09.導きの示した協力者

 

 ――八月三十日


 ミソロギアの軍事施設は、川で区切られた北方の区画内に位置している。その裏手に広がっているのは、民間人にも開放されている美しい庭園。たくさんの種類の木々や花々に彩られたその庭園は、とても綺麗に手入れが行き届いていた。花の香と時折吹く爽やかな風は、ここに来た者の心を癒してくれるようだ。

 道なりに歩いていくと薔薇の花で覆われたアーチがあり、そこを抜けた先の空間は少しひらけた場所になっている。

 庭園の奥にあるその場所で、二人の男が組み手をしていた。

 上着の長さと細部は違うものの、青みがかった菖蒲色の服を身に纏っているということは、ミソロギアの軍人であることは間違いない。

 やり始めてかなりの時間がたつのか、二人ともすでに息があがっている。

 一人の男が右ストレートを放つが、もう一人の男がそれを左に避けながらその手を掴み、そのまま体重をかけて地面に押し倒した。


「いてててててっ!」


 倒された男が芝生を何度もタップすると、勝利した男が掴んでる相手の手を離して立ち上がる。


「やっぱリアンにはかなわねぇか」


 負けた男は起き上がりながら苦笑した。。

 鮮やかな裏葉色をした癖のある髪に整った顔つき。少したれ目気味なその容姿は、高い身長と相まって誰から見ても美形だろう。左の太腿についたホルダーには銃がしまっている。


「セリス、お前は伸し上がる意欲が足りないだけだ」


 リアンと呼ばれた男は薄い空色の長髪を金具で一束に括り、左肩から前に垂らしている。人懐っこそうなセリスとは対象的な鋭い目つきに淡々としたその口調は、近寄りがたさを感じさるものだった。左腰には一振りの長剣を携えている。


「そんなことねぇよ、毎日訓練だってしるしよ」


 整った顔立ちを崩し、拗ねた子供のようにぶすっとした顔で反論するセリス。

 黙っていれば見るからに爽やかそうな容姿とは違い、その中身が案外無邪気なのだというのが見て取れる。


「槍を捨てたお前に、近接戦闘で負けたら俺はどうすればいい。まぁ、戦において銃が有効なのは否定せんがな。お前にはやはり、昔のように槍を使ってもらわんと張り合いがない」

「……」

 

