言葉に現実を変える力など無い。

 病は気からというが、それはなにも、後ろ向きな気分が悪い影響を及ぼすだけではない。


 平均睡眠時間が二時間で、ひとりではとてもさばき切れない作業を押し付けられた人間が、暗い顔で「辛い」「苦しい」「仕事を辞めたい」といっているなら、それはむしろいい。


 そのような非人道的な状況に至ってさえなお、にこにこ笑顔で「楽しい」「面白い」などとのたまっていたら、恐らく早晩、その人の心身は壊れるだろう。


 前向き、後ろ向きといった違いは関係ない。


 自らおのれを騙すような言動をするのがまずいのだ。


 特に言葉だ。言葉はいくらでも何とでも言えてしまう。


 自戒も込めてだが、言葉に耽溺たんできするなかれ、だ。


 言葉に、悪い現状を打破するような力はない。


 言葉には、現実を正しく認識する機能しか備わっていない。


 ただの言葉に箔をつけようとした瞬間、それはもう危ない兆候であると判断してよい。


 ただの言葉で現実をきらびやかに糊塗しようとする試みは、雨漏りを手で塞ぐようなものだ。いつまでも天井に張り付いていられるか。腕は二本しかない。諦めよ。水浸しとなった床、カビの生えた現実を見よ。下を向いて歩くのだ。涙を零せ。零れるままに。


 今回は、ここまでが前置きで、ここからが本題だ。


「辛い」と思ったなら「辛い」と叫ぶべきだ。


「死にたい」と思ったなら、余計なことは考えず「死にたい」と叫ぶ。


 遠慮せずとも大丈夫だ。どうせ何を言ったところで、何も変わりはしない。


 死にたい現実が立ちはだかっているのなら、何はともあれ口にしてみよ。


 そして、ここからが重要なのだが、放った言葉と現状を、冷静に吟味する。


「死にたい」とは言ってみたものの、果たして自分の有り様は、その言葉通りになっているのだろうか、と。


 それが的確に現状を捉えた言葉だと思うのなら、それはいい。何も良い方になど行きはしないが、それはそれとして、自分を騙さなければ、上がり目もあろうというものだ。


 そうでない場合、死にたいほどの現実が横たわっていないと感じたとき、自分が、いかに言葉に騙されてしまっていたかに気付いたとき、そこから抜け出すにはかなりの労力を必要とする。


 なぜ分かるかというと、私がそのようなものだからだ。


 ゆめゆめ、お気をつけよ、友よ。


 確かに、言葉に現実を塗り替える力など無い。


 だが、現実を見る目を歪ませる力くらいはあるのだ。

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