とはいえ、子供を優先すべき
暇人の私は、洗濯と掃除を済ませると、朝から本屋や図書館に向かう。
家を出るため車に乗り込むと、二歳になるかならないかくらいの子供が歩いていた。近所の子だ。まだ手と足が同時に出るぎこちない歩みで、自宅の玄関まであと少し。そこを母親がよっこらせと掻っ攫い、一目散に駆けていく。「なぜ私を持ち上げるのだ」とばかりに叫ぶ幼児。
どうやら、私の為にゴール手前まで来ていた歩行訓練中の息子をどけてくれたらしい。
ありがたいが、しかし、いらぬ世話である。いくらでも待とうではないか。
本屋に着くと、どうやら今日は学校か幼稚園が休みなのか、親子連れが多かった。
雑誌、小説、漫画などを順に巡っていると、大きな声が聞こえてきた。
声量ををわきまえぬ甲高い歌声だ。歌詞をつぶさに聴くと、どうやら仮面ライダーのテーマ曲らしい。仮面ライダーは分からぬ。私はウルトラマン派だった。
と、また保護者と思わしき方から、歌を妨げる叱責が飛ぶわけだ。
躾だとは分かるが、そう言ってやるなと思う。
物を壊したり、大騒ぎしていたわけでもあるまい。多少大きな声で歌っていただけだ。朝っぱらから元気で、結構なことではないか。
そこで、ふと、思った。
この朝のできごとのようなことが、「我慢ならん」人もいるのだろうな、と。
事あるごとに起こる、保育園建設反対運動や、公園の騒音問題。
過敏な方もいらっしゃるだろう。神経質な人も。
だが、大きな話として、「子供の声や動き」にすら苛々としてしまうのは、これは、生活が何らかの形で壊れている疑いが強い。
幾度も繰り返しているように、我ら人類は「不必要に脳が大きくなっただけの猿」だ。
なので、幼児はもはや猿そのものといって差し支えない。
猿がうきーと騒いでいることにいちいち腹を立てる人がいたらどうであろう。
保護者たる“飼育員”に向けて、「ちゃんとしつけておけ」と怒鳴ってどうなる。猿は猿のままだ。「ちゃんと」すればどの猿でも唐傘で芸ができるとでも。無茶を言いなさるな。
そのような事を考えているわけではあるまい。
子供の振る舞いに我慢できぬ方々は、理不尽を償却できぬほどに心身が
休め。
暇と怠惰は、人をいらぬ腹立たしさから遠ざける。
丁度、この手紙を書いている暇人のように。
最後に、余談を一つ。
生誕の災禍は誰もが平等に受け取るものだ。
故に、新参者にはより多くのいたわりと慈悲を向けるべきだと思う。
生き残る意味もなければ、滅ぶ価値もない我々ホモ・サピエンスのやることなど、万事がどうしようもなく、ろくでもない。
が、昨今の「子供優先」の風潮だけは評価できる。辛うじてではあるが。
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