いくらあれば子供が育つのか

 子を持たないと決めている。そんな方の中には、収入の多寡が気になるという向きもあるだろう。


 しかし、敢えて私は金銭的な面での反出生には否定的立場を取らせていただく。


 あなたのQOLが、子を授かることによって向上すると思うのであれば産むべきである。


 無論。私は反出生主義である。人類は絶滅するのは望ましい。だが、ヒトは男女一組がいなければ生まれない。で、あれば一組一人までなら産んでもいいことになる。さすれば自然と人口は消滅していく。単純な算数。だから、あなたは子を為すことによって得られると予想する諸所の幸福感や達成感の到来を拒むべきではない。その選択を祝福する。


 ましてや、それを「金が無い」の一言で諦める。それはまったくおかしな考えである。


 私の友人知人は、個人事業主、特に音楽を生業にしている方が多い。


 サラリーマン家庭の育ちだと、つい雇われや宮仕えの安定がなければ子は育たないなどと思いがちであるが、それはまったく視野狭窄なことであることが分かる。


 ある人はギター一本をステージや教室で弾くだけで子を三人育てている。


 またある人は、自らの横隔膜と声帯から発せられる歌だけで妻と子供二人を養っている。


 一体何をしているのか分からないし、一年に一ヶ月は部屋からまったく出てこない精神障害を患った方も、家庭は持っている。


 社会保険には入っていないし、有給や育休なども実質的にはない。それでも、何とかなるのである。


 それでは安心できないだろうか。


 なら、いくらあればいいと思うのか。いくらの資産を持てば、不安は消えるのか。


 私は、いくらあっても消えないと断言する。


 たとえ十億円あったとしても、人は老いと病と死には抗えないし、人生における別離の苦しみからも逃れられない。


 これらは、貨幣によって交換できる代物ではないからだ。人間という生命体が、原理的に持ってしまっている特性。宗教的な語彙を弄するなら『原罪』である。


 何も心配はいらない。


 どれほど金銭的に満たされたとしても、人はいつか必ず不幸になる。また、人はその地獄にも、わずかな仏を見出す。それを幸福と呼ぶのなら、恐らくその通りだ。禍福は糾える縄の如し。


 以上を鑑みると、申し訳ないが、収入基盤の脆弱さや、将来の見通しの暗さを理由に子を為さないというのは、やや視野狭窄であり、近視眼的であると言わざるを得ない。


 実態として、現代の世界にある貧困は改善の一途を辿っており、子供は私が生まれる約三十年前と比べても、格段に死に難くなっている。


 国内においても、これまで自力救済の道しかなかった福祉の網はよりきめ細かくなっている。困ったら近場の役所に相談するといい。私はこのような放蕩者なので出て行く金が多くなるのはできるだけ避けたいのだが、そう思って行政の門を叩くと意外なほど「なんとかなる」ことが分かる。


 そして、その先の地平には、平等な死が待っている。


 私には、やがて死にゆく者をわざわざ生み出したいと思う欲望が理解できないが、欲望を持つことの善悪を断ずる傲慢な考えもない。


 どう言い繕ったところで、人生が苦しみに満ちた地獄であることに変わりはないのだ。そこに人を生誕させた時点で、多少の金など、何の意味もなさない。産むがいい。精々好きなようにやってみるがいい。それは少なくとも間違いではないだろう。

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