03.朧月夜と神の歌

 すでに日付は変わり、森は一面暗闇に覆われている。

 静寂に包まれたこの空間の中で、パチパチと焚火たきびの音だけが聞こえていた。

 焚火の周りでは、数本の串に刺さった魚がその火に焼かれている。

 そこに座っているのは一人の男だった。


 手元に向けられているのは、夜の色よりも深く、鋭さとどこか寂し気な色を同居させた黒曜石こくようせきの瞳。漆黒の髪の下、右側だけ少し長く伸びた二束の髪は綺麗な金色と銀色の輝きを見せている。掻き上げられた左側の髪から見えるのは、透明の結晶のようなピアスと、どこか不自然さの感じられる金具だ。


 髪と同じ色味の丈が短い上着の襟は高く、下には紅い組紐くみひものついた腰を覆うような黒の外套。上着と外套の隙間から僅かに覗く紅い生地はあるものの、全身が黒に包まれたその姿はこの暗闇の中で闇そのものを連想させる。


 左手首には何か花のようなものを模した浮彫細工レリーフの施された細身の腕輪バンクル

 男のすぐ脇に置かれているのは、白い飾り紐で鞘と柄を抜けないように絡めた一振りの黒刀だ。


 そんな男の傍らには、うなされながら横たわるシンカの姿があった。


 手にしたペンの先を口元に当てると、すぐ上で聞こえた羽音に視線を上げる。木に止まっている何かを確かめるように男が少しばかり目を細めると、その場の二人を木にぶら下がりながら見下ろしている一匹の蝙蝠と視線が合った、ような気がした。


 綺麗な石の埋まった首輪のようなものをしているのを見るに、おそらく野生ではないのだろうが、首輪をつけた蝙蝠というのも珍しい。

 などと思いながら、男は再びシンカの方へと視線を戻した。

 そして手にしていた手帳をパタリと閉じると、ちょうど後ろから聞こえた少女の声。


「あ、あの……お姉ちゃんの様子はどうですか?」


 水の入った水筒ボトルを持ってきたカグラが、その水筒を男に渡しながら心配そうに尋ねた。


「ありがとう。嫌な夢を見てるのかずいぶんうなされてる」


 男は受け取った水筒を傾け、水で濡らした布を絞るとシンカの額にそっとのせた。


「ん……」

 

 気がついたのか、シンカの閉じた目がきゅっと締まり、少しだけ眉をしかめた。

 長い睫毛がゆっくりと持ち上がっていく。


「目が覚め――」


 途端、シンカの顔を覗き込んだ男の台詞が途中で切れた。


「きゃ―っ! ロ、ロウさん!」

 

