは「すごい」の一言で片付いてしまうのだろうが、ホーネスとエヴァにいたってはそういうわけにもいかないようだ。
わかっていた。これは本来、人の目に見せていいものではない。
リアンたちを頼ろうとしていた時点で、
そんな中、セリスがやっとの思いでこの場に到着する。すでに満身創痍だ。
「はぁ……はぁ……リアン、て、てめぇ。お、置いていきやがって……」
「落馬するお前が悪い」
「く、くそっ……。はぁ、はぁ……で、なんだよこの空気は」
小さな女の子に向ける三人の視線。何があったのか現状を知らない者から見れば、まるでいじめのような構図だ。
セリスが混乱していると、カグラが立ち上がって姿勢を正し、リアンへと向き直った。
「き、気味が悪いのはわかります。あ、後でちゃんと説明するので、今は早くこの場を離れませんか? お、お願い……します」
その言葉にリアンは暫し何かを考えるように瞑目すると、
「ローニー、キャロ、一度落ちつけ。集合だ」
目を開き、興奮したまま走り回っている二人を呼び戻した。
その声音に何かを感じたのか、大人しくなった二人が神妙な顔つきで戻ってくると、リアンは今の状況を説明した。
「簡潔に説明するぞ。ここに敵が来る。それも俺が勝てないほどの相手だ。場所はおろらくこの地点。お前たちは馬を使ってさっさとミソロギアに戻れ」
「了解だ」
「妹、お前も行け。姉がさっきの場所で戦って勝ったにしろ、手傷は負っているかもしれない。お前はその力で姉を治療しろ。ここに来る敵に備えて早急にだ」
「え? あっ、は、はい」
咄嗟の指示に戸惑いながらも、カグラは頷いた。
「俺とセリスは走って追いかける。馬は二頭だ、俺たちと残る奴を選んでくれ。先に言っておくが、ここに残る奴は最悪敵と遭遇する可能性もある」
「ま、まじかよ! 今走って来たばっかでまた走んのか!?」
「黙れ」
「……は、はい」
「私が残るわ。最悪のことを考えると、第四小隊の中じゃ私が一番戦えるものね。ホーネス、貴方がこの子を乗せてあげて。ローニーじゃ不安だから。キャロ、ローニーの後ろはいつ落ちるかわからないから気を緩めないでね」
「「了解」」
「失礼だな……お前ら」
ローニーの若干不満気な声を聞きながら、皆の行動は迅速だった。
決まるや否や、即座にホーネスがカグラを馬に乗せ、自分も馬に跨るとミソロギア方面へと馬を走らせる。それに続いてローニーもキャロが乗ったのを確認すると、馬を走らせた。
このときのカグラの頭の中は、ありとあらゆる疑問で埋め尽くされていた。
堂々と使ってしまった魔憑の力に対してカグラは最初、気味悪がられたと思っていた。が、その後の反応を見るにそういうわけではないようだ。
それにリアンが都市保安部隊所属第四小隊に対してした説明は、シンカの言っていること信じているからこそ出てくる台詞だろう。それを第四小隊の四人は簡単に信じている。問い返すこともなく、だ。
軍人だからだろうか。いや、そうじゃない。
ミソロギアに着いてからカグラはシンカと共に七日の間、軍へと足を運んでは説得しようと試みていた。結果、誰も信じてくれなかったのは今更いうまでもない。
しかし、カグラはそれは仕方のないことだと思っていた。なにせ、それこそが普通の反応なのだ。それこそが当たり前の反応なのだ。
だとしたのなら、このリアンとセリスは、この第四小隊の人たちはなんなのか。
彼らの胸の中のある感情や思考を理解できるほど、カグラはリアンたちのことを知らなかった。
カグラたちが去った後、残された三人はその場を動かず佇んでいた。
セリスはマイペースにも、筋肉をほぐそうと軽くストレッチをしている。
「お前だけでも先に行け」
「嫌よ。命令しないで欲しいのだけれど」
「死んでも知らんぞ」
「大丈夫、死ぬつもりはないもの」
シンカとカグラの別れ際の会話から、別れた地点に現れる敵はシンカが一人で戦ってやっと勝てる相手だとリアンは推測していた。
