大切な人はいるか。
初夏である。
日差しが注ぐ中にも涼しい風が吹く時間帯が多くあって、過ごしやすいここ数日だ。あなたは如何お過ごしだろうか。眠れているか、口呼吸になってはいないか。下痢ではないか、はたまた便秘では。食べる物にはお気をつけられよ。
私は、そうだな、元気にやっている。
不況だが、行きつけの音楽好きな店やライブハウスなども何とかすべて生き残っている。
しかしながら、だ。
居心地の良い場所があるからといって、それが“善い”とはならぬのだな。
なんとなれば、そういった場所、もしくは人は、我々を悪しく狂わせるものだからだ。
つまりは執心、執着である。
何らかを手に入れた者は、必定、それが失われることを恐れ、不安にまみれ、いざ失えば嘆き苦しみ、思い余れば愛に狂って破滅するのだ。
私が“幸福”に価値を感じぬのもそのためである。
幸福とは、それが何であれ所有することを善とする価値観だ。
私は、それに反対する。所有は喪失と表裏一体の仕草であって、幸福は不幸を裏返したもう一面に過ぎないと考えるからだ。まさしく、禍福は
幸福論者に寄せて物を考えるならば、真の幸福とは大切な人や物を“得る”ことにはない。失うことにさえ快楽を感じられるようになることである。
いや。
ならば、最初から持たなければいいということになってしまうな。
執着という我欲から解き放たれれば、所有も喪失も関係ない。幸福も不幸もない。苦しみさえも無価値だと断じれるだろう。しかしその境地に至った人間は、長い人類史を見ても片手で数える程度しかいない。
私とて、欲深い人間の一味であるからして。
私は私の都合から、気に入った店には営業を続けてもらいたいと思っている。
だが同時に、「終わるならばそれでもいい」とも思っている。
去る者は追わず。私にできる態度というのはそれが関の山だ。
あなたには大切なものがあるだろうか。もしくは人は。
いないのであれば、それは恐らく幸いである。
その調子でやっていかれるのが良いと思う。いや、善いと思う。
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