序章 GOD-命咎のディヴァージェンス

00.Game of Deceit 「欺瞞の世界」


 ――あぁ……これはあれだな……  


 人の賑わう町中で、一人の男が途方に暮れていた。 

 黒曜石こくようせきのような瞳に宿る輝きは陰りを見せ、むしろ光を失った亡者のようなそれを周囲へ彷徨わせている。


 ――認めたくないが……間違いない……


 言って、漆黒の髪を揺らしながら体ごと振り返った。

 黒い服を身に纏った男は歩いて来た道をじっと見つめ、観念したかのように吐いた小さな溜息と共に両眼を閉じる。


 ――花は桜木、人は武士……潔く認めようじゃないか……


 腰に携えられているのは、つかに鈴のついた一振りの刀だ。

 男は刀の柄を撫でながら静かに両目を開き――


「迷った」


 一言、そう口にした。

 

 一人旅を続けている男はその路銀を稼ぐため、このペルセという小さな町で、とある依頼を請け負っていた。

 旅人や商人が多く立ち寄るこの町には、日銭を稼ぐために仕事を斡旋して紹介してくれる依頼所という便利な場所がある。


 受けた依頼は幾つかの小包を届けるという簡単なものだ。

 なんとか無事に荷物を届けたはいいものの、男は依頼所まで戻れずにいた。


 荷物の依頼はそのまま持ち逃げされないよう先に保証金を支払い、届け先で貰ったサインを持ち帰ることで無事依頼は完了する。そこで先に預けた保証金と報酬金を受け取れるのだが、このままでは何がしたかったのか訳の分からないことになる。

  

 腕を組み、誰かに道を尋ねようかと思案していると、


「あら? さっきのお兄さんじゃない」

「あっ」

「どうしたの? なにか困ってるみたいだけど」


 声をかけてきたのは、つい先ほど荷物を手渡したばかりの女性だった。

 

「それがですね……依頼所に帰れなくなりまして……」

「迷ったってこと?」

「……はい」

「ふふっ、よくそれで配達の仕事なんて引き受けたわね」

「お恥ずかしい限りです」


 口許に手を当てながら微笑む女性を前に、男は頬をぽりぽりと指先で掻きながら気まずそうに視線を逸らした。


「いいわ、私が連れて行ってあげる」

「それは悪いですよ。場所さえ教えてもらえたら――」

「辿り着けるの?」

「……」


 男の声を遮るように女性が口を挟むと、男は即答できずに沈黙した。


「ここからなら近いし、気にしなくていいわよ」

「……すみません」

 

 可笑しそうに微笑む女性に、男は心底申し訳なさそうに謝罪した。

 いや、申し訳ないという話どころではすまないだろう。

 

 事実、まったくもっておかしな話だ。

 荷物を届けた者が、届け先の人に、荷物が元々あった場所へ連れて行ってもらうという奇妙な光景。

 果たして男の仕事に意味があったと言えるだろうか。無論、否だ。

 大きな荷物だったらまだしも、届けたのは小包。

 これなら女性が直接店に荷物を取りに行くのと変わらない。

 

「お兄さんは旅の人?」

「えぇ、まぁ」

「へぇ……世界ってやっぱり広いのかしら? どんな感じ?」

「そうですね――」


 一言でいえば、この世界はとても平和だ。

 ここ中立国アイリスオウスを含め七つの大国があるが、どの国においても大きな争乱というものが一切ない。

 国内で貴族同士の小競り合いなどはあるものの、歴史を紐解いても国同士で戦争を起こしたなどという出来事は遠い遠い過去の話だ。

 今となっては、それがどのようなものであるのか想像することすら難しい。

 

 それはこの世界の大陸の形にも関係している。

 アイリスオウスはほぼ円形の大陸だが、これを中心に空から見た時、ちょうど一輪の花のように長い楕円形の六つの大陸が伸びているのだ。

 それぞれの海域が各国にとっての天然の要塞となっている、ということだ。


 旅をしている最中、どの国、どの町に立ち寄っても、子供たちは笑顔で走り回り、大人たちも精を出して仕事に励み、活気に満ち満ちていた。

 

 今隣を歩いている女性にしてもそうだが、皆人当たりもよく、温かみがある。

 無論、中には悪さを働く者もいるにはいるが、そういった者は極僅かだ。


 曰く、罪を犯せば神隠し・・・に合う。


 公式の記録に残されているのは、昔から法に裁かれない犯罪者が相次いで失踪するという事実があるのみで、その真相はわからないままだ。

 それから言われるようになったのが、たとえ法を逃れようとも執行の女神の眼からは逃れられない、という眉唾な話だ。


 しかし、善良な市民には縁遠い眉唾な話でも、当事者たる悪人からすれば、信じざるを得ない身近なことだったのかもしれない。

 それが犯罪の抑止力となっていたのは、歴史が物語っている。


 そして、平和が長く続くにつれ、神隠しという言葉は次第に失わていった。

 再び神隠しという噂が流行り始めたのは、ここ最近になってからだ。

 