どれだけ戦闘に時間がかかるかは判断できないが、無傷で倒しきることはおそらく難しいだろう。今ここに敵が現れ、そのままミソロギアに侵攻する際、手傷を負ったシンカとの合流、もしくは戦闘中のシンカとの合流は避けなければならない。
つまり、リアンはカグラがシンカの治療を完了させるまでの時間を稼ごうとしていたのだ。
シンカの治療が終わってここに来るまで敵が現れないのが理想だが、そう上手い話はないだろう。リアンが周囲を警戒していると、少し高い位置から知らない男の声が響いた。
「いいや。このままじゃ死ぬぜ、お前ら」
声のする方を見ると男が一人、岩上に立っていた。
赤橙色の短い髪が風に乗って僅かに揺れている。左目の上には、玉状のピアスが三つ並んでおり、その下に見えるギラついた金茶色の瞳。左耳には橙色をしたカフスを付け、腰の後ろには鞘に収まった大きな剣を携えている。
見るからに人相の悪い鋭利な瞳が、その場にいる三人を静かに見下ろしていた。
「誰だ……お前は」
リアンの第六感が警鐘を鳴らす。
この男の纏う雰囲気は異質だった。
僅かながらも、無意識に後ずさったリアンたちに男は口の端を上げながら答える。
「オレの名は秘密だ。まぁエクスィとでも呼んでくれ。てか、あれだけ派手な音を出したのに来たのはこれだけか。
「お前が爆発を起こしたってのか?」
「爆発? はははっ、爆発なんて起こしてねぇよ。ちっとばかし大きな音を立てただけだ。実際、爆発の痕跡なんてどこにもねぇだろ」
セリスの問いかけに、エクスィが笑いながら答える。
ここはある程度は見渡せるほどの平原だが、確かに爆発の痕跡はまったくなかった。
しかし、簡単に大きな音を立てたと言うが、何をすればあれだけの音と地鳴りを起こせるというのか。
「何が目的だ?」
「目的? そりゃ見極めるためだ。後は警告だな」
「……お前は何を知っている?」
エクスィが敵なのかそうでないのかまではわからないが、纏った空気からして完全に味方というわけではなさそうだ。
それでもすぐに攻撃をしてこない上に、警告というからにはこれから起こる出来事を理解しているのだろう。味方でなくとも、敵でないのなら話を聞いて損はない。
話を聞いた後に、それを信じるかどうかはまた別の話ではあるが。
エクスィは問いかけたリアンをじっと見つめると集中するように、いや、まるで何かの気配を探っているかのように瞼《を下ろした。そして、すぐに開いた鋭い両眼で三人へと順に視線を送っていく。
まるで見えない何かに貫かれたような感覚に、三人の額から一筋の汗が頬を伝い流れ落ちた。
「
「ディザイア神話のことか?」
「そう、それだ。そこの女は詳しそうだな。見るからに反応が変わったぜ?」
まるで気の合う相手を見つけたように口元を綻ばせるエクスィに、エヴァは半歩後ずさった。が、次に出るはずの二歩目の足をなんとか踏み留めると、まっすぐに見返して静かに頷いた。
「……えぇ、異界から来た神がこの世界を救うって話でしょ? 数百年の昔、この世界には
ディザイア神話――それはこの世界に伝わる神々の物語だ。
当然この国、アイリスオウスにもその神話は伝わっている。
軍議で使用する議会堂の裏手にある、花園と呼ばれる場所にある一基の碑文。そこに記された内容を解読したものは教科書にも載っているし、絵本として物語にもなっているほどだ。
とはいえ、すべてが正確に解読されているわけではなく、その分からない部分に至っては今でも考古学者の間で論争を繰り広げている。
「伝わってるのはその程度か……」
エヴァの説明に、エクスィは落胆するように肩を落とした。
そんなエクスィから次に告げられた言葉に、三人は驚愕することとなる。
「すべてがってわけじゃねぇが、その神話は真実だ。けどな、その真実じゃないって部分が問題でな……世界はまだ救われてねぇ」
――滅びが始まるのはこれからだ
その言葉に三人は息を呑んだ。
ふざけた話だ。神話が真実? 滅びが始まるのはこれから?
