02.侯爵級との力の差

「マークイス……級……。人の言葉を話す降魔こうま……嘘でしょ」


 降魔はマークイス級以上になると知能を持ち、人語を話すことは知識として知っていたが、シンカがその個体と直面したのはこれが初めてだった。

 といっても、マークイス級は会話が完全に成立するほどの知能は持ち合わせていない。思考が単純な相手であればやりようはある。

 シンカは気持ちを即座に切り替えながら相手を見据えた。

 世界の滅び行く運命を変えようとしているのに、こんなところで躓いてはいられない。そう自分に言い聞かせ、シンカは細剣を構えた。


「……エサ」

「女性を餌呼ばわり? 失礼しちゃうわね!」


 シンカは細剣を持った右手を引きながら、マークイス級へ向かって駆け出した。そのまま渾身の力で突きを放つが、そこにマークイス級の姿はすでにない。

 そしてシンカは最初から避けられることを想定していたかのように、伸ばしきった右腕を後ろに回転しながら振り抜こうとするものの、手にした細剣を振り切ることはできなかった。

 背後にいたマークイス級の腕に当たり、その剣身はぴたりと動きを止めている。シンカが細剣を引き、地面まで姿勢を低くした瞬間、さっきまで頭のあった場所にマークイス級の腕が風を切る音と共に勢いよく通過する。

 顔を上げようとした直後、マークイス級の足がシンカを捉えた。


「かはっ!」


 マークイス級の足がシンカの腹部を蹴り飛ばし、華奢な体が宙を舞う。

 空中で態勢を立て直し地面に着地すると同時に、そこに回り込んだマークイス級の蹴りがまたもやその体を吹き飛ばし、今度は立て直す間もなくシンカの体は地面を転がっていった。


「……女性をそんなに手荒く扱うなんて本当に最低だけど、どうやらその体はただの見せかけのようね」


 ゆっくりと起き上がり、シンカは平然とした口調で笑みを浮かべた。。

 しかし、今の攻撃が効いていないということはないだろう。それはただのやせ我慢にすぎず、肉体的勝負においての勝ち目は薄かった。

 勝機があるとすればそれは、シンカの能力を存分に発揮できる魔力戦。


「エサ……バカニ……シタ」


 マークイス級が右手を空に掲げると、そこに魔門ゲートと同じ紫黒色の大きな魔力の塊が出現した。

 先程のカウント級のものとは比べ物にならない密度だが、それを見たシンカはクスッと笑い、腕を前に伸ばして細剣を構えた。その切っ先には黒い魔力が漂っている。


「ずいぶんと可愛らしい魔力なのね。初めて見たマークイス級がこの程度だなんて、本当に残念だわ。ねぇ、それで私を殺せると思ってるの?」


 そう言ってシンカが見据えたのは、降魔の胸の中心部分。そこにあるのは丸く赤黒い、降魔の核と呼ばれるものだ。

 降魔にはそれぞれ必ず核が存在し、それ壊せば降魔の体は消滅する。

 肉体面で勝ち目のないシンカはカウント級を仕留めたときのように、どうしても一度きりの魔力反射カウンターで目の前の降魔を仕留める必要があった。


「コノテイド……ダト……オモウナ」


 シンカの挑発に激昂したマークイス級は、自身が作り出した魔力のかたまりの密度と大きさをさらに増加させ、それを撃ち放った。


「なッ、ちょっとこれは――ッ」


 構えた細剣をぐるりと回転させて発生させた黒い渦が魔力の塊を呑み込むものの、カウント級の炎の魔弾より、遥かに密度のあるそれを受け止めたシンカの表情が僅かにゆがんだ。


