自傷と自虐の禁止

 私は自殺を肯定する。その立場は、今後揺るがないと断言する。


 しかし、自傷行為と自虐には反対である。以下、理由を述べる。


 まず、自傷行為について。


 私は、リストカットはおろかピアスの穴ですら開けたいと思わない筋金入りの痛がり屋である。なので、あくまでも体験者や専門家の話、文章で得た知識でしかないが、自傷行為には依存性があるといわれている。


 手首を切っている最中は、痛みが無い。むしろ、快楽的ですらある。脳内麻薬か、ドーパミンが云々といった話はてんで分からぬが、とにかく、生きる苦しみや痛みを紛らわせるために作った新たな痛みと傷が、そうした辛さを和らげてくれるという。


 結果、多くのゲートウェイドラッグがそうであるように、行為は繰り返され、過剰さを増し、より行き過ぎ、一途に悪化し、最悪の場合は死に至る。それは自殺ではない。ただの自損事故である。そういった意味では、自動車やバイクによる暴走行為も、広義の自傷といえる。


 痛みを痛みで緩和させる。非論理的ではあるが、人はあまねくそういう性質を持つ。スポーツやサウナで汗を流すのも、身体に鞭を打っているという点では自傷である。


 結論としては、凶器を使う自傷行為は禁止、ということになる。ストレスのあまり食べ過ぎて腹を壊すくらいに留めておくことだ。誤って事故死など、笑いものにもならん。


 次に、自虐について。


 自分の不甲斐なさ、弱さ、至らなさ、下らなさを、せめて笑いに変えてやり過ごしたいという気持ちは、理解できる。


 自分で自分を笑う。自虐は時として“ネタ”とも言われる。それはしかし、結局ところ、自分に対する虐待に過ぎない。


 また、自虐のすべてを“ネタ”として消化できず大真面目に悩んで、それすら自虐ネタで発散しようというような自家中毒に陥ってしまう危険性がある。手首への度重なる裂傷が感染症を呼んでしまうのと同じように、心を切り付け続けることで厄介な精神病や神経症を誘発してしまうかもしれない。


 そんな自虐にも効能がある。やっている間は、自分が許されているような気分になる。


 何に。誰に。どうやって許されようというのか。


 歩いていれば石に蹴躓くように、どんなに慎重を期したとて、どうしようもないこともある。


 言葉を交わしていれば悪口が飛んでくることもある。


 学級・サークル・部署といった枠の中に入っていけば仲間外れにされることもある。


 生まれてくれば親やそれに準じる人間に虐待されることもある。


 キモいから排除される。太っているから罵られる。チビだから殴られる。地味だから無視される。ウザいから死ねと言われる。


 すべて不当なのは言うまでもなし、が、そんなものにいちいち真面目に取り合って、挙句、自分を嘲笑する阿呆どもが並ぶ唾棄すべき名簿に、自分の名を書き連ねてどうする。誰かの気に入らないから死ねなどという破綻し切った論理に飲み込まれてどうする。


 自傷・自虐。これらは、気楽に生きる妨げになる。


 今後一切、禁止である。

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