寒い日々に思い出すこと。

 寒波襲来であった。


 といっても、私の地元は雪が一瞬横殴りに降った以外はおとなしいもので、少々足元が滑りやすくなった程度に収まってくれた。


 しかし身体は低温が堪えていたようで、今日などはどうも朝から気力が出てこず、物書きも作曲もできないまま夕方の妙な時間に眠くなってしまった。


 寒さはやはり生命力を弱めるのか、身体を時計とするならば、秒針が固まったような状態に陥っていた。


 飯を食い風呂に入ったところでようやく調子が戻ってきた。そんなところで何か少しでも脳を使う作業をしようと、まるで静止していた一日の帳尻を合わせるようにこれを書いている。


 本当はそんなことはせずともよいのだが、ついつい何か自己充足的なことをやらねば気がすまない性質たちである。


 無意味であっても、無意味であるからこそだろうか、自分の“活動”には少しでも満足と納得のいく結果を欲しがるようである。


 私は高卒就職組で、18歳から3年間ほどある企業で働いていたのだが、入社して半年の時点で、労働に対するやる気をすべて失ってしまった。


 とにかく、作業のすべてが苦痛であった。作業そのものではなく「これを何十年も続けねばならないのか」という、茫漠ぼうばくたる地平を前にした絶望だ。


 作業に金を稼ぐ以上の意義が存在せず、つまり私がやるべきことなど存在しなかった。


 この時点で生きることに何の意味もないことを了解していたつもりだったが、実際に突き付けられたときの衝撃はやはり大きかった。


 本当に、私がこの世に存在する意味も価値も、何もないことを全身で理解できてしまったのだ。


 二年ほど働いて、ようやく自分の身の振り方というのが分かってきたところで会社は潰れた。倒産などという生易しい表現ではない。何と呼ぶべきかは分からんが、消滅した。


 この僥倖ぎょうこうを十全に活かせなかったのは、私の人生において大きな失敗になってしまった。


 流るるままに生きることと流されるままに生きることは違うのだと学べたということを差し引いても、大失敗であった。


 その話をするにはもう一通手紙をしたためねばならない。


 というところで、今日はここまで。これからも寒い日は続いていく。暖かくしてお待ちいただければと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る