人生に納期などない

 曲を一週間で三曲覚えねばならないことになった―――などというと、まるで職業音楽家のようだが、素人である―――特に困難でもないが、慌ただしい数日を過ごしている。コード進行を覚えるだけなら一日で事足りるが、それでは一本調子の退屈な演奏にしかならない。ボーカルの方は初めてのステージだというので、年長者としてしっかりとリードしていくのも大切だ。というわけで、気楽論の提唱者としてはやや不当なほど忙しい。


 前項に続いて、仕事についての話をしたい。


 多くの場面、主に会社と呼ばれる場所では、納期に人を合わせるやり方が常態化している。あなたにも覚えがあるだろう。あれは本当によくない。心を亡くしてしまう。忙しくなる。


 かといって、打つ手はない。締切がなければ一筆も書けない作家がいるという。納期を無くせば、停滞する経済活動が増えるだろう。


 我々にできることといえば、せいぜい、人生を仕事化させないことだ。


 人間が、というか、地球上の動植物がその生を続けていく上で、本来やるべきこというのは、ない。


 あるだろうと思われたかもしれないが、実はない。すべてはなのだ。


 生まれたついでに生きている。生きているついでに食べている。食べたついでに動き回り、寝て、起き、やがて死んでいく。


 そこにあるのは、欲求と惰性だ。


 そこにいるのは、やりたいことをやる者と、死なないから何となく歳を重ねている者だ。


 両者に貴賤はないし、「これをやるべきだ」と要請された物事など、ひとつもない。


 冥府やら浄土やらに納めるべき年貢があったとして、少なくともそれは、賃金労働で得られた貨幣ではない。地獄の沙汰に金は使えない。そのようなたわごとは、あの世にUFJ銀行が出店してからいうべきだ。


 私は死を肯定する。そして生も全肯定する。この手紙を読まないような人々にはせいぜい、長生きしていただければいいと思っている。


 そして、今まさにこれを読んでいる親愛なる方々におかれては、自殺もいいが、それ以前に、有限会社『人生』に退職届を提出して欲しいと思う。


 どうせ、誰もが道半ばで寿命を終えるのだ。


 友よ、決して完遂しない作業にうつつを抜かすのは、もう辞めにしないか。

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