Link(30分程度)

○登場人物

現代組

穂坂…地方の小さな出版社で働く新米記者。大手で働きたい。女性。

樋川…先輩記者。数年前に大手新聞社から転職してきた。女性。

過去組

緒月…室蘭の尋常小学校教師。隠れて小説を書いている。男性。

小橋…市役所の職員で緒月の友人。男性。


シーン1


穏やかな雨の音。場所は会社の廊下に置かれた長椅子。(ブラックボックス横に並べてどうにかできんかな)穂坂と樋川はそれぞれ休憩している。

穂坂はカフェオレの缶を飲みながらぼけっとしている。

樋川はブラックコーヒーの缶を傍らに置き、何やら本を読んでいる。


穂坂 ちかごろ、不思議な夢を見るんです。私は、空に浮いていて、それでぼうっと、どこかの暮らしを眺めてる。


樋川は、不意に話し始めた穂坂を見る。

穂坂は一旦カフェオレに口をつける。


穂坂 なんだか昔みたいで、もんぺ? とか、そんな格好の人ばかりなんです。みんな少し疲れているけど元気っていうか。今とは疲れの種類が違うのかな。

樋川 なんかドラマでも見たの?


樋川は本を閉じ足を組んで、話を聞く姿勢になる。


穂坂 いえ、それがある日急に見るようになったんです。夢って言いましたけど、本当にその場にいるみたいなんですよ。街の喧騒、雨上がりの蒸し暑さ、どこかでサンマを焼くにおい。

樋川 へえ、リアルだね


樋川はコーヒーに口をつける。穂坂はカフェオレを置いて立ち上がる。


穂坂 で、私ずっとある人の上で浮いてるんです。緒月さんといって、小学校の先生をしながら小説を書いている人なんですけど……生きづらそうなくらいまっすぐな人です。なんというか、万年筆に迷いがない。きっとやさしくていい人なんだろうなって思います。

樋川 なに、イケメンなの?

穂坂 今そんな話してないじゃないですか。

樋川 ママ、参考までに。

穂坂 そりゃあ……塩顔で笑顔が素敵だなとは思いますけど……。

樋川 あんたのタイプじゃん。

穂坂 そんなことはいいんです!


穂坂は樋川に向き直る。


穂坂 ひとつ問題があって、緒月さんなんだか警察の方に目をつけられているみたいなんですよ。

樋川 まあ、無理もないんじゃない。聞く感じ、時代は恐らく大戦中でしょ。そんな時に小説なんて書いていようものなら、逆に今まで捕まっていないのが不思議なくらいだ。

穂坂 最近なんか作家仲間が一人減り、二人減り……。


穂坂は稲川淳二のように肩を上げて首をすくめる。


樋川 うわ生々しいな。


穂坂は肩を落として長椅子に座る。


穂坂 緒月さん、仲間がいなくなった日は決まって港に行くんです。

……彼はずっと海を眺めてる。


穂坂は樋川から見えない方へ少し顔を向け、頬杖をつく。

樋川はコーヒーを飲みながら話をじっと聞く。


穂坂 どうして私は、なぐさめてあげられないんでしょう。まるで幽霊みたい。体をばたばた動かしても、浮いている身体では隣に立つこともできない。お腹から目一杯大声を出しても、どこにも届くことも無い。

私にできることは、緒月さんと一緒に室蘭の海を眺めるだけです。


樋川は缶を長椅子に置く。

樋川 ……室蘭?

穂坂 あ、そうです! だから樋川さんにお話しようと思って。最近気づいたんですけど、夢で見るまちが、この前取材で行った室蘭そっくりなんです。

樋川 へえ?

穂坂 そういえば夢を見るようになったのも室蘭に行ってからで。何か変わったことしたかなーって、考えてたんですけど。


穂坂は胸ポケットから万年筆を取り出す。


樋川 それ、

穂坂 そう、これ! 樋川さんに買ってもらった骨董屋さんの万年筆!

