誰かを殺したくなったら

 この国は治安が良い。


 それは、間違いようのない事実だ。


 戦争は、貧困はあるが、略奪はない。しっかりとした保険制度と、社会保障制度がある。


 怨恨による殺人、政治家の汚職、強姦、痴漢、スリ、いじめなどは依然としてあるではないか。


 それは、反論になっていない。


 なんとなれば、人類はそういった細かな犯罪をどうにかできるほど、立派な生き物では無いからだ。


 せいぜいが、戦争の数を減らし、格差を縮めることくらいであろう。


 それだって、脳の肥大したただの猿にしてみれば、いかにも偉大なことのように思う。


 かように、私は、自分も含めた人間に、大した期待を寄せていない。


 今回は、そのような言葉、慰めにならんと思う方へ、一筆書きたいと思う。


 あなたは今、誰かを殺したいだろうか。この手紙を読んで、「貴様の物言いが気に入らん、殺したくなった」と思われたのならそれもいい。


 そう、たとえば、いじめ被害者が、加害者を殺したくなったとしよう。


 いじめと聞くと、かつては苛々とさせられたものだが、今では寒々しい思いに取って代わられている。


 誰もが、自分はいじめられたことは決して忘れない。


 そして、自分がいじめていたことは絶対に忘れている。


 別にあなたを責めているのではない。私は常に私も含めた人類全体を心の底から軽蔑している。安心したまえ。


 だから、自分をいじめた人間を殺そうと思っても良い。だが、決して銃やナイフを手に取って殺してはいけない。


 そうではなく、全身全霊で呪うのだ。


 驚くべきことだが、死の呪いは万人に有効だ。「死ね、死ね」と心で思っているだけで、相手は必ず死ぬ。それは交通事故だったり、末期ガンだったり、果ては天寿をまっとうしたとしか思えない年齢での老衰だったりするが、そうではない。あなたの呪いが効いたのだ。病と同じく、呪いも気から。よく覚えておくといい。


 怒ってしまわれただろうか。いよいよ殺意が私に向いただろうか。


 構わない。


 今一度、もう何度でも書く。


 我々人間は、この宇宙に何の影響も及ぼさない、矮小で無知蒙昧な、取るに足らない無意味かつ無価値な生命体だ。


 一切なんの価値もないため、死ぬほどの価値さえもない。生まれたことにまったく意味がないので、生きて、死んでいくことにも意味はない。


 醜悪な殺し合い、騙し合い、いじめを行う愚か者どもと、それをしない人の間には、わずか薄壁一枚を隔てる程度の差しかない。五十歩百歩。


 何故なら、どのような善行も、悪行も、等しく意味がないからだ。どのように生きたとて、最後には死のさざ波がすべてをさらっていく。


 ならば、我らに悩むべきことなど、何一つとしてない。鼻持ちならんあれもこれも、放っておけ。無意味に気付けぬ馬鹿者どもの、下らぬ遊びに付き合うことはない。


 だが、それでも何か我慢ならんことがあったら、どうにもならん怒りと憎しみに出会ったら、呪えばいい。


 他者を呪うとは、自分の内にある怒りや憎しみと、思い切り伴走することに似ている。


 走り切って疲れたら、もう憎むのも、あほらしくなっているのではないだろうか。


 断言はできない。だが、強くお勧めする。

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