 すかさず上がったカグラの悲鳴が、いったい何が起きたのかを雄弁に語っていた。


「だ、大丈夫ですか!? しっかりして下さい!」


 慌ててロウと呼ばれる男に駆け寄り、カグラはぴくぴくと僅かに体を痙攣させている彼を抱き起した。

 カグラがつい悲鳴を上げてしまったのも無理はない。なにせ自分の姉が、看病をしてくれていた男の頬を思い切り殴り飛ばしたのだから。


「ここは……私……ッ!」


 起き上がろうとした瞬間、体中に走る鈍い痛みに顔をゆがませながら、シンカはゆっくりと上半身を起こした。

 気を失う直前までの記憶はある。この痛みはマークイス級と戦い、無残にやられた証拠だ。

 視線を横に向けると、ロウの横であたふたとしているカグラの姿が視界に映った。


「……カグラ。私たちはいったい……その倒れてる男は誰なの?」


 ロウの倒れてる原因がよもや自分とは思いもしないのだろう。

 先の拳も、目の前にまだ降魔がいると思い込んでいたが故に、咄嗟に飛び出したといったところか。


「お、お姉ちゃん! い、いきなりぶつなんてひどいよ!」

「私が? そう言われてみれば、何かを殴ったような気が……しないこともないような。ん~……?」

「思い切り殴っただろ!」

「きゃっ!」

「――っ!」


 突然叫びながら勢いよく体を起こしたロウに、カグラが一瞬驚きの声を上げた。

 その声にすかさず反応したシンカが、咄嗟に傍に転がっていた小石をロウの額に投げつけた。素晴らしいコントロールと速度だ。

 小石がロウの額に直撃すると、ロウは短い悲鳴を上げて後ろへと倒れた。


「も、もう! お姉ちゃん!」

「ごめんなさい、ついなんとなく」


 慌ててカグラがシンカへと戸惑いの視線を送るも、謝罪を述べた言葉には何の感情もこもってはいない。つまり、なんら反省していない様子でシンカは答えた。

 それどころかむしろ、いぶかし気な視線をロウへと送っている。


「いきなり殴った上に、ついなんとなくで石を投げつけるのか、君のお姉さんは」


 ロウは額を押さえながら、今度はゆっくりと姿勢を起こした。

 学習もせずカグラを驚かせ、再び石が飛んで来たらたまったものではない。


「ほ、本当にごめんなさい。お姉ちゃんも悪気があったわけじゃ……。お姉ちゃん、ちゃんと謝って。この人は私たちを助けてくれたんだよ?」

「助けた? この人が私たちを? へぇ……貴方が……」


 ただでさえ訝し気に見ていた、少女にしては鋭い目をより一層細める。

 しかし、その反応も当然といえるものだった。

 世界が降魔こうまを認知していないのと同時に、世界でシンカのような魔力を扱える人間は、珍しいという言葉で片づけるにはあまりに稀有けうなものだ。

 普通の人間は自分たちにも微かとはいえ、魔力が備わっていることを知りもしない。


 事実、シンカは今までに魔力を扱える人間と出会ったことはないし、それを探すことこそが旅の目的の一つでもある。

 先の町でカグラの導きの札カードに名前の浮かんだソティスとエリスいう人物も、導きの札カードが示したからにはきっとその稀有な存在なのだろうとシンカは予想していた。


 目の前にいる男が仮にソティスなら、降魔から救い出してくれたのも頷けるものだったが、名前も違う上にロウからは強い魔力が感じられない。

 あの状況からどうして今の状況になったのか、シンカにとっては不思議でならないだろう。


「俺は気絶した二人を見つけたから介抱していただけだ」

「そう……一応お礼は言っておくわ。後、さっき石を投げたのは貴方がいきなり起き上がって私の大事なカグラを驚かせたものだからついうっかり投げてしまったのごめんなさい」

「あ、いや……いきなり起き上がって驚かせてしまった俺が悪かった……かもしれない」


 なぜかいきなりまくしたてるようなシンカの口調に、ロウは戸惑いながら答えた。

 苦笑するその額には、少しばかり脂汗が浮んでいる。

 

「ロ、ロウさんは何も悪くありませんから。本当にお姉ちゃんは……もう」


 本当に申し訳なさそうに困った表情を浮かべるカグラ。

 それを見たロウは問題ない、というように少し微笑んだ。


「カグラ、そんな男の傍にいないでこっちに来なさい。すぐにここを……ッ!」


 言い切ることもできず、片目を閉じて苦痛に顔を歪ませる。それでも立ち上がろうとするものの、やはり痛みで立ち上がることはできなかった。

 マークイス級相手にあれだけ手酷くやられたのだ。いくら常人よりも遥かに身体能力や自然治癒力が高いシンカでも、そう簡単に完治できるものでもない。

 

「そんなに無理をするな。今は安静にしてるのが一番だ」

「余計なお世話よ。これ以上私たちに関わらないで」

「ずいぶんと嫌われたものだ」

 

 まるで傷ついた獣の如く他者を寄せつけようとしないシンカに、ロウは苦笑いを浮かべて返した。


 ペルセの町でディーヴァの歌を聞いていた時に浮かべていた柔らかい表情も、チュロスを買った時に見せた優しい表情も、馭者と会話していた時の少し楽しそうな表情も、今のシンカからは想像もつかないほどにかけ離れている。

 得体の知れない男を前にしているのだから、それも当然といえば当然なのかもしれないが。


「お姉ちゃん、そんな言い方って……ロウさんは――」

「カグラ」


 シンカはカグラの言葉を最後まで聞かず、強めの口調でそれを遮った。

 悲し気に目を伏せるカグラを見て胸の奥が少し痛むものの、大切な妹だからこそ、目の前の男に対して警戒を怠るわけにはいかないのだ。


 すると、ロウはそんな二人を前に苦笑しながら話しかける。


「俺が二人に危害を加えるつもりならとっくにやってる。敵だとしても二人が無事な時点で、今すぐ二人をどうこうするつもりはないということだ。仮に油断させてなんらかの情報を得るためだと心配するなら、二人は俺の質問に何も答えなければいい」