 その言葉にセリスはバツが悪そうに顔を俯けた。

 そんな彼を無視して、リアンは庭園をゆっくりと歩き出す。


「ま、待てよ。どこ行くんだ?」


 先を行くリアンの背を、セリスは慌てて追いかけた。

 質問に答えることなく歩き続ける背中を前に、セリスは小さく溜息を吐くと、両手を頭の後ろに組みながら空を見上げた。

 今日の太陽は雲に覆われており、この国の気候だからというのもあるが、夏だというのにそれほど強くない日差し。

 過ごしやすい日であるにも関わらず、どこか落ち着かない空模様だ。


「まぁいっか。そういや最近さ、あいつの夢を見るんだよ」

「お前もか」

「へぇ、二人そろってか。もうすぐ同窓会だしよ。もしかしたら会えるかもしれねぇな」

「会えるわけないだろ」


 笑顔で話すセリスにリアンは冷たく言い返した。事務的というか無駄を嫌っているかのようなそんな性格が垣間見えるも、こちらは見た目通りといったところか。


「やっぱだめか……まぁ、それでも楽しみだぜ。みんな元気にしてっかな」

「セリス」

「なんか今日は曇って……ん? なん――」


 少し前を歩くリアンに顔を向けながら「なんだよ」と言おうとしたセリスの声が途切れる代わりにゴンッと、とても鈍い音が響いた。


「ッテー!」


 鈍い音が響いた直後、セリスが額を押さえながらその場に蹲る。

 空を見上げながらのんびり歩いていたセリスの前には、発光石の取りつけられている金属の柱ポールが立っていた。

 そこに額をぶつけたであろう音から推測するに、かなり痛かったに違いない。


「危ないぞ」

「言うのがおせーんだよ!」


 見下ろしながら呟いたリアンに、額をさすりながら立ち上がって叫んだセリスの目尻には、少しだけ涙がにじんでいる。


「普段から注意力の足りんお前が悪い」

「でもよ、もっとこう……ソフトに言えないのか? お前は」

「言う必要がない」


 きつい一言を当たり前のように投げかける。

 相変わらずの素っ気ない幼馴染の返事に、セリスは溜息を漏らした。


「はぁ……お前って本当に――っ!」


 後ろの茂みでした小さな音と共に、セリスが何かの気配に気付いて距離をとる。


「こそこそしてないで出てこい」


 言って、リアンは静かに振り返った。

 すると、茂みの陰から出てきたのは二人の少女――シンカとカグラだった。

 その様子はどこか緊張しているようで、表情が強張って見える。


「少し前からずっとつけていたな。なんのつもりだ?」

「え? まじかよ」


 リアンの言葉に反応したセリスは驚いた表情を見せた。

 どうやらリアンはセリスよりも前から気付いていたようだ。


「組み手の時からだ。場所を変えてもついてきたということは、俺たちに用があるようだな。手短にしろ」

「なんだよ、教えてくれてもよかっただろ」


 急に歩き出した原因がわかると、セリスは口を尖らせながら不満げな声を漏らした。


「常々言っている。お前は注意力が足りんと」

「ぐっ、ぬぬぬぬぅ……」


 その言葉に何も言い返せず、悔しそうに眉を寄せながらセリスが唸る、が……


「で、何用だ?」


 そんなセリスをまったく気にも留めず、リアンはシンカたちへと用件を促した。


「貴方たちにお願いがあって来たの。まずは単刀直入に言うわ。力を貸して欲しいの。内容は――」

「断る。行くぞ、セリス」

「え…………?」


 あまりにも早すぎるやり取りに目が点になり、ぽかんとした表情を浮かべる二人の少女。予想外の対応にその場を動けず、ただただ固まっていた。

 まさか、話をする前にいきなり断られるとは思いもしなかったのだろう。


「ちょっと待てよ」

「なんだ」


 その場を去ろうとするリアンを慌てて止めたのはセリスだ。


「話くらい聞いてやろうぜ」

「聞いても結局断る。お互いにとって時間の無駄、無駄な労力だ」

「少しだけでもいいの! お願い」

「お、お願いします!」


 シンカたちが頭を下げて懇願する。その様子からは真剣さが窺えた。

 確かにリアンの言う通り、話をしても結局断るつもりだというのなら話をするだけ時間の無駄なのかもしれない。

 しかし、シンカたちにとっては話をしなければ前には進めない。話を聞いて信じる信じない以前に、話を聞いてもらえないというのは問題外だ。

    

「真剣そうじゃねぇか。何かよっぽどの理由があんだよ」


 リアンの肩に手を置きながら頭を下げた二人を見るセリスの瞳からは、なんとかしてやりたいという気持ちがひしひしと伝わってくる。


「ならばセリス。その余程の理由があるような出来事に自ら関わりたいのか? この都市には民間人向けの相談窓口もある。公的なものならそこを通せばいい。通せないようなやばい話はごめんだ」