樋川 ああ、いつまでも下っ端臭の抜けない後輩に気まぐれに買ってやった万年筆。

穂坂 ふた言くらい余計ですよ。

樋川 あそこは骨董っつーか、リサイクルショップだけどな。

穂坂 まあ、そこはなんでもいいんですよ。


穂坂はペンを廊下の蛍光灯に透かして見上げる。


穂坂 もしかしてこの万年筆、緒月さんが使ってたものだったりするのかなあ。

樋川 まさか。緒月って夢の中の奴だろ。

穂坂 そうですけど! だって緒月さんが小説を書くときに使ってる万年筆、これそっくりなんですもん。

樋川 万年筆ってどれも似たような見た目じゃない?

穂坂 そんな事ないですよ。パーツ一つ一つに特徴があるものですし、何よりこの使い古された感じ。やっぱり本当に、緒月さんが握ってたんじゃないかなぁ。


どこか遠くを見つめる穂坂に、樋川はひとつ咳払いをしてつっつく。


樋川 じゃ、あんたもいい文章が書けなくちゃな。

穂坂 ウッ


穂坂は一気に顔をしかめる。


穂坂 今そういう話します?

樋川 今も何も仕事中だぞ。ここはしがない地方のチラシ屋。作ってんのはまちのお得情報雑誌と、

穂坂 くいしんぼうペーパー。

樋川 とりっぷりん!


いじけた声の穂坂に、いじっぱりの声で樋川は返す。


樋川 津々浦々プリンを食べ尽くし、紹介し尽くす使命があるんだよ。

穂坂 ないですよ。

樋川 あるだろ! みんなプリン大好きなんだから。

穂坂 それでもわざわざ室蘭にまで行かなきゃいけないんですかあ?

樋川 だって口コミがすごかったから。

穂坂 樋川さんの道楽じゃないですか。

樋川 でもプリンおいしかっただろ。

穂坂 でも旅費は経費で落ちませんでした。

樋川 めんぼくない。

穂坂 しかも何なら最近プリン食べてないじゃないですか。

樋川 それは……単純にネタ切れだ。

穂坂 やっぱりくいしんぼうペーパー、いやチラシの裏。

樋川 ほう、よほど喧嘩を売りたいと見えるな。


樋川は身を乗り出した。しかし穂坂は大義そうに缶に口をつけ、窓のある方を見る。少しずつ雨脚が強まる。


穂坂 売りたくもなりますよ。しがなすぎるんです。……ペン一本で頑張ろうと入社した割には、

樋川 つまらない?


樋川は腰を落ちつけ直して穂坂を見やる。


穂坂 やりがいというか、手ごたえがないんです。折角夢だった記者になれたのに。

樋川 まあ、ここを選んだ自分を責めるんだな。

穂坂 責めました。責めまくった末に、大先輩樋川さんにお尋ねするんですが。

樋川 あ?


穂坂は深呼吸し、なにか意を決したように樋川に向き直る。


穂坂 うち、大手の出版社にコネありますよね。


一拍置いて、樋川は穂坂の言わんとしていることを理解し、肩をつかむ。


樋川 やめとけ。

穂坂 知ってますよ! 大手はなかなか書かせてもらえないとか、書いても採用してもらえないとか!

樋川 就活の倍率が高い割には新人がすぐ辞めるとか。


穂坂は立ち上がって拳を振り上げた。樋川はそれを醒めた目で見る。


穂坂 ばっちこいです。転職してやりますよ、やりますとも! 私はただの記者になりたいんじゃない。


穂坂は振り上げた拳を静かに下ろす。


穂坂 私は、本物のジャーナリストになりたいんです。

樋川 へえ、それ口だけだと思ってた。

穂坂 口だけで三年も言い続けますか。

樋川 じゃあ、三年口だけだったのに、何で今私にそれを聞いた?

穂坂 ……夢です。

樋川 夢って、まさかその緒月とかいう、小説家の夢?


