毎日、何を食うかだけを考える

 今、あなたがこれを読んでいるときに、私が考えていることは、容易に想像がつく。


「今日は何を食べよう」か「明日は何を食べよう」だ。


 小説の物語を考える?

 新しい曲を作る?

 映画が観たい?


 違う。


 それらは生きる上での余計な事。些事である。些事を大事と思い込むのは、苦難の始まりだ。


 人間に必要不可欠なのは、食事、睡眠、排泄。この三つさえあればよいのだ。それ以外は、適当で良い。


 逆に、それらを粗末にしていると、ヒトのQOLは間違いなく低下する。


 せかせかと忙しい人間は、飯を食うのが下手くそになる。


 次から次へとどうでもよい仕事が手元に積み上がり、食事に行くタイミングを見失う。


 朝も昼も何も食べず、深夜、食欲より睡眠欲が勝っている状態で無理やり胃に食物を詰め込む。


 すると、眠りの質が落ちる。消化不良を起こし、下痢や便秘になる。


 そうして、人間に必要な三つの柱は、連鎖的に折れていくのである。


 挙句には過労死か。バカげている。


 忙しい人は、なによりもまず、不安によって駆動させられている。


 しかし我々は、来てもいない未来の、ありもしない不安と困りに疲弊している場合ではない。


 現在における目の下の隈や、空腹や、形を失くした水便こそが、今そこにある危機なのだ。


 金を失くし、路頭に迷う不安を誰に吹き込まれたのか。


 成長せねば、市場に価値ある人材として認められなければといったお題目は、誰に教わったのか。


 一度、胸に手を当てる必要はないので、考えてもみて欲しい。


 その先に待つものはなにか。


 先に私がお答えしよう。


 死だ。


 まったく、どのような大富豪でさえ、悪辣な政治家や、聖人でさえ、この死からは誰も逃れられぬ。


 我々は誰であれ、死ぬように生まれてきた。


 寿命は、長生きしたとして、たった百年である。


 この地球が生まれ落ちたその日に比して、一秒にも満たない瞬間。一瞬の存在である。その地球ですら、やがて太陽に飲み込まれ、その太陽でさえも死に絶える。


 そんな、矮小という言葉すら追いつかない塵よりも無意味な一生の、何をちまちまと不安がることがあるのだろう。


 同意してくれずとも構わない。


 ただ、一つだけ進言させていただく。


 とっとと今日の飯を食い、糞に変えるのだ。友よ。

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