やめさせてもらうわ。
友よ。
私は、いよいよ愛想が尽きたぞ。
今年に入ってからこちらの、意味不明な大騒ぎについてだ。
やれ緊急事態だ、COVID-19だ、マスクの買い占めだロックダウンだと。
いいかげんにしておかないと、病死より自殺が増えるぞと何度か申し上げた。
本当に、そうなりつつある。
病気が流行ることなど、非日常でも何でもない。
人が病気で死ぬ? そんなものは当たり前だ。
医療従事者の負担? それの答えは、一つ前の手紙に書かせていただいた。
医療など、肺炎の流行にかかわらず既に崩壊している、と。
「人は生きねばならない」などという摩訶不思議な道徳観念。医療現場はそれによって、過去から現在、そして恐らくは未来永劫にまで至り、丁寧にすり潰されていくことだろう。
減らすべきは死ではなく苦しみだ。病気の苦痛も、過重労働のそれも、できる限り減らさねばならない。
できる限り、が肝要だ。
今人類があまねく世界でやっていることは「生きていればそれでいい」だ。
間違いだとは言わないが、それでは苦痛は偏在し続ける。
生かす側の人間に、過剰な負担がかかる。
まさしく不健康だ。
「生きること」を至上の道徳的価値観とする限り、誰もが少しずつの苦痛を分かち合う、今よりもずっと健全で健康的な社会の到来はない。
我々は「死ぬこと」を「よし」と認めねばならない。
良し、でも、善し、でもない「よし」だ。
価値判断の話ではない。
「そういうものだと認め、許し、あきらめる」という意味だ。
具申するが、「生きねば」などと言いふらしているうちは、今回のような大騒ぎは、いつかまた起こってしまう。
だが、「死は我らの隣人だ」と思えれば無用のパニックだ。
このままでは苦しみ抜いて死ぬことになる、と?
安心するがいい。私もあなたもいつか必ずそうなる。
早いか、遅いか、そして程度の差こそあれ、誰もが文字通り死ぬほどの苦しみのなかで、もがき、のたうち回り、むごたらしく死んでいくのだ。
仕方ない。生まれてきてしまったからな。ご愁傷さまとはこのことだ。
結論を述べる。
病院は24時間営業としても、必ず八時間勤務の三交代制にする。医師も看護師も週休二日で、有給も完全取得だ。それを回す人が集まらない病院は、9時から5時の土日休みで稼働すること。
患者は完全予約制。行列に、金やコネの力で横入りすることは許されない。オペは来たもの順に。前後するにしても二人まで。臓器移植なども同様。年齢も性別も関係ない。老人が生き延び赤ん坊が亡くなるとして、何か不都合でもあるだろうか。どうせどちらも百年とたたず死に行く運命だ。
それで、間に合わなくて死んでしまっても恨みっこなしだ。運が悪かっただけの話よ。人間は、そんなものだ。そのために「死は悪魔にあらず」を物心ついたときから丁寧に教えこむことが大切だ。
うむ。
やはり、受け入れられないだろうか。
別に、だからといって怒ったり失望したりすることもないのだが。
私の怒りは、偏った場所に苦しみを置き続けようとする諸悪の根源たる道徳に、ただただ向けられている。誰かを恨み、憎むことは無い。いつだって嫌いなのは個人ではなく、
そもそも、こうした手紙で時事のあれこれを弄るのは好きではなかった。
自然、話は古びていくし、ぜんぜん付いて行けない話題であったし。
もう、2020年現在の流行り病の話は金輪際しないこととする。
古くならない話を続けて行く所存だ。
つまり、生きることと死ぬことの話だ。決して古びない、永遠に新しい話題だ。
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