樋川は、穂坂がふざけて言っているのかと勘繰る。


穂坂 樋川さんの言いたいことは分かりますよ。私の見ている夢なんだから、私の都合のいいように見えていたっておかしくない。それでも、緒月さんが危険を冒してまで書き続けている姿を見ていたら、自分はこれでいいのかって。


穂坂は再び拳を振り上げる。


穂坂 とにかく! 私はやりますよ。今日から転職活動を!

樋川 文には、


樋川は、穂坂が言い終わるか終わらないかで言葉を挟む。

樋川が珍しく真面目な顔をしていたので、穂坂はぎょっとして拳を下ろした。


樋川 文を書くにあたっては、決めなきゃならないことがある。そいつを誰に、何のために、どうやって書くかだ。

穂坂 ターゲットを絞るってことですか。

樋川 もっとシンプルに考えろ。そう、書くこと、そのものについてだ。あんたは何のために、本物のジャーナリストになりたいんだ。

穂坂 そりゃあ、

樋川 そのためにはどんな文を書けばいい。

穂坂 どんな文って

樋川 緒月はどうだった。


穂坂は、樋川が言わんとしていることを探ろうとする。


穂坂 ……緒月さんが書いてるのは小説で、あれはフィクションですよ。


樋川はふぅっと息を吐く。


樋川 あんた、やっぱり知らないんだな。


樋川は先程まで読んでいた本の表紙をじっと見て、穂坂に渡す。穂坂は、おずおずと手を伸ばして受け取った。


樋川 緒月源心。室蘭で活動した、市井(しせい)のプロレタリア作家。まあ、知る人ぞ知るって感じだけど。めくってみな。


穂坂は恐る恐るページをめくる。


穂坂 え、そうそう、このお話書いてたんです! この間ようやく完成して、よし次の話を書くかーって言って、


穂坂が顔を上げると、樋川は穂坂をじっと見つめていた。


樋川 ちゃんと見てみな。


何が何だか分からないまま、穂坂は黄ばんだページに目を戻す。


穂坂 ……遺作?

樋川 遺作だ。緒月源心は、一九四五年七月の、室蘭艦砲射撃で亡くなるんだ。


暗転

シーン2


波の音とふくろうの声。

夜の室蘭港の海岸に緒月と小橋は腰かけている。緒月は目を瞑って夜風に当たっている。小橋は徳利を傍らに、お猪口をちびちびと舐めている。


緒月 近頃、不思議な夢を見るんです。


緒月は目を開けて小橋を見る。小橋は緒月のほうを見ない。


緒月 どうせ、小橋さん暇でしょう? 昼間の空襲で役所の機能は麻痺しているし、その酒だって、どうせ九割方水でしょう。


小橋はちらりとお猪口の中身を見て、グイと呷る。そうして徳利を傾けるが、中身が空になっている。


小橋 シケてやがる。

緒月 それだけでも残っただけありがたいですよ。

小橋 ……昼間は助かった。

緒月 いえいえ。近くに防空壕と貴方がいたから良かったんです。それに、助かったのは僕の方かもしれない。

小橋 俺を防空壕に引きずり込んだのはお前だろう。

緒月 いえね、夢で、僕は今日死ぬらしいと言われたんですよ。


緒月は再び目を瞑る。


緒月 僕は空に浮いているんです。それで、どこかの暮らしを眺めてる。凄いんですよ、みんなモボとかモガ、いやもっと奇抜な格好をしていて。きっと独逸でも亜米利加でもあんな人たちはいない。あれはどこの街だったんだろう。

小橋 そんな話でも書いているのか。


徳利を諦めた小橋は徳利とお猪口を横に置いて、やっと緒月へ向いて尋ねる。緒月は目を閉じたまま、にこりと笑う。


緒月 何のことです?