「そ、それは……俺たち個人にだな」

「初対面で、か? 論外だ」


 そう言いつつ、再び歩き出そうとしたリアンの足を、


「っ……ちょっと待って!」


 シンカのさらに必死になった声が止めた。


「悪いが説得しても無駄だ」


 背を向けたまま振り返りもせず冷たく言い放ち、まったく取りつく島もない。


「でも貴方たち二人の力が必要なのよ! 二人はこの国が好きでしょ?」

「どういうことだよ」

「このままじゃ、この国が……」

「見くびるな。お前たちと協力せずとも、この国を守るのが俺たちの仕事だ」

「そうだな。何があっても守ってみせるぜ」


 前に突き出した左手の親指を立てながら、笑顔で応えるセリスを見て、シンカは少し俯きながらその言葉を否定した。


「無理よ。後手に回ると確実に救えない」

「で、お前たちと手を組めば確実に救えるのか?」

「それは……で、でも被害は最小限にできるはずよ!」


 必死に説得しようとするシンカを、カグラは握った拳を胸に当てながら見守っている。

 リアンとセリスは最後の頼みの綱なのだ。ここで挫けるわけにはいかなかった。決して諦めるわけにはいかない。

 しかし、それはシンカたちの勝手な言い分であり、それがリアンたちに伝わるかとどうかは話が別だ。


「なんの信憑性もない話を信じることはできんな。逆の立場で考えてみたらどうだ? お前は見ず知らずの人がそんな話をして信じるのか?」

「……っ」

「お姉ちゃん……」


 人を簡単には信用できないシンカにとってそれは辛い一言だった。

 何も言い返せず、そのまま押し黙ってしまう。


「おい、リアン。もう少し言い方ってもんが――」

「いいの、リアンさんの言う通りよ。はぁ……ロウさんの言ってたことは本当だったわね。確かにリアンさんは手強いわ」


 フォローを入れようとするセリスの言葉を遮り、シンカは少し苦笑した。

 すると、彼女の言葉にリアンとセリスが強く反応する。


「おい! 今なんて言った!?」

「あ、えっ? リ、リアンさんは手強い……」


 勢いよくシンカに問いかけてきたセリスの形相は、鬼気迫るものがあった。

 いきなり変わった態度に、シンカは戸惑いながら答えるものの、


「違う! もうちょい前だ! それにリアンは手強いってか単に頭がカチコチなんだ!」

「おい……」


 低い声音に冷静な口調で、リアンが静かに振り返った。 


「なっ! 悪気があったわけじゃないぞ!? 勢いあまってついってかなんていうかだな!」


 焦ると共に言い訳をしながら振り返るものの、リアンはそんなセリスを無視して横を通り過ぎ、シンカの前に立った。

 リアンの鋭い視線がシンカを真っすぐに見据えている。威圧してるかのようなその視線に、降魔すらも恐れなかった少女が思わず半歩後ずさった。


「え? ん? お?」


 てっきり怒られると思っていたセリスは、自分を素通りしていったリアンを視線で追いかけながら、拍子抜けな様子で間抜けな声を漏らしている。


「俺の聞き間違いでなければ今、ロウ……と。そう言ったのか?」

「え、えぇ……言ったけど」

「実際に会ったのか? どこで会った?」


 努めて冷静に話す声とは裏腹に、リアンの瞳は真剣で熱を帯びている。その双眸は少し怖いほどだった。

 そんなリアンに気圧されるかのようにシンカが息を詰まらせると、シンカの横に並んだカグラが代わりに答える。


「こ……ここに来る前に立ち寄った町です。ロウさんがミソロギアの軍にお二人がいると教えてくれて。わ、私たちはそれを頼りに」

「ロウが……近くに」


 セリスの声色も今までとは打って変わり、そう静かに呟いた。


「この話にロウは絡んでいるのか?」

「……絡んでたら協力してくれるのかしら? でも、ごめんなさい。ロウさんは絡んでないわ。手助けをしてくれるって言ってくれたのを……私が断ったから」


 十数日前に別れた時のことを思い出したのだろう。リアンの問いに答えたシンカの顔が少し歪む。その顔からは後悔のようなものが感じられた。

 しかしそれは、ロウがいたら話が円滑に進んでいたはずだ、といった後悔ではない。

 ただ純粋に、優しく接してくれていたロウと、もっと違った別れ方もできたのではないかという後悔だった。 


「ロウがお前たちの手助け? そうか……あいつが」


 これまでの淡々とした口調ではなく、熱のこもった声。


「こりゃ決まりだな」


 今までずっと無表情だったリアンの口元に、少しばかりの笑みが零れる。

 リアンに続くように、セリスもその笑顔をシンカたちへと向けた。


「……いいだろう、話は聞いてやる。ついてこい」


 言ってリアンは庭園の出口の方へ足を向けて歩き出す。


「え……いいの?」


 どういった風の吹き回しなのか、急に態度を変えたリアンに唖然とする二人の少女。

 しかしどんな理由があるにせよ、話を聞いてくれるというのは二人にとって僥倖だ。この様子なら、力を貸してくれる可能性は決して低くはないだろう。


「気が変わらないうちに来るなら来い」


 リアンは振り返りもせずにそう告げると、その足を止めることもなく歩いていった。


「ありがとう!」

「あ、ありがとうございます!」


 シンカとカグラが顔を見合わせて笑いあう。その笑顔は本当に嬉しそうだった。

 リアンとセリスの軍での立ち位置しだいではあるが、この二人を説得することができれば、このミソロギアを、いや、この国を救うことができるかもしれない。

 シンカたちはこのとき、自分たちの目的へと大きな一歩を踏み出たのだ。

 今の二人の胸は喜びに満ちていた。


 そして先を歩くリアンとセリスに急いで追いつくと、シンカはふとロウのことを考えた。

 ロウと別れてからもうすでに二週間が経とうとしている。

 しかしその間、いくら忘れようとしても駄目だった。

 たった一日程度の時間しか共に過ごしていないにも関わらず、何度も何度も思い出してしまうのだ。

 助けてくれた夜のことを。

 灯篭を流した海でのことを。

 迷子を助けた優しい微笑みを。

 別れ際のあの表情を。

 シンカの頬に触れたあの手の感触を。

 そう……忘れられないのだ。

 涙も流れていない、泣いてなんていないシンカに言ったあの言葉を。


”――どうして……君は泣いているんだ?”