神がいて、降魔がいて、人ならざる者までこの世界にいるのなら、どうして誰もその存在を知らないというのだ。救われていないというのなら、今までの平和はなんだというのか。よもや、神話が予言書だとでも言うつもりか。
しかし、馬鹿馬鹿しいと言葉を投げ捨てたくてもそれができなかった。
固まる三人を射抜くようなエクスィの鋭い眼光が、冷めた声が、それを真実だと告げている。
「降魔はいるし、魔憑も存在している。まぁ、この世界の人間たちは自分に魔力が流れてることも知らねぇだろうがな。で、オレの目的に戻るわけだ。もうすぐここに
エクスィが軽く腕を横に振るって空を切ると、リアンたちの背後に火の手が上がる。大きな炎ではないが、燃え上がる炎はエクスィの言葉をさらに真実へと裏付けた。
風に乗って感じる炎の熱が、早鐘のように鳴る心臓の鼓動が、これが夢ではないという確たる証明だ。
リアンは奥歯をぎりっと噛み締め、自らを落ち着かせるように両眼を閉じながら一度、深く息をして酸素を入れ替えると、エクスィへと視線を戻した。
「それで……見極めるというのはどういうことだ?」
「やけに冷静だな」
「たとえ非現実なことが起きたとしても、ここは現実だ」
「いいぜ、お前。素質はありそうだ」
まるで玩具を見つけた子供のような笑みを浮かべると、エクスィはさらに言葉を紡いだ。
「いいか、魂や信念が強い者には魔物が宿る。魔獣に認められれば、その魔獣の力を得ることができる。それが魔憑だ。そして、魔憑にはその力によって階級があるんだが……まぁそれはいい。で、オレはその魔憑の素質がある者を見極めるのが仕事ってわけだ」
「そう……つまり、貴方はなんらかの組織の中の一人ってわけなのかしら?」
「いい推理だ、女。さぁ、そろそろ時間だぜ。お前たちがどこまでやれるか見せてくれ」
途端、エクスィの頭上の空間に
小さな紫黒の歪が、音を立てながら徐々に拡大していく。、
「なっ……なんだありゃ……」
「内界の平穏は終わりを告げた。扉が開く……降魔のお出ましだ。――神話が動き出す」
開いた魔門から飛び出してくる異形。
降魔の姿を見た三人の瞳は驚愕に見開かれていた。なんとか冷静さを保とうにも、脳内が現状を処理しきれず上手く動かない。激しい心臓の音が煩く反響している。爪先から脳天へと激しい悪寒が突き抜け、背筋は凍り、ままならない呼吸のせいで息が苦しい。
現れた降魔の数はナイト級がたったの一体。
しかし、魔門は今もなお拡大し続けている。このまま開き続ければ、その先に新たな降魔が出てくるであろうことは、知識のない三人にも容易に想像することができた。
そしてリアンたちを視界に捉えたナイト級の濁った瞳が、リアンの意識を現実へと引き戻した。
「エヴァ、お前は逃げろ! こいつの相手はお前じゃ無理だ!」
「だ、だけど……」
「セリス! 行け!」
「くそっ!」
セリスとナイト級が動いたのは同時だった。
エヴァを抱え、全力で走り出したセリスの背に振るわれたナイト級の鋭爪を、リアンが抜き放った長剣で受け止める。そのあまりの衝撃にリアンの姿勢が少し沈むが、なんとか持ちこたえて弾き返した。
すかさず距離をあけようと後ろに跳躍するものの、ナイト級が素早く距離を詰め、再びその鋭爪をリアンへと振り下ろす。
それを紙一重で躱したリアンの額から、一筋の汗が流れ落ちた。
「セリス、リアンを見捨てるというの!?」
「……大丈夫だ。あいつは生きることにだけは貪欲だ。知ってるだろ?」
「だけど……」
「――誰がどれほど傷ついても、常に皆が生き残る最善を考えろ」
その言葉を聞いたエヴァの表情が変わる。
どこか遠くの光景を思い出すかのように、今言ったセリスと同じ言葉を静かに復唱した。
「それを言ってた奴はよく笑われてたよな、大袈裟だしよ。でも、やっと繋がったぜ。やっと……やっとだ。俺でもわかったんだからよ、リアンが気付かないわけねぇだろ? だからリアンは死なねぇ……あいつに会うまでは」
「……そうね。セリス、私はもう大丈夫だから降ろして。一人で走れるわ」
「おう」
セリスがエヴァを地面に降ろし、二人で駆けだした直後。
眼前の地面から突き出した大きな火柱が二人の行く手を阻んだ。
足を止めて後ろを振り返ると、そこにいたのはエクスィだった。
「待てよ。降魔を相手にできねぇってんならオレが相手してやるぜ。あんな化物と戦うのに比べりゃ、幾分かはましだろ? 見た目的にだが」