小橋 いいだろう、俺相手なんだから。今書いている小説だよ。


緒月は笑顔をゆるめる。


緒月 そんな話は書いていませんよ。一体僕は、御伽噺は苦手ですから。

小橋 ふうん。そんなお前が、奇抜な街の夢を見るのか。

緒月 ええ。それはもう本当に、その場にいるみたいなんです。花開く笑い声に、通り過ぎる風のにおい。僕は、ずっとある女性の頭上に浮かんでいるんです。まるで幽霊だ。触れやしないし、声も伝わらない。

小橋 幽霊、か。

緒月 あ、その女性ね。何か書く仕事をしているんですよ。


緒月は夢から現世に戻ってきたように、ぱっと目を開ける。


小橋 女性が書き物? 珍しいな。

緒月 はい。若くて、毎日を一生懸命生きていて。だけど、ずっと迷っている。


おもむろに、緒月は懐から万年筆を取り出して月明かりに照らす。


緒月 何を書くか、どう書くか。それで己はどうしたいのか。熱くて野心を持っていて、持て余しては頭を抱え。僕は、それが羨ましい。あんな純度の高い炎、ついぞ僕などは持ち得ないでしょう。けれど、


緒月は小橋の方へぱっと向き直る。


緒月 僕は、心底嬉しいんです。彼女が胸に抱えた熱は、まさしく僕も抱える熱だ。

小橋 ……俺は役所の職員で、俺の耳は国家の耳だ。随分詰まった耳の穴だが、続きによっては、やはり無理やりにでもお前を特高に引き摺り出すことになるぞ。


小橋は緒月を睨む。

緒月はなんでもない風に、ゆるりと海を見渡した。


緒月 私は、この有り様を書かなくてはならないと思っています。それは学者のように正確にでも、新聞のように劇的にでもない。もっと、読む人にこの温度や匂いが分かるように、書かなくてはならない。しかし、


緒月は俯き、下ろした手に持った万年筆を見つめながら、言葉を探して、恐る恐る口を開いた。


緒月 書けば書く程に、それは作り物になってしまう。陶器で作り上げた白鷺は、やはり陶器でしかない。

小橋 ……陶器でも、鳴かずば撃たれまい。

緒月 お千代の昔話ですか。

小橋 黙っていればいいんだ。耶蘇教徒は絵を踏んだだろう。声を上げて何になる。

緒月 人柱にはなるでしょう。

小橋 柱を増やして水害が止められるか。それに柱が何本建ったかなんて、誰が覚えている。

緒月 それでも、たとえ朽ちた柱でも、墓標にはなるでしょう。


緒月は小橋との間に、トンと万年筆を突き立てる。


緒月 夜風も寒くなってきました。僕はそろそろ帰ります。明日からきっと、復興作業で忙しいでしょうからね。


緒月は万年筆をしまい、上手にはける。小橋はじっと座っている。


小橋 緒月。それは、誰の墓標なんだ。


暗転

シーン3


賑やかな蝉の声。会社の廊下に置かれた長椅子で樋川が休憩している。

樋川は本を読んでいる。

上手から穂坂が小走りでやってくる。


穂坂 運命って変わるんですね!

樋川 何の話?

穂坂 緒月さんが死ななかったんです!

樋川 ああ、夢の。言っとくけど、あんたの夢と実在の緒月は別物だからね。

穂坂 まあまあ、信じる分にはタダなんで。

樋川 で、助かったんだ。

穂坂 はい。すんでの所で防空壕へ逃げたんです。危なかった、あと一分でも遅れていたら、ひとたまりもありませんでした。

樋川 じゃ、歴史は変わったってこと?


樋川は読んでいた緒月の全集をめくる。


樋川 でも作品はこれしか残っていないよ。


樋川は全集を穂坂に差し出す。穂坂は受け取ってめくる。


穂坂 ほんとだ、増えてない。

樋川 緒月は戦後筆を折ってしまった、ってところかな。

穂坂 そんなあ。

樋川 だから、あんたの夢の住人が偶然作家と同姓同名だっただけじゃない。それか実在の緒月が、抑圧が消えたことによって、闘争心も消え失せて筆を執らなくなったか。

穂坂 いや! 緒月さんは、そんな人じゃ

樋川 なに、言い切れる?


