12.衝突する魔の力
「間に合ったみたいね」
それはリアンの待ち望んだ声だった。
今にして思うと、足手まといとして扱われた意味がよくわかる。魔憑相手に対等に渡り合えるのは、当然それと同じ力を持つ魔憑だけだろう。
となれば打てる手は一つであり、あの場に留まることこそが最悪の一手であるのは明白だ。
そう、リアンはただ闇雲に逃げていたわけではなかった。
戦う力を持った魔憑であるはずのシンカが回復できるだけの時間を稼げたなら、後は少しでも早く合流できるように彼女たちへと近づくこと。
それのみがリアンたちのとれる最善の策だったといえる。
そしてその策とも言えない策は、この危機を脱する一手となりえた。
目の前の光景を上手く飲み込めないまま、聞き覚えのある声にエヴァが視線を向けると、そこに立っていたのは先日出会った名前も知らない少女の姿だ。
「貴女が助けてくれたの?」
「一昨日はありがとう。貴女の仲間はミソロギアに戻ったわ」
安堵した表情を浮かべるシンカはカグラの能力を使ったのか、服は汚れているものの傷らしい傷は見当たらない。すでに体は万全のようだ。
「エヴァ、お前も行け」
「で、でも――」
逃げるよう促すリアンの言葉に言葉を返そうとしたエヴァの声が途中で途切れた。
その理由は彼女の視界に映った、赤黒く染まるリアンの足だ。
衣服の上からでは傷の深さはわからないが、これ以上全力で走ることはできないだろう。
ここで起きた出来事を一刻もミソロギアへ持ち帰る役目が必要だというのなら、エヴァが一人で走った方が早い。
しかし、エクスィという男がみすみす見逃してくれるだろうか。そう、エヴァが彼を盗み見るように視線を送ると、
「いいぜ、力の扱える魔憑が現れたんだ。こっちの方が価値はある」
そう言いながら、エクスィは口の端を僅かに上げ、値踏みするような視線をシンカへと送っている。対してシンカの方も、いつでも動けるようにエクスィから目を離してはいなかった。
自分より年下の少女にすべてを任せ、傷ついた仲間を置いて逃げる。それがどれほど屈辱的なものであるかは言うまでもない。
「リアンには俺がついてるからよ」
セリスに背中を押されながら、ぽつりと呟いたエヴァの声は少し湿り気を帯びた弱々しいものだった。
「……ごめんなさい、結局何も役に立てなくて」
エヴァは下唇を強く噛み締め、悔しそうに視線を逸らした。
都市保安部隊はミソロギア内、もしくは都市周辺の警邏を主な任務としている。その中でもエヴァの練度は決して低くはないが、リアンたちには遠く及ばない。
そのリアンたちの手に負えない相手を前に、エヴァが残ったところでなんの力にもなれないことは彼女自身が一番よくわかっていた。
せめて足手まといにならないよう、この場を一刻も早く離れることがエヴァにできる唯一の行動だったのだ。
エヴァはその悔しさを振り切るように踵を返すと、全力で駆けだした。
「
「う、うん」
シンカの言いたいことを理解し、カグラはリアンの元へと駆け寄った。
血の滲んだ箇所へそっと手を当て、傷口を治療していく。
「ほぉ……お前も力が使えたのか。こいつは豊作だな。しかもその力――」
「さっきからずいぶん上から目線だけど、お願いだから邪魔をしないで。まだ魔門の気配が残ってるの」
「そうはいかねぇな。今日は様子見のつもりだったが、魔憑が相手なら降魔に譲るのはもったいねぇ」
「そう……」
そう言ってリアンたちを見るシンカの目は悲しげだった。魔門が開き、降魔がミソロギアを襲うことをシンカは知っていた。なのに止めることができず、彼らに危険な橋を渡らせてしまった。
一歩間違えれば命を落としていたかもしれないという現実が、シンカに重くのしかかる。
しかし、それも仕方のなかったことなのかもしれない。シンカの知る運命の日は今日ではなく、まだ数日の猶予があった。これはシンカの知る未来ではなかったのだ。
それでも少女は自分を責めた。
もっと上手く立ち回れたのではないか。そうすれば、少しは違った結果になったのではないか、と。
「つうか、ありゃ
「扉?」
「魔憑の癖に何も知らねぇのか?