セリスもエヴァもリアンのことは心配でたまらなかったが、必ず生きていると二人は信じていた。せっかく逃がそうとしてくれたリアンに、ここで自分たちがやられるわけにはいかない。セリスの脳はこの場をどう凌ぐか、それだけを考えていた。
しかし、この場を切り抜ける方法が思いつくことなどなかった。
セリスは決して諦めたわけではない。それでも、エヴァを守りながら一人で戦うにはあまりにも相手が悪い。
「さぁ、楽しもうぜ。お前の素質を見せてくれ」
エクスィの手に炎が宿った瞬間、セリスは叫んだ。
「待てっ! ……待ってくれ」
「あ?」
「ここに一つの弾がある。これは空に打ち上げると、空に煙が発生してだいたい三分間で消える。その三分間、考える時間をくれ」
セリスは太腿のホルダーから一丁の銃と一つの弾丸を取り出し、エクスィに見えるように前に出した。
「くっ、はははははっ! 馬鹿だな、お前は。そんなに堂々と時間を稼がせてくれって言う奴は初めてだ。いいぜ、さっさと打ち上げな。だが、その場を動くことは許さねぇぜ」
セリスはその言葉に静かに頷くと、銃に弾丸を込めて打ち上げた。すると、空が黄色い煙で覆われる。
はたして、エクスィ相手に時間を稼ぐにはどうすればいいか。相手が炎を操る魔憑である以上、戦闘での時間稼ぎはできない。口で稼ぐことにも不向きであると、セリスは自覚していた。
だからこそ、堂々と時間を稼がせてくれと頼むことが彼にとって一番最善の手だったのだ。わざわざ警告を促し、素質を見極めると言っていたエクスィが相手だからこそ、話が通じることに懸けた。
その結果、セリスは確実に三分の時間を得ることに成功する。
しかしそれだけだ。その先のことは何も考えてはいなかった。
「まぁ時間を稼ぐのはいいが、さっきの奴は来ねぇぞ?」
エクスィは地面から露出した手頃な岩に腰かけた。
「リアンはかなり丈夫だぜ」
「信じてるのか? あんな魔物相手に勝てると。お前も同じか?」
視線がエヴァへと送られる。
さっきから一言も発しないエヴァは、ただ怯えて声がでないわけではなかった。その瞳に恐怖や諦めはない。エヴァはエクスィの送る視線を、逸らすことなく真正面から受け続けている。
「その目が答えか。おもしれぇなお前ら。いいぜ、だったらなおのこと見たくなった。お前たちが恐怖を感じたとき、どう変わってくれるのか」
「恐怖なら今だって感じてるぜ」
まるで面白い遊び相手でも見つけたように口元を緩ませたエクスィに、セリスはいつもの軽い調子で答えた。
「ふっ、どの口が言うんだか。そういや、女の方にも素質はありそうだな。三人中三人がヒット……俺の運もなかなかじゃねぇか」
「素質ってのは魔憑のか?」
「ははっ、さぁな。それより、もうすぐ三分だぜ? お前の狙いは順調か?」
「まだわからねぇよ」
「そうか。ならお前たちに与えられた選択肢は二つだ」
その場で立ち上がったエクスィが、セリスとエヴァに選択を迫る。
「一つ、大人しく俺について来ることだ。これはおすすめだな。そして二つ、足掻いてぼろぼろにされてから、連れて行かれる。まぁこれは馬鹿のやることだ。普通は選ばねぇ。それで……だ」
そう言って、指を差した空からはすでに黄色い煙は消え去っていた。
「どうする?」
「……俺はわがままなんだ」
「は?」
セリスの意味不明な言葉に、エクスィが間抜けな声で聞き返した。
「俺はわがままなんだ、選択肢が二つじゃ納得できねぇ。だからよ、選択肢を増やさせてもらうぜ。三つ、お前が良心に目覚めて見逃してくれる。四つ、連れて行かれて何をされるかわからないくらいなら、自ら死を選ぶ。五つ、俺の眠った力が解放されてお前を倒す。六つ、リアンが地獄の底から蘇る」
「……お前は本気でそれを言ってるのか?」
セリスの提示した滅茶苦茶な選択に、エクスィは呆れた様子だが、当の本人はいたって真面目な表情だった。
その時感じた後ろの気配に、エクスィは咄嗟に体を逸らす。そこを通過したのは一筋の刃。その姿を確認しようとエクスィが視線を向けた瞬間、聞こえた発砲音と同時に跳んできた弾丸を躱して距離をとった。
「何が地獄の底だ。蘇るも何も俺は死んでない。却下だ」
「リアン……無事だったのね」
「んだよ、じゃあお前ならどんな選択肢を提示すんだよ」
「……」
セリスが拗ねたような声で反論すると、リアンは腕を組みながら顎に手を当てた。
