老いを過信したことについて。

 昨年末、酷い寝汗をかいて目覚めたり、少しの遠出をした程度でシャツがぐっしょりと濡れていたりといったことが頻発していた。


 行動を省みると、どうも、身体を過剰にケアしようとするあまり、逆効果になってしまっていたようだ。


 順をおって書いていく。


 私は今、ちょうど三十歳だ。


 三十路、そこを重く捉える向きもあるが、特に思うところはない。


 ただ、加齢によって失われる諸所の能力、体力だとか免疫だとかが弱くなるのは科学的事実である。


 十代、二十代の頃と同じというわけにはいくまい。


 そう考え、私は、今冬から特に身体を入念に温めることにした。


 これまで着けたこともない裏起毛の肌着やタイツ、足元を温めるカイロなども初めて購入した。


 免疫系も弱くなり、風邪などもひきやすくなると考え、これまた初めてとなる漢方系の栄養剤やドリンクなども積極的に飲むことにした。


 そうして2020年から21年にかけての冬を過ごしてきた。


 結論から書こう。


 ほとんど必要なかった。


 冒頭語ったように、無駄な汗が増えたばかりか、逆にそれで身体が冷えて風邪をひいた。


 あまりにも本末転倒。果てしなく過ぎたるは及ばざるが如し。


 うむ。


 それもこれも、ただ切りの良い数字でしかない三十路や加齢、さらには老いを過信したことに尽きる。


 友よ、特に若き友よ。


 三十歳は、どうやらまだ相当に若い。


 前回語ったが、私もどうやら数字に惑わされたようだ。


 そもそも、である。


 巷では「体力がガクンと落ちる」だの「疲れやすくなる」だのと風聞が流布されているが。


 それは、世間の風雨を一身に浴び、適応した社会人として努力と研鑽を続けている人たちの話でしかない。


 何にもしていない私には、落ちる体力も、感じる疲労も存在しない。


 これは重要な発見であった。


 これも前回の話と重なるが、プロ野球選手などは、まだ発展途上の二十代前半であっても、何らかの怪我や故障を抱えながらプレーしている。


 厳しいアスリート生活の代償であり、そのたゆまぬ努力の勲章でもある。


 根本から堪え性の無い人間は、うつ病になるほど追い詰められない。


 はなから働いていない人間は、過労では死なない。


 真人間であることを放棄した私はもはや、自殺する気になれない。


 頑張るからこそ、人は積極的に不健康となっていくのだ。


 どうにも、苦笑を禁じ得ぬ顛末だ。


 黙っていても向こうからやってくるものを、積極的に引き受ける仕草。その点において、努力と自殺は、真逆なようでいて似通った行為であると言えるのかもしれない。


 それとも。


 我々は、死ぬ練習をするために生きているのだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る