空気入れがそんなに必要なら。

 今週は、やや調子が悪かった。


 心身の不調は、食事と読書で感ぜられる。


 明らかに無駄な量の間食が増えた。過度の満腹は空腹と同等に大敵である。神経が鈍麻し、身体が重くなる。


 すると、本がすらすらと読めなくなる。


 読書は眼球の運動でもあるし、何かを読み続けるという所作は、脳の神経系が整っていなければ、じっとしていられず、気持ちばかりがせかせかとしてしまって、長く続けられない。


 我々は身体しんたいの存在である。万事において、肉体より先に精神がくることはない。


 つまり、いくら読みたい気持ちがあっても、身体がそのように動かねばどうしようもないのだ。


 図書館で予約していた本を三冊借りたが、辛うじて一冊読めたきりで、その先が続かない。


 なので、そこへ行ったときにふと思い出した話を書こうと思う。入力が上手くいかねば出力をせよ、である。


 我が家の本棚であるところの中央図書館へは、自転車で向かう。


 二時間無料の駐輪場では業務用の電動空気入れがこれまた無料で使える。


 もはや、私の生活において、あのピストン運動は遠い過去になった。


 ここで、記憶は小学生くらいの頃にさかのぼる。


 当時、集合住宅に住んでいた私は、自転車置き場に空気入れを置きっぱなしにしていた。


 いちいち七階の部屋から持ってくるのは億劫だし、片付けるのはさらに面倒だったからだ。


 これを、隣人に指摘された。


「こんなところに無造作に置いておいたら取られてしまうぞ」と。


 しかし、小生意気な小僧であった私はこう言った。


「なら、それはそれでいい」と。


 当時から、空気入れなどというものは電動とまではいかずとも、自転車屋などに行って一言あれば無料で貸し出してくれる類の物である。


 人の家にある、しかも子供用の小さなそれを盗む。


 そんなに必要ならば、どうぞ、いくらでも盗っていけという話だと思った。


 子供の屁理屈と軟膏はどこへでも付けられる話として笑っていただければよい。


 ただ、今になって振り返ってみると、もし本当に盗まれていたら、ある意味ではとても大変なことであったかもしれない。


 どの時代においても、盗人は貧困がスタートラインだ。


 物質的な貧しさのときもあるが、精神的な貧しさからも、人は盗みを犯す。


 空気入れの窃盗など、まさに精神的困窮の最たるものだ。食い物や貴金属ならいざ知らず、空気入れなのだぞ。一体どのような理路を通って至るのか、見当もつかん。


 いっそ、盗みという自覚さえない。自他の境界や、所有の概念を喪失し、自宅を収拾物でいっぱいにしたゴミ屋敷主の仕業と考えた方が納得できる。


 いわゆる、警官より医師が必要な犯罪者だ。


 そんな限界を超えたケースに、あの時分で対峙しなくて本当に良かったと思う。


 ここで、今一度書く。


 肉体より先に精神がくることはない。


 物質的貧困を和らげることができれば、精神的貧困はだいぶん防げると、私は考えている。


 そして、こちらも繰り返す。


 過度の満腹は、空腹と同等に大敵だ。


 金はあるだけあって困るものではなかろうが、そこまでして稼がねばならんのか、定期的に自問せねばならない。


 要りもしない物を盗む者になることと、金を持った貧者に成り下がることの距離は、遠いようで近いかもしれない。


 なぜなら、両者ともに、自分が何をしたいのか分かっていないからである。


 その貧困の中では、恐らく、自殺すら選ぶことはできないだろう。

 

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