「それは……」


 ロウの的を得た意見にシンカは言葉を詰まらせる。

 気まずそうに視線を逸らしたシンカを見るカグラの瞳は揺れていた。

 自分に見せる姉の表情からかけ離れたその態度に、理由があるとはわかってはいても、それを素直に呑み込めるかはまた別の問題だった。


「それとも……今すぐやるか?」

「ロウ……さん?」


 ロウがカグラを抱き寄せ、魚に刺さっていた串をカグラの首元に突き立てる。

 顔だけ振り返ったカグラの瞳が僅かに大きくなると、小さな口から漏れたのは掠れた声だった。


「カグラ! ッ、……あっ」


 動こうとするが痛みで動けないシンカを見てロウは、現状についていけずにただ唖然とロウを見上げていたカグラをすぐさま解放した。

 そして串を地面に置き、両手を軽く上げて首をすくめると小さく息を吐き出した。


「はぁ……ほらな。そんな状態じゃどこにもいけないし、何もできない」

「くっ……」

 

 図星をつかれたシンカが、ロウを恨めしそうに睨みつける。


「そう怖い顔をするな。とりあえず今は食べて休め。あまり無理をするものじゃない」


 そう言いながらロウはシンカに近づいて、串に刺さった魚を差し出した。

 ちょうどいい焼き加減の魚からは香ばしい匂いが漂っている。

 その匂いを嗅いで、シンカは自分が空腹だったことに気がついた。


「貴方さえいなかったらとっくに……」


 カグラの力でして元気になってる、と言おうとした言葉をシンカは呑み込んだ。いまだ得体の知れないロウに対して、カグラの持つ能力をおいそれと話せるものではない。


 降魔との戦いに向いていないカグラの能力は治癒だ。

 今回初めて遭遇したマークイス級には手酷くやられたが、今までにシンカは大きな怪我を負うようなことはなかった。

 だからカグラの力の上限を知る由もないが、命に関わるような怪我でなければ、おそらく完全に治すことができるだろう。


 普通の人から見たらそれは奇跡の力に相違ない。心ない者に知られれば、カグラの身に危険が迫るとも限らないのだ。

 シンカはきゅっと、下唇を噛み締めた。


「ん?」

「なんでもないわよ」


 首を傾げるロウを誤魔化しながら、シンカは差し出された魚をそっと受け取った。そしてなおも警戒の瞳を向けながら……


「……毒なんて入ってないわよね?」

「心配するな。さっきも言ったが、殺す気なら最初からそうしてる。気絶してる間にナイフで一突きの方が確実だしらくだろ?」

「そう……だけど」

「だったら心配するな」

 

 納得したのか、シンカは無言で魚を食べ始めた。小さな口をもぐもぐと動かし、一生懸命にお腹を満たそうとしている。

 ロウにとってその姿は、棘をなくした少女らしい年相応の姿だった。

 つい優しい微笑みを浮かべてしまうのも仕方のないことだろう。


「ロウさん。あ、あの、ありがとうございます」


 カグラはほっとしたような表情を浮かべると、ぺこりと小さな頭を下げた。


「これくらいなんてことない。それよりもカグラちゃんとはもう済ませたが、自己紹介がまだだったな。改めて俺の名前はロウだ、よろしく」

「……シンカ」

 

 小さな声で、ぼそりと呟くように答えた。


「シンカにカグラ、か。姉妹揃っていい名前だな」

「……そ」


 目を逸らして素っ気ない返事を返すシンカの頬は、僅かながら赤らんで見えた。それが照れたからなのか、焚火に当たっているせいなのかはわからないが。

 そんなシンカを見たロウとカグラは、互いの顔を見合わせて微笑み合った。


「じゃあ俺は先に休むぞ。何かあったら遠慮なく起こしてくれ」


 そう言って、ロウは刀を懐に抱えたまま側にある木にもたれかかり、静かに両眼を閉じた。

 そんな彼を横目で見ていたシンカが、自分にかけられている薄手の毛布に視線を移す。

 そして自分の横にはカグラのためか、もう一つの毛布が綺麗にたたまれていた。


「お姉ちゃん」

 

