リブートの話。
死にたくないとは、思いたくない。
風邪をひいてしまい、二週間も物を書くことから遠ざかってしまった。
二十歳を超えてからは恐らくもっとも長い病熱であった。大したことはない、ウイルス性の胃腸かぜなのだが、微熱が下がらず、下痢が収まらずといった具合で、動こうと思えば動けるのだが、悪化やぶり返しを恐れるあまり何もできず、何もできないからもろもろの気力なども削り取られ、な悪循環からようやく少し脱したところだ。
かといって、病の間はまだひとつ楽な部分もあった。
私は元来、何もしたくない人間である。
たまたま心身が健康であってしまったがために休むことが許されず、自分の本当の部分である空虚で無気力な性質の発揮される機会がないだけで、37℃程度の熱(私の普段の平均体温は35℃前後)がひとたび出ればこれ幸いと“闘病”にかこつけた食っちゃ寝の怠惰を極めた生活を謳歌するわけだ。
無論、熱が出て全身が痛い上、あまり質の良い睡眠もとれず、何を食べても飲んでも下痢になって出ていく状態は苦しいものではあるのだが、それ以上に、日々の糧を稼ぐため何らかの生産活動に従事せねばならん状況の方がずっと苦痛なのである。
なんとなれば、私は今ここで死ぬことと生きて(仮に)50年後に死ぬことの間に何の違いも感じられないからだ。
私にとって生きることはいずれ必ず感じねばならない苦痛を先送りし遠ざけているだけであって、根本的に何の意味も価値もない行為だ。
私は今、眠る前に少々の怯えを感じている。
死にたくないと思ってしまうのではないかという不安だ。
病気の間は、今そこにある苦痛をしのぐことに精いっぱいだった。
望むところであった。そのまま死んでしまえとさえ思った。なかなか熱が下がらず、症状から実は膵臓が悪くなっているのではないかという疑惑が医師から呈されたとき、恥ずかしながらある種の甘美な幻想にすがりたくなった。
要するに、自分は既に末期的な病気になっているであって、数ケ月から数週間以内にこの世から退場できるのではないかという夢だ。
そんなことはなかった。私の肉体は意味も無く頑丈であって、自動的な最期はまだまだ先だということが明らかになった。
そうしてまた何の意味も価値もない人生の存続が決まったところで、「自分はいつか『死にたくない』という非本質的な願望に憑りつかれ、ありもしない『幸福な人生』なるものを求めてしまうのではないか」という恐れが生じた。
とはいえ、これはほんの少しの恐怖だ。
現に、眠れない夜は未だ訪れず、上記のようなことを考えているうちに知らぬ間に朝が来ている。
昼寝もしている。
まったく、健康なものである。
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