人間である自分を軽蔑する

 私の心底には、可聴音域外にある低音のような、微かだが確かな怒りがよどんでいる。


 それは、生がもたらした辛苦。死によってしか癒されない傷病しょうびょうである。


 まず、結論から述べる。


 私は、私が人間であることが許せない。


 順を追って語ろう。いじめの経験だ。―――この時点で、一旦筆が止まり、まるで時間が消し飛んだかのように十分余りが経ってしまう。無理はせず、書き易いことから書いていこうと思う。


 私の何がそれほどまでに他者の嗜虐心や悪意を助長したのかは分からないし、恐らく論理的な説明は為されないであろう。何が悪かったのかといえば、運が悪かった。それだけのことである。


 私の容姿、体型、性格、気質、話し方、振る舞い、その他すべての私を構成する要素が、その環境における標的として選ばれざるを得ないものだった。


 悪意はどこにでも、振るう本人にすらそれと分からないほど巧妙に隠れている。


 私は、私に向けられたその仕打ちを許せずにいる―――と、なれば、話はもっと簡単だったのだが、そうではない。


 この怒りの根源は、私自身にも、いわゆる“いじめ”を行う精神性を容易く見出せてしまうことにある。


 誰かの容姿、体型、性格、気質、話し方、振る舞い、その他の些末な要素で他者を嫌ったり、悪し様に言ったり、扱ったり、そうしたことを一度としてしなかったか。


 否、である。


 私にも、当然存在する。私は理不尽な悪意に苦しめられているのとほぼ時を同じくして、理不尽な悪意で他者を見つめていた。


 自分自身もまた、自らが蛇蝎の如く嫌った連中の一味と、何ら変わらぬ精神を持っていたのだ。そのことに、私は怒りを収めておけないのである。


 もう一度、記す。


 私は、私が人間であることが許せない。


 この糞のような社会を作った糞のような人類という糞の一員に自分も加わっている。その糞のような事実に直面して、私は糞を垂らすが如き吐き気を覚える。


 そんなであることを辞められる。その一点を以て、私は生がもたらすどのような事柄よりも死を尊べるのだ。

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