 カグラが優しく声をかける。

 この状況でカグラが何が言いたいのかは、たとえ姉妹でなくてもわかるだろう。


「……い、一応お礼は言っておくわ。その……あ、ありがとう」


 恥ずかしいのか、頬を少し赤く染めながらシンカがお礼の言葉を漏らす。

 その声は聞き逃すほどに小さかったが、確かな気持ちが込められていた。

 それに対してロウは目を閉じたまま軽く微笑んで一言、「気にするな」とだけ答えた。

 

 …………

 ……


 静かな夜にパチパチと焚火の音だけが聞こえてくる。

 その傍らで二人の姉妹は、ロウに与えられた毛布に包まって横になっていた。


「この人、いったいなんなのかしら。降魔が私たちを置いて消えるわけないし。それに、意識を失う前に聞こえたあの音……」


 視線をロウの懐に抱かれた刀に向ける。

 白い紐で巻かれたその刀の柄には、一つの小さな鈴がぶら下がっていた。

 それは美しい漆黒の鈴。


 しかしその美しさとは裏腹に、その鈴の音はロウが刀を持って動いている間ですら、一度も綺麗な音を響かせることはなかった。

 中に何かが詰まっているのか、鈍いその音はとてもあの時に聞いたような澄んだ音ではない。


「ロウさんが倒したのかな?」

「まさか、それはないわ。あの降魔を倒せるほど強いなら、私の投げた石に当たるわけないでしょ? それにあんな状態の刀が抜けるわけないわよ。なんのための刀なんだか」

 

 カグラの問いに、シンカは呆れた顔で溜息を漏らしながら答えた。

 降魔の中でも階級の低いナイト級やバロン級なら、たとえば軍に所属するような手練れであれば相手にすることもできるだろう。それでも、見たこともないような異形を前にして冷静に戦えるとも思えない。

 ましてや、カウント級以上は魔力を扱う個体である上に、今回シンカが相手にしていたのはマークイス級だ。

 

「そうだよね。降魔の存在自体、まだ世間では知られてないし。私たちみたいに能力が使える魔憑まつきだって、実際はどれだけいるのか……」

「そうね。普通の人が降魔を見たとしたら冷静でいられるわけがないわ。だいたい戦ったとしても、魔憑でもない人がまともに戦えるわけないもの」


 ――魔憑まつき……常人を逸した稀有な存在。

 それはシンカたちのように、魔力を扱うことのできる者たちのことをいう。

 扱う能力は個々によって異なり、自然系である炎や風を扱う者から、自身の強化、カグラのように戦闘向きでないものと様々だ。


 魔憑は普通の人に比べ、純粋に力が強く、俊敏で、打たれ強い上に体力も自然治癒力もきわめて高い。

 その差はあまりに圧倒的だ。決して、努力で埋まるほど小さなものではない。


「うん。だから私たちはこうして旅をしてるんだもんね」

「他人に対してあまり気を許したらだめよ。何を考えてるかわからないんだから」


 そう乱暴に言ったシンカは気付いていないものの、そんな彼女の横顔をカグラは悲しそうに見つめていた。


「でもね、なんだか……いい人な気がする」

「私たちは導きだけを信じていたらいいの。一晩寝たら体もずいぶん楽になるわ。そしたらすぐにお別れよ」


 カグラの言葉に素っ気なく返すシンカだが、シンカの中にも思うところはあった。

 自分でそう言いつつも、胸の奥から込み上げる何かが訴えかけてくるのだ。

 込み上げてくる懐かしさのような優しくも温かい感覚に、つい甘えてしまいそうになるものの、これ以上大切なカグラを危険に晒すようなことはできない。

 他人に気を許して、万が一があってはならないのだ。

 自分にそう言い聞かせ、シンカは込み上げるそれを心の深くへと無理矢理押し込んだ。

 