「それは私も聞いたことがあるわ。女神様がご乱心なされたのかしら」

「……」

「どうしたの?」


 さっきまで楽しそうに巡った町の話をしていたにも関わらず、心ここに在らずといった様子で遠くを見ている男に女性が首を傾げると、男はなんでもない、と言って小さく微笑んだ。

 

 それからしばらく閑談しながら歩いていると、突然女性の瞳が大きく見開き 小さな口をぱっくりと開きながら……


「ちょっと寄り道するし!」

「――え? ちょ、まっ!」


 雰囲気と口調がいきなり変わったかと思いきや、男の手をがしっと掴んで走り出した。男も目を白黒とさせながら、手を引かれるままに訳も分からず走り出す。

 すると……


 ――チリン


 喧騒の中、男の視界に映りこんだ二人の少女。

 時の流れが緩やかになったような錯覚に陥る中、男はその少女たちに目を、いや、自身のすべてを奪われた。

 そしてぽつりと小さな声を漏らし……





「これこれこれ、これだし!」


 歓喜に満ちた女性の声を共に辿り着いたのは、飴細工を扱う露店だった。

 とても精巧にできたそれはまさに芸術だ。 

 たくさんの愛らしい動物を象った飴は、本当に食べ物なのかと見紛うほどに美しい。


「飴、好きなんですか?」

「飴ってより、砂糖菓子全般好きって感じ!」


 飴細工を前にした女性の雰囲気はまるで別人のように変わり、大人びた印象からかけ離れた少女のようだった。

 瞳をきらきらと輝かせ、目の前のそれに釘付けになっている。

 この町に住んでいるのなら、何度も見たことはあるだろうに、その表情はまるで欲しかった玩具をやっと見つけた子供のそれだ。


「だったら、お礼に奢りますよ」

「えっ、いいの!? だったら――っ、こほん。本当にいいんですか?」


 振り返りながら言った女性の瞳が男と交わると、柔らかく微笑む男を前にしてやっと今の自分の状態に気付いたのだろう。

 誤魔化すように咳ばらいを挟み、少し控えめな声で問いかけた。


「遠慮せずにどうぞ」

「えぇ、ありがとう。それじゃあ……」


 小さな笑みを浮かべると、女性は少し屈み腰になりながら目の前に並ぶ飴細工を端から順に眺めていく。


 猫、犬、狐、兎、鳥、花、猪、鹿、蝶、などなど……


 女性の雰囲気から花が似合いそうではあるが、先の違った一面を見ると、動物という選択もあるだろうか。

 いったい何を選ぶのだろうかと、男が勝手な想像を膨らませていると、


「あっ、ありました。これにします」


 その口振りから察するに、最初からお目当てのものがあったのだろう。

 男がどれどれといった様子で女性の指先へ視線を送ると……


 そこに鎮座していたのは……蛇だった。





 依頼所までの道中、女性は飴細工の入った箱を大切そうに胸に抱きかかえながら終始笑顔を浮かべていた。


 路銀を稼ぐために配達の依頼を受け、配達先の人に依頼所まで連れて行って貰うという妙な流れにその上、お礼に奢るという要素が追加されたことで、ますますもってどこへ向かっているのかわからない結果となった。

 しかし、得るものがなかったわけではない。

 女性は飴細工を、男は女性の嬉しそうな笑顔を……


「助かりました、ありがとうございます」

「お礼を言うのはこっちよ。あっ、そうだ」


 女性は小さな小包を取り出すと、それを男へと手渡した。


「これは?」

「保証金はいらないから、私からの依頼を受けてくれない?」


 無論、男にその荷を盗むつもりはないが、如何に平和な世とはいえ、出会ったばかりの男に保証金も要求せず荷物を渡すなど、普通で考えればありえないだろう。

 大した中身ではないのか、それとも余程世間知らずなのか。

 

「それは構わないですが……場所は?」


「――遠い国」


「いや、さすがに国を跨ぐのは……」


 女性の言葉に男は戸惑った。

 確かにこれまで旅をして来たが、今の男にはやらなければならないことがある。

 思い返されるのは先にすれ違った二人の少女……


 小包を届ける為に他国へ赴くのはさすがに、と思ったところで、女性はにこやかな表情を浮かべた。


「別に急がないし、本当にたまたま近くに立ち寄ったらでいいから」

「……」


 と、言われてもどうするか。

 男は迷うように視線を手元の小包に下げた。


「それじゃ、よろしくお願いするわね。迷子のお兄さん」


 からかうような口調で言った言葉に、男は慌てて視線を跳ね上げるも、


「ちょっ! ………………え?」


 そこにいたはずの女性の姿はどこにも見当たらなかった。

 まるで夢でも見ていたかのように、まるで幻の相手でもしていたかのように、忽然と姿を消した名も知らぬ女性。


 だが、手元に残る小包が、彼女がここにいたことを証明している。


 その宛名はこう記されていた。――ユーフィリア家 

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