「ただの人間が生身でナイト級を倒したか。いい……いいぜ」
エクスィは関心した様子で頷いた。
肩辺りまで持ち上げた両掌から炎が燃え上がる。
「お前たちは連れて帰る。殺しはしない。だから、勝手に死ぬなよ? ――
途端、エクスィの両掌から燃え盛る炎が大蛇の形を成した。
「……そうだな。六つ、逃げる」
言った瞬間、目の前のエクスィから踵を返したリアンが一目散に逃走を図った。その行動に一瞬遅れたセリスとエヴァが、慌てて後を追いかける。
エクスィは今までのリアンから想像もできない行動に、しばし唖然としていた。
現実から逃避することなく受け止め、冷静な判断を下しながらもナイト級の降魔を退けてみせた。そんなリアンの逃走は、まるで予想していなかったのだろう。
「……おいおい。待てよ、待て待て。ここにきてなんだ? その愚策は」
心底残念そうに項垂れる。愚策、そう愚策だ。
魔憑の身体能力は普通の人間を凌駕する。純粋に力が強く、体力も高く、俊敏だ。それはさっきの背後から仕掛けたリアンの奇襲を躱し、セリスの銃弾をも躱したことから、魔憑を知らずとも誰にでも容易に想像できることだ。逃げられるわけがない。ましてや……
「あぁ……失望したぜ。本気で逃げられると思ったかよ……そんな足で」
表情に出さなかったのは軍人としてか、リアンの性格からくるものなのか。上手く隠したつもりなのだろう。現に共に逃げた二人はおそらく気付いていない。
ナイト級とはいえ、初めて目にするはずの降魔を相手に勝利したというだけで賞賛ものなのだ。まったくの無傷で済むはずがない。
視界に映る点々と続く赤い雫からエクスィが視線を上げた時、その冷めた目は獲物を狙う猛獣のように、逃走する三人の背を見据えてた。
「そのやせ我慢もいつまで続くだろうなッ!」
二匹の炎の蛇が勢いを増して地を這い、その咢で三人を丸ごと飲み込もうと迫り来る。一匹目の炎蛇を横っ飛びで躱し、転がりながら態勢を立て直すセリス。すかさず銃を構え、炎蛇の後ろから向かって来るエクスィにその銃口を向けた。
「馬鹿が。隙をついて当たらなかった弾が俺に当たるかよ」
その声を無視してセリスが銃を発砲すると、視界が急に明るく染まる。セリスが放ったのは閃光弾だった。
その隙に三人は駆けた。ただただ、自分の最大の力で足を前に出す。
破れそうなほどに心臓は拍動し、足よりも意識が先に出て転びそうになるのを堪え、ひたすら走り続けた。前へ、前へ、前へ、少しでもこの命を永らえるために。
と、三人は不意にその足を止めた。いや、止めざるを得なかったのだ。
目の前に聳えるのは高い炎の壁。
後ろを振り返ると、エクスィが慌てることもなくゆっくりと歩いて来ている。
「気はすんだかよ。最後に聞かせろ、なぜお前は最後にそんな愚策を選んだ? まだ三人がかりで死ぬ気で戦った方が、僅かな奇跡もあっただろうにな。臆病風に吹かれたか? だがその割に、お前たちの目はまだ死んでねぇな」
エクスィは期待していたのだ。
今は弱いながらも素質のありそうな者たちが、いったい何をしてくれるのか。もしかしたら命を懸けた戦いの最中、眠った力を開花させてくれるのではないか。そして、そうやって歯向かう勇気のある者たちがどんな風に恐怖してくれるのか。
しかし、結果はただ状況を理解していないのか、無策に逃げるだけ。
このときのエクスィの瞳には、確かな失望の色が宿っていた。
だがそんな彼を前に、リアンの発した言葉はあまりに意外なものだった。
「愚策? 俺はそうは思わないがな」
「……本気か?」
「あぁそうだ」
「なら、少し痛い目をみて後悔するんだな」
大剣を抜き放ち、エクスィの足が地を蹴った。
だがそれと同時に、勢いよく飛んでくる何かがその視界の片隅に映る。
「なに!?」
このとき、エクスィは初めて本気でその現状に驚いた。咄嗟にそれを躱した瞬間、リアンたちの背後で燃え盛っていた炎の壁が消える。
するとリアンは口を歪ませ、悪びれることもなく言葉を口にした。
「悪い、最後まで言ってなかったな。六つ、逃げる。そして……その先で善意ある魔憑に遭遇する、というのはどうだ? 悪くない選択だろ」
リアンが向けた視線の先にいたのは二人の少女の姿。
「間に合ったみたいね」
言った少女の長く美しい二束の髪が、風に乗って静かに揺れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます