これからの話

絶望のあと

 半袖ではもう寒いと感じられるようになってきた。私は割と骨太で脂肪のつき具合もなかなかのものであるから、寒さにはそれほど弱くないが、原因は不明ながら、季節が冬に降りて行くごとに自殺企図数は増えるという。友よ、元気か、息をしているか。


 この国では、どうやら、子供が生まれなくなっているらしい。


 実感は、薄い。


 私の兄弟も子を持つ親であるし、交流のある人たちも多くが家庭で子育てに奮闘されている。住む地域と環境が違えば、見える景色も違う。そういう話であろう。


 いずれにせよ、私にとっては、どちらでもいいことだ。


 私は、反出生主義者である。


 私の望みは、私を含めた全人類のことごとくが絶滅し、一切が無に覆われた安息・安寧が訪れることだ。


 しかし、個人的な望みはありながら、他者が想い望む世界についても否定したくはない。


 産むのであれば、その選択を祝福しよう(断じて“出生”を祝福するのではないことを付記する)。産まぬのであれば、せいぜい己が人生を手前勝手に楽しめばいいと思う。好きにせよ。私のように。


 人生は、いいものではない。


 一切皆苦。生老病死しょうろうびょうし愛別離苦あいべつりく怨憎会苦おんぞうえく求不得苦ぐふとくく五蘊盛苦ごうんじょうく


 約束された苦しみは、このように簡潔な言葉で示されている。それでもなお、この娑婆世界に出現させられた我々は、我がうちにその痛みを引き受けねばならぬ。口で誰かのせいとは言えても、本当の意味で誰かのせいにはならない。


 我々の世には、絶望が、静寂に訪れる耳鳴りの如く響き続けている。


 畏れながら推察するに、これを読むあなたは、そういった絶望を誰よりも鋭敏に聴き取ってきた。


 今一度繰り返す。


 人生は、いいものではない。


 そこに、我々が舐め、噛み締めてきた辛苦を味わう同胞がはっきりと目減りしているという事実を加えれば、それはなんとも、喜ばしいことではないだろうか。


 絶望のあとにやってくるのは、茫漠とした荒野である。人生は無意味であった。命は無価値であった。


 すべては、大したことではなかった。


 出生数の減少というニュースに触れた世間の空気に、どうにも拭えない絶望の気配を感じていたのだが、私にはそれが、皮肉でもあてつけでもなく、善い傾向であると思っている。


 もっともっと、我々は絶望すべきなのだ。

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