「……貴方の目的はなに? 狙いはやっぱりミソロギアなの?」
「ん? あぁ、そうだな。違うと言えば信じるか? もし仮にそうだと言ったら、お前はどうするんだ?」
「許さないわ」
シンカは細剣を抜き、その切っ先をエクスィに向けた。
「お前も生かして連れ帰る。だから、死なねぇ程度に調整してやるよ」
エクスィの掌に炎が宿り、人差し指を立てると炎が大きな球体へと変わる。そのまま手首を前に倒すと、その球体が勢いよくシンカに向けて発射された。だが、シンカに焦りはない。
すっと切っ先で空中に円を描くと、黒い渦が現れる。炎の球体が直撃する瞬間、その黒い渦に炎が飲まれて消え去った。
「ほぉ……オレの炎を」
感心したような声を漏らしたエクスィはより一層シンカに興味を示したのか、不敵な笑みを浮かべた。
「炎が……消えた?」
少しでも現状を受け入れようと魔憑同士の戦いを冷静な眼差しで見つめるリアンに対し、カグラに治療を受けている彼の傍にいるセリスは、目の前の出来事に驚きを隠しきれず驚愕の表情を浮かべている。
「お前……いったい何をしやがった」
「なに? 何ってあのままなにもしなかったら私が熱いじゃない。さっきの炎がそんなに大切なら返すわ」
呆けた物言いだが、シンカの顔は笑っていなかった。
黒い渦の中から、エクスィが放った炎よりも明らかに大きくなった炎が放射される。
咄嗟に躱したエクスィだが、全てを躱しきることができず、左腕が炎に呑まれた。
「ちっ……まさかそんなに大きくなって返ってくるとはな。とんだサービス精神じゃねぇか。利き腕じゃねぇからたいして問題はねぇけどよ」
「今ので終わらせるつもりだったのに……残念ね」
表情を変えずに冷静に言ったシンカだが、それはあくまで”努めて”だ。内心穏やかでないことが悟られぬよう、冷静を装っているにすぎない。
なにせ、今まで降魔とは何度も戦ったことはあるが、魔憑を相手にするのはシンカとて初めての経験だった。それも、エクスィはその力を使いこなしているようにさえ見える。
降魔のような異形な姿をしたものと、人間を相手にするのとではまったくもって変わってくるのは言うまでもないだろう。降魔と違い、人間には考える力もあれば達者な口もある。
そしてなにより、人間を相手に殺すつもりで刃を振り下ろせるほど、まだ幼さの残る少女の精神は強くはなかった。
今の
「ハッ、言ってくれるぜ。まぁしかし……厄介な能力だな!」
エクスィが大剣を構えて地面を蹴った。それをシンカが迎え撃つ。何度も甲高い金属音が鳴り響き、絶え間なく散る火花が物語るのはその打ち合いの激しさだ。
炎の魔弾と黒の魔弾が飛び交い、大地を穿つ音が途切れることはない。
明らかな人間離れした動きは、リアンたちの理解の範疇を越えていた。
「あのよ……これって夢じゃねぇんだ、よな? 実はこれってなんかの――」
「阿呆が、現実を受け入れろ。死にたくなければな」
様々な出来事を目の当たりにして、セリスの感覚は狂ってきていた。非現実的なことが起きたとき、すぐに対応できる者とそうでない者がいたとすると、対応できる者が生き残る確率がそうでない者に比べて高いのは当たり前だ。
セリスは基本、考えるより先に体が動くタイプだ。それに加え、リアンの指示もあってなんとか対応してきたにすぎない。
だが、魔憑であるエクスィを退けられる可能性を持った魔憑が現れ、セリスの心に余裕のようなものができたのだろう。
一度考えだすと、目の前の受け入れがたい現実にセリスの思考は迷走していた。だが、それを諫めるように言ったリアンの一言は、セリスを現実へと引き戻す。
そうだ、これは現実だ。認めたくなくとも現実なのだ。
認めるしかない。対応するしかない。死にたくなければ。
リアンたち二人はこのとき、自分たちの中にある常識を完全に捨て去った。次にどんな非現実的なことが起きてもいいように。それにすぐさま対応できるように。
気持ちをさらに引き締め、二人の魔憑の戦いを見守った。
「っ……降魔の気配が近い」
「おぉ、確かに近いな。カウント級が二十弱ってとこか。これからだってのに邪魔されたら興醒めもいいとこだ」
先の魔門から新たな降魔が出現したのだろう。感じた気配にシンカが小さな焦りの色を浮かべるも、エクスィはまるで楽しい遊びを邪魔された子供のように顔をしかめた。
そして距離を開けながら動きを止め、大剣を肩に担いで後ろを振り返る。
「
エクスィの掲げた大剣に炎が宿る。それを思い切り地面に叩き付けると、巨大な炎の蛇が凄まじい勢いで地面を駆けだした。とてつもない魔力量だ。
もしこの技をシンカたちに向けて放たれていたなら、おそらくはその内の誰かが犠牲となっていただろう。
この場の誰もが目を見開き、その光景をただ愕然と見ていた。
遠くで大きな火柱が上がると同時に、多数の降魔の気配が完全に消え去る。
「さぁ、続きだ。楽しもうぜ」
「楽……しむ?」
「魔憑だ。この平和呆けした内界に覚醒済の魔憑がいたんだぜ? それも姉妹揃ってかなりのレアもんだ。素質のある者は生きて連れ帰るよう言われてたし、オレ自身戦わないように言われたんだけどな。戦わねぇなんて無理な話だぜ。しかしまぁ……難しいといえば難しいな」
