罪悪感をどう処すか

 嘘ばかりついて生きてきたことに対して、申し訳なさを感じる。


 生きることになど興味も持てぬのに、生きたいと、生きる意欲のあるふりをして生きてきた。


 人が死ぬことなど、自分自身も含めて本当はどうでもいいのに、死に対して、あたかも悲しむ素振りを見せてきた。


 寂しさなど感じたこともないのに、その場に合わせて寂しいとのたまってきた。


 何事においても、「頑張ろう」などと思ったこともないのに、頑張っている人間のを真似て、叱られないようにしてきた。


 やりたいことがあるふりをしてきた。音楽・小説・その他娯楽鑑賞・創作全般。すべて暇潰し以上の意味が無いことを誰にも言わずにいた。


 夢を持っているふりをしていた。『将来の夢』を書くのが苦痛でしかなかったことを決して表に出さぬようにしてきた。


 人を好きになったふりをしてきた。私にとって、動物や虫や花を愛でることと他人への好意は同列だが、それはどうやら少し違うらしい。どう違うのか、理屈は分かるのだが、心の底からは理解できない。できなくとも、害はなかろう。


「人はいつか必ず死ぬのだ」と、知ったその瞬間から全身が脱力し、その虚無を拭い去るどころか、むしろ心地よく感じてしまっているのに、そうでないふりをしてきた。


 それらの“ふり”をしなければ、私は直ちに死ななければいけなくなると思っていた。生きることを「どうでもいい」と語る人間に生きる場所はないと思い、その気持ちを必死に消そうとしてきた。


 できなかった。


 何故なら、それが私という人間の芯であったからだ。教育によって改善できるようなものではなかった。


 だから、今はホッとしている。自分がどんなであるのかが、よく理解できた。私は変わらなかったのではなく、変われなかったのだ。


 吐き続けた嘘は、今も残っている。


 私は嘘をつき過ぎた。真実を隠し過ぎた。もはや、今こうして語っている言葉がどちらなのかさえ判然としない。


 自分の本当のところが分からない。分からないと言いつつ、それを悩みとも感じていない。


 どちらでもいいのだと思う。どうでもいいのだと思う。


 やはり私の核にあるのは虚しさなのだ。敢え無く生きて死ぬ虚しさ。何をどうしたところで無にしか帰さない命への虚しさ。約束された滅びを知ってなお足掻き生き抜こうとする者たちの仲間になれぬ虚しさ。なりたいとも思えぬ虚しさ。


 そう確信するたび、ますます、「私は生まれてくるべきではなかった」という思いを新たにする。


 このような身も蓋もない心を持って生まれてきてしまったことに、せめて一抹の罪悪感を覚えようと努力する。


 しかし、それすらも、非常に曖昧ではっきりとしない感情なのだ。

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