「そう……だね。ねぇ、お姉ちゃん。歌……聞きたいな」


 そう言って、甘えるようにシンカへと寄り添った。

 シンカはそんなカグラの頭を愛おしそうに優しく撫でる。

 その瞳にロウへと見せた棘はなく、純粋に妹を想う優しい姉の瞳だった。


「カグラは何も心配しなくていいのよ。私はこうして生きているわ」

「私ね、気絶してる間にまた夢を見たの。いつもの夢」

「そう……」

「苦しんでる人がいるの。大切なものを守るために何度も何度も戦って……それでも一度も闇には勝てない。それでもその人は決して諦めないで、その運命に抗って、必死に大切なものを守るための道を探すの。とても長い時をずっと……ずっと。ねぇ、本当にそんな人がいるのかな? もしいるなら……私は……」

 

 今にも泣きだしそうに顔をしかめたカグラを、そっとシンカが自分の胸へと抱き寄せる。


「大丈夫。私たちのしていることは、きっとその人の助けになるわ」

「そう……だね」


 少し落ち着いたカグラを見てシンカは少し微笑むと、優しい声で静かに歌い出した。カグラは両眼をそっと閉じて、静かにその歌声に耳を傾ける。


 その音色はとても優しいものだった。

 小さい声にも関わらず、どこまでも届きそうなほどに綺麗で曇りのないその澄んだ歌声を聞くと、誰しもがその足を止めて振り返るに違いない。

 濁った心も癒され、きっとその歌声を忘れることはないだろう。

 そう思わせるほどにとても美しかった。


「カグラ……?」


 しばらくして胸元へと視線を下すと、そこには静かに寝息をたてているカグラの姿。

 その寝顔はとても穏やかで、それを見たシンカは途端に安堵した。

 よかった、と。大切なこの子を失わずにすんで、本当によかったと。

 何度も何度もその幸福を噛み締めた。


「おやすみなさい」


 優しくカグラに微笑みかけたシンカも安堵したせいか、急に襲ってきた睡魔に身をまかせ、静かに両眼を瞑って眠りについた。


 その光景をそっと見ていたこの男、ロウはいったい何を思ったのか。

 夜空を見上げたその表情は、とても寂しそうで悲しげで……

 今にも消えてしまいそうなほどに儚かった。

 空には雲の隙間からうっすらと淡い光を零す月。

 眠ったシンカが苦しそうに呟くうわ言を聞きながら、空に浮かぶ月をロウはただただ切なく見上げていた。


 

 …………

 ……


 

 円柱状の建物が集まったような美しい宮殿。その屋根は半球状から円錐状えんすいじょうと様々で、中央の一角は開けており、綺麗な庭が広がっている。


「お呼びでしょうか」


 そんな宮殿内の一室。部屋は薄暗く、窓からは少しの光が射すだけだった。

 そこに一人の男が呼び出されていた。

 無邪気さの残るコバルトブルーの瞳の中に映るのは、窓際に立った一人の女性が静かに外を眺めている姿だ。

 綺麗な長い髪、後ろからわかるのはそれくらいのものだろう。

 だが、それだけでも絵になるほどの美しさを秘めている。


「あの……」


 返事のない女性に対し、男は再度呼びかけた。


「すみません。少し考え事をしていました」

「いえ」

「貴方にはこの音が聞こえますか?」


 女性の急な問いかけに男は戸惑いを見せる。

 なにせ静寂に包まれ、自分と目の前の女性以外誰もいないこの空間で、何一つ音など聞こえないのだ。


「いえ、特には何も聞こえませんが。いったいどのような音なんですか?」

「……鈴の音。とてもか細く、今にも消えてしまいそうな儚い音色……」

「鈴の音、ですか」

「貴方にそれを」


 女性の言葉に、男は近くにある小さな机に置かれていた封書に視線を送る。

 封筒の閉じ口には、月と薔薇の紋章のような刻印が押されていた。


「貴方が七年前の出来事をまだ追うと言うのならそれを。それを受け取るかどうかは貴方の自由です」

「まさか……」


 微かに男の口からもれた小さな声は震えていた。

 しかし、男の声に女性は何も答えない。

 背を向けたまま、静かに窓の外を眺めたままだ。


「月の恩寵……謹んで頂戴します」


 男は一礼後に部屋を出ると、廊下の壁に背をあずけてゆっくりと息を吸い込む。 

 そしてそれをゆっくりと吐き出すと、手にした封書を眺めてぽつりと一言呟いた。


「……やっと見つけたぞ」

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