 カウント級とマークイス級の間にある力の差は理解していたつもりだったが、予想以上に膨らんだこれだけの魔力を受けきるには、彼女自身への負担もかなり大きなものになる。

 しかしシンカはそれを悟られぬよう、すぐさま表情を引き締め、


「私は……負けられないのよっ!」


 気合の声と共に、渦に呑み込んだマークイス級の魔力を増幅して解き放った。


「グガァァァ―――ッ!」


 耳をつんざくような大きな爆発音と共に舞い上がる砂煙。

 足の力が抜け、シンカは片膝をつきながらゆっくりと呼吸を整えていく。

 マークイス級になんとか勝つことができた。

 無事に乗り切れたと安堵したそのとき……少女は目の前の光景に目を疑った。


 薄くなる砂煙の向こう、そこには倒したはずの降魔が消滅せずに健在していたのだ。まったく無傷というわけではなく、片腕を失っているのを見るにかなりの深手を負わせることはできたようだ。だが……たったそれだけだ。


 マークイス級の魔力量となるとかなりのものになるのだから、それを増幅して跳ね返した以上、耐えられるものではないとシンカは確信していた。

 ならどうして目の前の降魔はまだ消滅していないのか。

 答えはいたって簡単だ。シンカが己が力を過信していたに過ぎない。


 これまで出会った降魔は、この技が決まれば確実に消滅させることができた。

 しかし、今シンカの目の前にいるのは初めて見るマークイス級。シンカは自らの力を過信していた上に、マークイス級の力を侮っていた

 その二つが招いた現状が今なのだ。

 シンカはこのとき後悔した。逃げるべきだった、と。


 相手は今の魔力反射カウンターを警戒しているだろう。二度と同じ手は通用しない。

 魔力反射カウンターが決まった瞬間、その隙に身を隠して逃げるべきだったのだ。

 だが、後悔してもすでに手遅れだ。

 マークイス級の目は逃がすまいといわんばかりに、シンカをまっすぐに見据えている。


 幸い、と言っても窮地に変わりはないが、マークイス級の消し飛んだ腕はその階級を表す石の埋め込まれたほうだった。

 あの石は魔力の回復を担っている。あれでは受けた損傷を回復することはできないだろう。逃げられないのであればやるしかない。


 シンカが覚悟を決めたそのとき、マークイス級が動き出した。


「オデノウデ……オデノウデ……オデノウデェェェ―――ッ!」


 悍ましい叫び声を上げながら、一直線にシンカに突進してくる。


「くっ!」


 マークイス級が振り下ろした腕を、シンカが細剣で受け止める。

 その衝撃でシンカの体が深く沈むが歯を食いしばって持ちこたえ、渾身の力で弾き返した。

 両腕が健在ならば受けきれなかったかもしれないが、片腕となれば平衡感覚バランスが崩れ、その腕に入る力も全力には到底及ばない。


 マークイス級は腕を弾き返されて体勢を崩し、核である懐をあらわにした。

 その瞬間をシンカは見逃さなかった。


「はぁあぁぁぁぁ――っ!!」


 すぐさま細剣に魔力を乗せると、銀色に輝く剣身が黒く染まり、弱点である核に向けて繰り出した鋭い刺突。

 その切っ先はマークイス級の核を捉え、深く突き刺さった。

 が、それと同時に背中に強い衝撃を受け、シンカの体が崩れて落ちていく。


「どう……し……て……」


 崩れゆく視界の先に見えたのは、核から数センチずれて刺さる細剣。

 マークイス級は細剣の切っ先が核へ届く瞬間、その体を僅かにずらし、弾き上げられた腕をシンカの背中に叩きつけていた。


 そしてシンカの襟の部分を掴み上げ、近くの大木めがけて投げ捨てると、力の入らないシンカの体は軽々と宙を舞い、その背中を強く打ちつけた。

 呼吸の止まったような短い悲鳴が上がる。


 マークイス級は胸に刺さった細剣を引き抜き、地面へと無造作に投げ捨てた。

 意識が朦朧とする中、シンカの瞳に愛おしい妹の姿が映る。

 いつの間にか荷台から外へ出たカグラが、そっとシンカの方へ回り込もうとしていたのだ――だが、マークイス級がそれを見逃すはずもない。


