何ひとつ進歩できない我々は、せめて雨に傘を差す。

 今日は善い雨の日であった。


 朝から夕まで降り続き、夜には止む。私にとっては理想的な雨である。


 人間は実現不能な理想と心中する運命にあると、先週、書いた。


 その哀しいばかりの未来を防ぐための方法は、私にはひとつしか思い浮かばない。


 すなわち、死を忌避せず受け容れることだ。


 これには、我ら人類は自ら進歩し、より良いものになっていけるという宗教観から自由にならねばならない。


 残念ながら、今もって我々は何一つとして己が生をより良くできるものを生み出せてはいない。


 何かひとつ便利な物を発明すれば、必ずその反作用で苦しみが増えるということを繰り返しているばかりだ。


 農耕の発明から人口の増加に苦しみ、車輪の発明から交通事故が増え、船で持ち込まれたヒト・モノ・動物が他の秩序ある生態系を乱し、言葉は暴力の多様さに彩りを加え、宇宙へ飛び立つロケットはICBMと変わるところがない。


 ゆえに、幸福なる刹那的な快楽を過剰にもてはやし、生まれたときから死ぬまで絶対的につきまとう苦しみを不幸などと呼んで、まるで解消可能であるかのように自らを騙し、自己洗脳を続けてきた。


 結果、『人間は不幸を無くし幸福になれる』という、前提条件の間違えた論理が展開される。不幸=恒常的な苦しみは消えないし、幸福=一時の快楽はいずれ必ず消える。


 私たちはこうして端からすべてを間違えてしまっているせいで、生きるほど世代を経るほどに際限なく苦しみを増やし続けている。


 結局、我々人類は何か新しいものを作ったとしても、なにも進歩できないし、決定的に悪くなるほどの大それたこともできない。


 その程度の存在だということを、常に思い知っておかねばと思う。


 こうして書きながら、ひとつだけこれは良いと思えるものが見つかった。


 傘だ。


 雨に濡れず凍えなくなったのは善い。


 雨水を室内に持ち込んで他者の足を滑らせる危険性ができた? なるほどそれも確かにそうだ。


 だが、ここはひとつ採点を甘くしてもよかろうよ。


 せめて雨の日には傘を差そう。


 ただ濡れる日があってもいいが。


 私の住むところでは、どうやら梅雨に入ったらしい。


 それではまた別の日に。

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