根本的に不真面目な人間は、気楽で生きがいが無い。

 私に生きる価値はないし、同時に死ぬほどの価値もない(だから友よ、私の言動に腹が立ったとしても殺すのは何の価値もない行為だからやめてもらえると嬉しい)。


 ここのところはよく了解しているのだが、「生まれてきた甲斐がないな」というところに関しては、苦笑を禁じ得ない。


 “甲斐”の意味とは、


1.行動の結果として現れるしるし。努力した効果。

2.期待できるだけの値うち。


 らしい。


 価値と同義ではないかとも思うが、より自己評価的なニュアンスを強く感じる。


 生きがい、などというように、客観的に見て如何にも無味無価値だとしても、主観的には充足していて、熱中、没頭ができる素晴らしいものはあるだろう。


「これぞ私自身がこの世にあり続ける理由だ」と、いわば、強く思いものが“甲斐”ではないかと思う。


 そういうものがあって、ただそれに没入して生き、死んでいった者がいたとすれば、たとえ客観的に(主観的にでさえ)彼/彼女の人生に価値が無いと判断されたとしても、生まれてきた甲斐はあったのだろう。


 その点でいうと、没頭/没入、熱中/情熱といった事柄は、私がもっとも苦手とする分野だ。


 醒めている、というほどでもない。


 ただひたすら、あらゆることに関しての興味が薄い。浅い。


 他者から目からは厚く見えていることもあるかもしれんが、私としては「もうちょっと深く掘り下げた方が面白くなるのに」という思いを常に抱いている。だが、できない。


 音楽に関していうと、曲は買ってもグッズは買わない。曲は作ってもアレンジやミキシングには興味が無い。ライブはしても集客には熱心になれない(そしてこんなことを言ってライブハウスから怒られてしまう)。


 小説も「読者が増えれば嬉しいな」とは思う。思うだけである。そのためにジャンルを研究したり、マメなフォロワーへの返信をしたりはしない。そして、実際に読者など0人だろうが、PVが0だろうが、小説は完結まで書けてしまうし、それに満足できてしまう。それに、読者が0だったこともPVが0のまんま動かなかったこともない。一人いれば十分だ。


 かように、やりたくないわけではないのだ。ただ、気持ちが続かない。


 醒めてはいない。だが、燃えてもいない。


 欲望が薄い、と言い換えてもいい。


 私の人生は、だいたいがそんな感じである。


 以前も書いたように、スキゾイド、なのだろう。


 だからだろうか、「死にたい」も長続きしなかった。希死念慮はあるが、もうすっかり深刻ではない。別に何一つ自分の状況が良くなったわけではないのに、うつ病にも神経症にもならないまま、のうのうと生きてこられてしまっている。


 深いところで不真面目なのかもしれぬ。


 何年も前、一時期、金が無くなることの恐怖に取り憑かれたような感覚になったことがあったが、一ヶ月と続かなかった。


 自分のことと言うのに、何やら遠い空のいるかも分からぬ異星人のことを考えているように感ぜられる。


 うむ。


 やっぱり、どうでもいいな。


 この手紙も、いつ飽きるか分からんと思っていたが、考えてみれば、飽きが来るほど熱を入れてもいない。


 淡々と続いていくと思う。なので、相変わらず気が向いたら読んで欲しい。何かあったら、何かコメントでも書いていかれよ。

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