今の話
はからずも完璧な私の生活
私の体重は、現在64㎏。身長が170㎝程度なので、BMIは22で、完全に標準というところだ。これ以上減らすことも増やすこともない。
しかし、数年前はなかなか酷かった。体重は70㎏を大きく超えていたし、それ以前からして、私は人生のほとんどを“デブ”として過ごしてきた。
肥満の原因は、何をおいてもストレスだろう。
人生のすべてを無意味に感じる私の性質は、この社会の成員として振る舞うことが、まったく間尺に合わなかった。
「なぜ、このようなことをせねばならんのだ」と思い続けながら、人と交わり、学校に通い、会社に入って働いた。
ここで一つ断りを入れる。私は無意味を嫌ってはいない。不毛な作業を憎んではいない。
無意味でありながら、何らかの意味を見出そうとする仕草や、不毛であることを認めず、何らかのためだとおためごかしを吐かれながらやらされる作業に耐えられんだけなのだ。
無意味の一言で説明できるものに、妙な理屈、エクスキューズ、予防線を張られさえしなければ、無味無価値という名の“気楽”を私はむしろ愛しているし、不毛という事実に安息を覚える。
しかし、この社会は無意味を蛇蝎の如く嫌う。無理やりにでも、自分たちでさえ信じきれていない“意味”や“価値”や“幸福”とやらで互いを騙し合って、ある種の躁状態で世を運営している。
まるで六道輪廻の餓鬼道だ。
何をどれだけ食らっても腹はくちくならず、ひたすらに渇くばかり。無意味の気楽に気付くことなく、ただ一心不乱に“幸福”とやらを求め続ける人々の姿に、それは重なる。結果、殺し合いと騙し合いは未だ、まん延している。人類は幸福を目指すその足で、苦痛と不幸の泥沼に沈み行く。悲しみを感じる。人の安息は渇望の先ではなく、諦めの先にあるはずだと思う。私は明らかに間違った道を歩む人々を見ると、悲しくなる性分のようだ。
そうした世界に生きることが、私にとっての精神的苦痛であった。
そして、見事、すべてを投げ出し、立派な放蕩者となった。
そこまで来て、非常に健康で、軽やかな生活を手に入れた。
これが、日々八時間の労働を週五日も続けるような身になってみれば、たちまち私はこの完璧な状態を手放さなければならないことだろう。
先細る一方の生活に不安はないのかと訊かれれば、以前はあったが、今はまったくないと答えられる。
実際に訪れてもいない未来の不安に苛まれるのは、人間の特性であると同時に重篤な欠陥であると思う。
今こうしている現在が生き物にとってのすべてである。今こうして飯を食い、糞を垂れ、眠る生活にこそ、摘むべき花がある。そして、死が私を迎えに来たら死ぬしかないのだ。それだけだ。
この章は「今の話」とした。
友よ、どうか、明日の死を決めていたとしても、今を生きて欲しい。
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