 どうしても、忘れることができなかった。



 …………

 ……



「いやぁ~、すまなかったなぁ。手伝ってくれて助かった」

「いや、俺は何もしていない」


 商業路の脇に馬車を止め、立ち話をしているのはロウとプネブマだった。

 

「見た目も中身も変わらんな、お前は。そういえば護衛してもらってる間、一度もハクを見かけなかったが元気にしてるのか?」

「ハクは自由だからな」

「はははっ、あいつも変わらんか」

 

 ロウとプネブマは過去にちょっとした縁があった。

 つい先日、約二年振りに再会し、たまたまというか半ば強引に押し切られた形で仕事の手伝いを受けた、今はその帰り道。

 強引とはいえ一応給金は出してもらえるのだから、ロウからしてもありがたい話ではあった。なにより、プネブマにはよくしてもらった恩もある。

 最初は久し振りの再会も相まってかその勢いに戸惑いもしたが、きちんと話をしてくれていたら、給金など関係なく手伝うことに異論などなかった。

 しかし、労働には見合った報酬が必要だと言われ、これもまた半ば強引に渡された給金を、ロウがありがたく頂戴したところだ。


「とりあえず、お前の調子が大丈夫なタイミングでよかった。最近は本当に物騒だからな。俺の生徒が人攫いにあったらって思うと、生い先短い俺の寿命が削られていくばかりだ。さっさと軍が捕まえてくれればいいんだが……」

「プネブマの方こそ相変わらずだな」

「はははっ、先生だからな! それじゃあ、名残惜しいが俺はそろそろ行くとしよう。カルディア家にこの馬車を返しておかないといけないからな」


 言って、プネブマが馬車の前部に乗り込んだ。

 仕事の手伝いをしてくれたお礼に、ロウの目的地まで送ると言ってくれたプネブマだったが、彼の目的地であるカルディア家からは道がそれてしまう。お礼の給金はありがたく受け取ったのだから、そこまで世話になるわけにはいかない。

 プネブマは手綱を握ると、遠くまで続く道の先を見つめながら静かに声を漏らす。


「二年前と違って、今のお前の眼は何かを見つけたようにみえる」

「……あぁ」

「以前のお前はずっと何かを求めてるようだった。見つけた何かがなんなのかはわからんが……不可能だなんておもうなよ。可能性は誰にだってある。努力が報われる保証はないが、報われるのは限って最後まで諦めなかった奴だけだ」

「先生らしいことも言うんだな」

「先生だっての」


 可笑しそうに微笑むと、プネブマはロウを見下ろした。


「最後に聞いてもいいか? ロウ……お前は、どこに向かってるんだ?」

「鈴の音が呼ぶ方へ」

「……」

「そこにはきっと、俺にしか辿り着けない景色がある」


 プネブマの瞳を真っすぐに見据え、ロウは静かに答えた。

 迷いのない黒曜石のような瞳の奥に見えたのは、紛れもない確かな覚悟だ。

 そんなロウにプネブマは小さく苦笑して見せると、小さな声で呟いた。

 

「……そうか。やっぱり……お前は変わらんな」

「ん? 何か言ったか?」

「いや、なんでもない! 次に会えるのを楽しみにしてるぞ!」


 にっと歯を見せながら満面の笑みを浮かべ、プネブマは握った手綱を振り下ろした。

 荷車の音と馬の足音を聞きながら、遠ざかっていく馬車を見送っていると、


の貴方でさえも、あの人たちのことで頭がいっぱいなんですね」


 当然背後から聞こえた声。

 驚いた表情でロウが振り返ると、そこに立っていたのは一人の女だった。

 黒く長いドレスローブを纏い、貴婦人を連想させる鍔の広く大きなヴェールのついた帽子に束ねた髪を押し込んでいる。その姿はまるで、意図的に姿を隠しているようにも見受けられた。


「……貴女は?」

「私の名前はミオ。この名をどうか、忘れないでくれると嬉しいですね」


 そう言ったヴェールの奥の口許が、小さく微笑んだような気がした。

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