 カン! と音を立てて樋川は缶を椅子に置く。


樋川 あんたはどうなの。原動力は長く続くもの?

穂坂 ……そればっかり。どうして、昨日からそんなに私に聞くんですか。樋川さんは答えられるんですか!


穂坂は精一杯樋川を睨もうとする。

樋川は、ぱちぱちと瞬きをして、悟ったように笑う。


樋川 ええ。だって、答えてきたもの。私もあんたくらいの頃、同じように悩んだのよ。私はあんたと逆で、大きな新聞社からここに来たけど。

穂坂 ……初耳でした。

樋川 でしょう。どうせ私のことなんて、若隠居くらいに思ってたんじゃない。……自分は何のために書くのか何度も自問自答した。私はね、人と人を繋ぐために書くって答えを出した。ペンを、かすがいにするんだ。

穂坂 かすがいに。

樋川 あんたはそのペンを、何にするの。


樋川は自分の胸ポケットに差したペンを指で軽く叩く。

穂坂は同じように胸ポケットに差していた万年筆を手に取って見つめる。


穂坂 無い自信が本当に無くなっちゃいました。

樋川 なに、長い人生どうにでもなる。元気出しなよ、飲み物買ってあげるからさ。


樋川は穂坂の背をポンと叩いて、下手へはける。

穂坂は椅子に座り、また万年筆を見つめる。


穂坂 私はこのペンを、どうしたいんだろう。


下手から樋川が戻ってくる。手にはブラックコーヒーの缶が二つ。


樋川 いい加減辛気臭いぞ。

穂坂 うわ、


樋川は缶を穂坂に投げて寄越す。穂坂はなんとかキャッチする。


樋川 おーナイスキャッチ。

穂坂 これブラックじゃないですか。

樋川 文句言わない!


穂坂は口を尖らせながらリングプルを開け、ぐっと呷る。

ぷはー、と口を開ける。自然と顔が上に向いている。


樋川 コーヒーはいいよ。へこんだ時に一旦洗い流してくれる。それで上を向けるやつは、どこへ行ってもやっていけるもんだ。

穂坂 ……へへ、ありがとうございます。

樋川 どうも。

穂坂 また考え直しだあ。……あー、でも知らなかったです。七月一四日に、北海道にも空襲があったなんて。空襲と言えば東京くらいしか知らなかったんで。

樋川 あれ、私日付あんたに言ったっけ。

穂坂 夢の中で新聞が見えたんですよ。一九四五年の七月一四日、土曜日でした。

樋川 へえ。じゃあその夢もあながち嘘っぱっちじゃないのかもな。

穂坂 だからきっと本当なんですってぇ。

樋川 ……待てよ。今、空襲って言ったな。

穂坂 はい。実際見てみると凄く怖かったです。鉄の雨って本当だったんだなって。

樋川 違う。

穂坂 え?

樋川 私は昨日、艦砲射撃……戦艦からの砲撃だって言ったんだ。

穂坂 でも私が見たのはB29、

樋川 七月一五日!


樋川は穂坂の方へずいと身を乗り出した。


樋川 艦砲射撃は七月一五日、お前が見た夢の翌日だ!


シーン4


蛙の声。場所は緒月の家。下手の方にブラックボックスでできた机があり、上に万年筆と紙束が置かれている。

緒月は怪我をしていて、小橋の上着をかけられている。


緒月 ねえ、小橋さん。運命って、有ると思いますか。

小橋 ……運命なんて、あってたまるか。全部こうなると決まっていたなど、信じられるか。なんだ、あの攻撃は。なんだあの鉛の雨は。俺たちは、この街は、こんな一方的に、壊されるのか。


緒月は小橋に、こわごわと手を伸ばす。小橋はその手を握る。


緒月 小橋さん、

小橋 あまり喋るな。今夜を乗り切ったら登別で診てもらえる。今は体力を温存しておけ。

緒月 いいんです。やっぱり夢のとおり、僕は死ぬでしょうから。

小橋 そんな訳あるか。たかが夢だ。夢の人間が、何を知っている。

緒月 知っているんです。僕は、未来の夢を見ているんですから。

小橋 未来だと?