「モウ……一匹」

「ッ! だめ……カグラ……ッ!」


 シンカが振り絞った掠れた声はとても小さく、カグラの耳には届いていない。

 するとシンカの瞳に映っている、木々の影を一生懸命に走るカグラの姿が、マークイス級の体によって遮られた。


 カグラが一瞬息を飲んでその足を止める。

 カグラもシンカと同様に、その体に備えた魔力を扱うことができるが、彼女の扱える能力は戦闘向きではなく、こと戦闘においてはまったくの素人だった。


 そんな少女一人では時間稼ぎどころか、数秒の足止めすらできないだろう。それでも、今にも逃げ出したいほどの恐怖を懸命に呑み込み、カグラは目の前の降魔を睨みつけた。

 しかし、そんな少女の精一杯の威嚇など無意味であるかのように、無慈悲に振るわれた腕がカグラの側頭部に当たり、その小さな体を吹き飛ばす。


「――ッ!」


 たったの一撃で意識が遠のく中、カグラの瞳は降魔ではなくはシンカを見ていた。

 このとき、カグラは理解する。

 姉であるシンカの強さに、どれだけ自分が甘えていたのかを。

 カグラの中のシンカという存在はいつだって強かった。今までに幾度となく降魔を屠り、カグラを守ってきたのだ。その強さに甘え、自分で戦うすべを身に着けようともしなかった。シンカは絶対に負けないのだと信じていた。


 しかし、マークイス級の強さはそれを上回った。

 そして降魔の階級にはまだまだ上が存在するのだ。

 目的を達成するためにも、こんなことではいけなかった。甘えてばかりではいけなかった。シンカと共に戦える力を、カグラ自身も身に着けるべきだった。


 しかし、カグラの力は戦闘には向いていない。

 それを不甲斐なく思いつつ、祈ることしかできない小さな少女は――


「お姉……ちゃん。負けない……で」


 意識を途絶える前に残したカグラの弱々しい声が、シンカの頭の中で静かに響く。


「カ……グラ……?」

 

 目の前にはすでに意識を失い、ぐったりしているカグラの姿。

 その光景を見たシンカの意識が瞬時に覚醒し、鈍った体に鞭を打って飛び起きる。

 あぁ何をやっているのだ、とシンカは自分を責めた。

 何故、大切な妹があそこで横たわっているのだ。

 何故、自分はここで倒れていたのだ。

 

 ――私たちはこんなところで終われない、そう、終われないのだ。


 油断していたマークイス級を睨みつけ、丸腰のままシンカは突っ込んだ。

 マークイス級が腕を振るうが、姿勢を低くしてそれを躱すとその横をすり抜け、近くに落ちている細剣を拾うと即座に反転。回転を加えた勢いでマークイス級を下から斬り上げる。


 叫び声を上げながら再び振るわれたマークイス級の腕を、バックステップで躱しながら、剣先に溜めた黒い魔弾をすかさずマークイス級の懐へと放つ。

 腹部に直撃したマークイス級がたまらず膝をつき、体勢を崩したところにさらに追い打ちをかけようと剣先に魔力を込めるが、それをさせまいとすぐさま体勢を立て直し距離を詰めて来たマークイス級の蹴りを受け流したことで四散した。


 マークイス級がシンカに肉薄したまま腕と足を使って連続での攻撃を仕掛けるが、やはり片腕になったせいか、最初の時より速さも威力も失われている。

 シンカがその攻撃を躱しながら相手の隙を窺っていると、マークイス級は攻撃が当たらないことに苛立ちを募らせていく。


 そんな中、マークイス級の視線が倒れているカグラを捉えた。


 シンカの中に走る嫌な予感。

 マークイス級の次に起こすであろう行動をシンカは即座に予測し、手に持つ細剣を捨てて駆け出した。

 少しでも軽く、少しでも速く――でなければ間に合わない。

 そう判断したシンカの行動は迅速で、カグラを掴もうと駆けだし伸ばしたマークイス級の腕と倒れたカグラの間へと間一髪で割って入る。


 瞬間、マークイス級の伸ばした腕が、カグラを庇ったシンカの腕を掴み上げた。

 