「……なにがよ」
「自信がねぇのさ。テメェみたいな奴を前にして、殺さず連れて帰る自信がなっ!」
「物騒なことを言わないで」
エクスィは大剣を振りかぶり、一直線に斬りかかった。
それをシンカは姿勢を低くして避け、エクスィの足を綺麗に払うと、倒れたエクスィの喉に剣を突き立てる。
「私は……殺されるわけにはいかなの」
「おいおい、これは何の冗談だ? せっかく敢えて機会をやったってのに、殺す覚悟がねぇならでしゃばんじゃねぇよ!」
途端、地面が僅かにひび割れると、危機を察知したシンカが咄嗟にその場を飛びのいた瞬間、割れた地面から炎の蛇が飛び出した。
余裕の表情を浮かべながら、エクスィはその場でゆっくりと起き上がる。
「ハッ、いいぜ。これならどうだ?」
エクスィが楽しむように口角を
「空中じゃ避けれねぇな」
シンカは細剣の切っ先を下に向けて黒い渦を出現させると、渦の中に二匹目の炎蛇を取り込んだ。すかさず取り込んだ炎を放出しようと、細剣をエクスィの方へと向け直した、が――
「もちろん、そうするよな」
「――っ!」
エクスィの怪しい笑みを見て、シンカが何かに気付いたように後ろを振り返った。するとそこには一匹目の炎蛇が、背後から迫ってきていた。
咄嗟に黒い渦の中の炎を炎蛇に放ち、それを相殺する。
「――駄目だぜ? 敵に背を向けたらよ」
シンカが炎蛇を相殺している隙に、エクスィはシンカの真後ろまで迫っていた。振り下ろされた大剣を、間一髪のところ細剣で受け止める。
しかし、ここは空中だ。無理な姿勢で受け止めるシンカと、勢いよく跳躍したエクスィが振り下ろした大剣。どちらに軍配が上がるかなど言うまでもない。
「オラァッ!」
エクスィは受け止めたシンカの細剣ごと華奢な体を弾き飛ばし、地面に叩きつけた。
その衝撃で肺に溜まった空気をすべて吐き出し、詰まったような吸気を漏らすシンカの右腕へと、落下速度に大剣の重量を加えた無慈悲な衝撃が伸し掛かる。
「あッあぁぁぁぁぁッ!」
「ハハハッ、やっぱり女は軽いな! お前の魔力は確かにたいしたもんだが、まったく喧嘩慣れしてねぇってのも勿体ねぇ話だな、おい」
悲鳴を上げ、苦痛に顔を歪めるシンカに言葉を返す余裕はない。力を失った手から細剣が零れ落ちた。
「お姉ちゃん!」
苦しむ姉の姿を見て、口に手を当てながら叫んだカグラの表情は今にも泣き出しそうだった。小さな体が小刻みに震えている。
「もう我慢できねぇぞ、リアン!」
「あぁ」
「ダメッ!」
今にも飛び出しそうだったリアンとセリスの足を止めたのは、シンカの力強い叫び声だ。
エクスィはそれ以上、何もしなかった。ただじっと、シンカを見下ろしている。
何かを期待しているのか、何かを企んでいるのか、それとも何かを待っているのか。明らかな優勢であるにも関わらず一気に勝負を決めない理由はわからないが、そんなことを考える余裕など誰にもなかった。
「なっ!? なんでだよ!」
「妹のおかげで傷なら癒えた」
「たとえ傷が癒えても、今の貴方たちじゃ勝てないわ。だから……だから、今は退くのよ。私が時間を稼ぐから……カグラと一緒に逃げて」
「んなことできるかよ!」
「貴方たちは……必要なのよ」
「そんなことどうでもいいんだよ! 見捨てて行くなんて俺たちにはできな――」
「カグラ!」
苦悶の表情を浮かべるシンカの口から出た強い言葉が、これ以上の問答は無用だといわんばかりにセリスの言葉を遮った。
この国の未来を変える為にも、この世界を救う為にも、ここで二人を失うわけにはいかないのだ。
「お姉ちゃんの言うこと……わかるわね?」
「……お姉ちゃん」
「それに私はまだ負けてない。諦めたわけじゃないわ」
腕は動かず、全身に走る痛みが途切れることはない。万全の状態で不覚を取り、負傷した腕が利き腕である以上、この状況を覆すのは容易なことではないだろう。
それでも琥珀色の瞳は不屈の色を宿し、エクスィを睨むシンカの瞳はまだ死んではいなかった。
左手をエクスィに突きつけ、その手から魔弾を放つ。
それをエクスィは不敵な笑みを浮かべたまま後ろに跳躍して軽く回避すると、大剣をそっと鞘へと仕舞い込んだ。
その隙にシンカは地面に転がった細剣を左手で拾いながら起き上がり態勢を整えるが、右手はだらりと垂れ下がり、見ていて痛々しいほどに青黒く変色している。
「ふ……ふふふ、アハハハハッ! お前は何を言ってやがんだ。負けてない? 負けてんだよテメェは! 諦めないだと? この状況でその台詞がでてくるたぁな。本当に――うぜぇ言葉だぜ」
言った瞬間、エクスィの雰囲気が明らかに変わった。今までの戦いを楽しむような空気はなく、僅かな殺意の色が見える獣のようなその両眼が、シンカではなくリアンたちを捉えた。
「こういうタイプは……周りからだな」
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