緒月 穂坂さん……私が見ている女性です。めくっていた本に、僕の名前がありました。僕が今書いている話に、遺作と書いてありました。

小橋 たかが夢だ。

緒月 未来の夢です。

小橋 夢だ!

緒月 未来です。……夢のとおり、艦砲射撃は起きました。夢のとおり、僕は今にも死にそうだ。

小橋 縁起でもない事を言うな。

緒月 死ぬことが問題なんじゃない。死んだら、僕はもう書けない。

小橋 お前、

緒月 冥土で書いて何になる。亡者に書いて何になる。僕は、もう書けないんだ。じゃあもう、いいかなぁ。

小橋 それでいいのか。

緒月 書けないのなら。

小橋 違う。書きたいのなら書けばいい。生き延びればいいんだろう。

緒月 だって夢が、

小橋 未来だというのなら、考えがある。お前が死んで、その未来に、誰がお前を伝えるんだ。夢の女は、お前の書いたものを読んでいたのだろう。柱は立っていたんだろう。


小橋は机の上にあった紙束を掴む。


小橋 ここで死んで、お前の小説を、誰が遺す。柱は卒塔婆どころか、木屑にしかならないんじゃないのか。

緒月 遺作、というのは。

小橋 どうとでも考えられる。そうだ、お前が生涯発表しなければ、いくら生き永らえても遺作になるだろう。

緒月 どうして、そこまで書かせたいのですか。貴方の耳は国家の耳で、

小橋 俺の目は国家の目だ。そうだ、随分悪くなった目だが、運悪く看過できないものを見てしまうかもしれない。だがな、その前に俺の耳、俺の目だ。……昨日のお前を見て、考えたんだよ。俺はどうしたいのか。答えはまだ出ていない。だから、答えを持っているお前を、生かさなくてはいけないと思った。


小橋は掴んだ紙束に目を移す。


小橋 なあ。お前の答えを見ていいか。


緒月は頷く。小橋はあぐらを組んで紙束を読む。

次第に紙束を持つ手に力が入り、紙をめくるのもせわしなくなる。


緒月 これは詰まった耳ではなく、あなたの耳に届けるのですが……私の答えは、書くことではありません。それなら何を書いたっていい。私は字を通して、声を、温度を、匂いを、読む者の眼前に届けたい。ああ、あの夢は、まさしくそうだったのか。いとなみが、目の前にあったんだ。


小橋は紙束に目を向けたまま、生唾を呑む。


小橋 お前は、何を伝える気だ。声、温度、それだけじゃないだろう。匂いが、いとなみが分かる、ことからお前は、何を叫ぼうとしている。……ようやく分かった。何故特高は、多喜二を殺したのか。


小橋は恐る恐る緒月のほうを見る。


小橋 お前は、お前の答えが何者か、本当に分かっているのか。

緒月 ……今更。


シーン5


廊下のベンチ。穂坂がぼーっと座っている。

上手から樋川が来る。


樋川 言葉を書く覚悟が在るか!


バン! と大きな音を立てて樋川は本をベンチに叩きつけた。


穂坂 うわっ!

樋川 変わったよ、運命。

穂坂 え。


樋川は叩きつけたものをトンと指差す。

穂坂は持ち上げて見てみる。


穂坂 緒月源心全集補遺。

樋川 緒月の戦後の作品だ。なんてこった、こんな本絶対に昨日まで無かった! でも出版年は七〇年代。これはもう完全に、変わっちまってるよね。


穂坂はがばりと樋川を見て、それからバラバラとめくる。


穂坂 生きてた! 無事だった、生きてたんだ。よかったぁ……!