「エ……サ。カイ……フク」

「くっ、離しなさい!」


 シンカの表情に焦りの色が見える。

 降魔からすれば、カグラであろうとシンカであろうと魔力を持つ人間である以上、どちらも等しく獲物エサなのだ。

 シンカは掴まれた腕を軸に蹴りを放つが、マークイス級はその腕を離さない。


「オンナ……ヒリキナ……メス」


 マークイス級は掴んだシンカの腕を高く持ち上げ、その手にさらなる力を加えてぎりぎりと締めつけた。


「ぐっ、あぁぁぁぁ……っ!」

 

 細い腕が軋みを上げ、苦痛の声を漏らすものの、それでも負けまいとマークイス級を睨みつけたシンカの瞳はまだ諦めてはいない。

 その目が気に入らなかったのか、シンカの腹部へと放たれる強烈な膝蹴り。


「かはっ!」


 不意に襲い来る、肺の空気だけなく臓器まで飛び出るのではないかと錯覚するほどの衝撃に、シンカの瞳が見開きその焦点が定まらず微かに揺れた。


「エサ……」

「はぁはぁ……誰が餌ですって? あんたなんかに……味なんてわかるの……かしらね」

「ガアァァァーッ!」


 激昂し、マークイス級は再びシンカの腹部へと執拗に膝を打ちつける。

 重なる痛みに歯を食いしばって耐えるも、どこか臓器を損傷したのだろうか。その口端から一筋の血が流れ落ちた。


「ッ……降魔ごときに私は……もったいないわ。さっさと……離しなさ――ッ」


 シンカの言葉を最後まで聞かず、マークイス級は彼女を地面へと叩きつけた。


「はぁ……はぁ……」

「オトナシク……ナッタ」

 

 浅い呼吸を繰り返すシンカを見て、マークイス級は再び掴んだ腕を持ち上げながら、彼女の顔を覗き見るように目の前まで持ってくると、シンカは鋭い眼光でマークイス級を睨みつけた。


「……消え……ろ」


 逆上したマークイス級が、何度も何度もシンカを地面へと叩きつける。地面がくぼみ、飛び散る赤い雫の跡がその数を増していく。

 これだけ衝撃を受け続けると、いくら魔力を扱い、常人以上の身体能力を誇る彼女とはいえただではすまない。

 

 しばらくしてシンカへの攻撃は止まったものの、シンカの意識はすでにギリギリの状態だ。まだ気を失っていないことが不思議なくらいだといえるだろう。

 しかし、ぼやけた視界がしだいに白ずんでいく。


 シンカにはやらなければいけない使命があった。

 こんなところで終われない理由があった。

 守らなければいけないものがあった。

 それなのにここまでなのか。

 こんなところで終わってしまうのか。

 まだ始まってすらいないというのに。


 しかし、痛みすら消え失せてしまったほど鈍くなった感覚。

 体にはもう力が入らず、かといって誰からの助けも来ない。

 仮に通りすがりの誰かがこの光景を見て、異形の者へと立ち向かえるだろうか。

 

 ――答えは否だ。


 降魔という存在はこの世にまだ認識されていない。

 だから、神隠しという噂話程度で終わっているのだ。

 諦めかけた思考の中、いよいよ意識が途切れる……そのとき――

 シンカの脳裏にどこかで聞いた、懐かしさを感じさせる言葉が過った。


”俺が叶える。俺が救ってみせる。だから……もう泣くな”

 

 シンカは最後の力を振り絞り、だらりと垂れた手を腰の革製小袋ポーチへと伸ばす。

 瞳の奥が熱い。涙がでそうになっていた。世界を救うどころか、大切な妹すら守れない。大切な人との約束も守れない。

 なんて自分は不甲斐ないのだろうか。どうしてこんなにも自分は弱いのだろうか。

 悔しくて悔しくて、それでもどうすることもできないこの現実は容赦なくシンカの意識を奪っていく。

 救いを求めるように伸ばしたシンカの細い指先が、革製小袋ポーチの中に仕舞ってある御守りに触れようとした瞬間――


 ――チリン


 シンカが意識を失う直前、美しい鈴の音が聞こえたような気がした。

 それは遥か遠い記憶を揺さぶるような、優しくも寂しい音色。

 その音をどこで聞いたのか思い出す間もなく……シンカは意識を手放した。 

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