見えざる門の先
ラグビーW杯がたけなわである。自国開催かつジャパンの快進撃もあり、ラグビーという競技の認知度も上がったことだろう。かれこれ四大会をTVで観戦してきたが、増え続ける怪我人と奪われ続ける得点を観続ける修行のような十数年前とは雲泥の差である。
週末にはイングランドと南アフリカの決勝戦が行われるが、音楽の方で用事があり、生では見られない。最近妙に忙しく、土日が空かないのだ。新鮮な心持ちで録画を観ようにも親切な節介焼きが結果を教えてくださる。仕方ない。これもまたノーサイドの精神だ。
さて、ラグビーの反則に、オフザゲートというものがある。ボールを持った攻撃側の選手に、守備側の選手がタックルを食らわせ、倒す。そこにタックラーとは別の選手が斜めや横方向からタックルをすると、反則となる。何故かは知らない。恐らく、タックルの方向を制限することで、安全性を高めているのだろう。
その、タックルが有効となる選手の侵入箇所を、ゲートを呼ぶのだが、絶え間なく動き続ける競技ゆえ、目には見えない。とにかくレフェリーが笛を吹けば反則だ。我々素人はそれだけを覚えておけばよい。
社会人なる不可思議な“身分”にも、それと同じようなものがあるように思う。
学校という『通いの刑務所』に九年、もしくは十二年、休みなく行き続け、さらに四年間を大学という『就職手形発行所』に通い続ける。そうした先に待つのが、一日八時間の以上の労働を週五日以上続ける日々である。
そういった数々のゲートを正規の手続きで通らなければ、娑婆の成員としては認められない。
私は、その見えざる門の先に辿り着いたことがない。
大体が、最初の九年間で青色吐息であったし、高校の三年間など、記憶も定かではない。この期に及んで大学など考えもできなかったが、幾ばくかの金を掴んだのみで就労も失敗に終わった。
自分でも分からぬうちに日々、道を蛇行し、誰もがくぐる門に斜めからぶつかって、弾かれ続けた。反則であると諭す審判もいなかった。
やはり、幼少の頃にラグビーでもやっておくべきだっただろうか。
そうすれば、この惰弱さを埋めるわずかばかりの素養となったであろうか。
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