樋川 しかし不思議だ、どうしてあんたが緒月の夢を見て、それで過去が変わるんだ。

穂坂 やっぱり、緒月さんも見てるのかなぁ。

樋川 やっぱり?

穂坂 緒月さんも夢を見るって言ってたんです。ものかきをする女の上に浮かぶ夢!


樋川は上の方を勢いよくキョロキョロ見る。


樋川 嘘!? やばい私勝手なこと滅茶苦茶喋ったわ!

穂坂 あーあ、今にたたられますよ。

樋川 くそ、壁に耳あり障子に目あり、空に噂の作家ありか。


樋川は空へ向かって拝む。穂坂は本を持ち上げる。


穂坂 でもすごいや。緒月さんが生きた証がこんなにも重い。

樋川 ……そうか、それならあの言葉にも納得がいくな。


樋川は、感極まりそうな穂坂の頭をペンではたく。


穂坂 いて、なんですか!

樋川 貸してみな。そいつには一編だけ、緒月のエッセイがあるんだ。


樋川は穂坂から本を受け取り、パラパラとめくる。


樋川 ずっと小説ばかりの緒月が、どうしてエッセイを、しかも戦後改まって書いたのかが分からなかったんだ。しかし成程、緒月はあんたをずっと見守っていたんだな。


樋川は本のあるページを開いて穂坂に渡す。

穂坂が受け取ったら、樋川はペンで一文を示す。


穂坂 「そも人間に問う、言葉を書く覚悟が在るか」……これ、さっきの。

樋川 あんたには、在るんだろ?


穂坂は背筋を伸ばして頷く。樋川は満足そうに笑う。


樋川 そんなキミに朗報だ。前の職場の新聞社にあんたの記事送ったら、是非会って話したいってさ。

穂坂 え!?

樋川 どこも人材不足なんだよ。善は急げ、立っている者は親でも使え。

穂坂 使えるコネは先輩でも使え?

樋川 なに、コネなんて姑息な手だって?

穂坂 違います、私まだペンを何にするか見つけられてない!

樋川 はあ? そんなのは書きながら考えるんだよ。

穂坂 えっ

樋川 というか意識して書かないと分からないものだし。

穂坂 じゃあなんで聞いたんですか!

樋川 まずは意識しないとだろ。Youths be ambitious!


樋川はポッケかどこかからコーヒーの缶を出して穂坂に投げる。

穂坂は難なく受け取る。


樋川 ambitiousは大志とも、野望とも翻訳できる。野望を持て若者よ。

穂坂 やっぱブラックじゃないですか。

樋川 文句言わない!


樋川は自分の分のコーヒーを飲む。


穂坂 でも、ありがとうございます。

樋川 いーえ。


穂坂もコーヒーを飲む、


樋川 あ、大事な事忘れてた。その新聞社の上司がさ、面接するときになんでもいいからコラムを書いてきてくれないかって。

穂坂 コラム?

樋川 何だったかなぁ、私が送る記事適当に選びすぎたんだっけ。とにかく雑感でも何でもいいから気合の入ったやつが読みたいみたいな。

穂坂 気合ですかぁ。


樋川はスマホをいじる。(上司とのLINEを探す)

穂坂は胸ポケットから万年筆を取り出して目の高さで持つ。


穂坂 じゃあ、緒月さんのこと書こうかな。折角だから、この万年筆で。



ステイホームでなんとか見れた参考文献


○北海道空襲データベース

http://kuusyuu.way-nifty.com/blog/cat22826495/index.html


○総務省HPより 室蘭市における戦災の状況(北海道)

https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/hokkaido_03.html


○実際に室蘭で空襲を体験した方にお話を聞く談話

http://media.wix.com/ugd/1d6664_38cdbd765552400fb650ac3bcfb274a6.pdf

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舞台脚本集 ほずみ @kamome398

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