#7 百人斬りジュリアスあらわる

「ロード=オブ=オーシャン号が動き出しました。輸送船団を伴って東に向かうようです」

 武装船-ブラッディ=ウルフ号の当直甲板上で望遠鏡をのぞいていた副官が、甲板上にあぐらをかいてサーベルを吟味しているジュリアスに言った。

「行き先は間違いなくティシュリだな」

 ジュリアスはサーベルの刃をじっと見つめながら答えた。

「はっ。ただ、ロード=オブ=オーシャン号に司令官旗がありません。これはもしや」

「負けて、降伏したってことだな」

 ジュリアスはサーベルをさやに収めると、立ち上がってのびをした。

「まあ、あの恥ずかしいカバの旗が降りたのは歓迎だな」

「しかし、大型船のロード=オブ=オーシャン号が中型の商船に敗れるということがあるんでしょうか」

「けんかは数でするもんじゃねえってことさ。アッシャーのことだ、相手を見くびってかかって油断したんだろう。ま、そうでなくともあいつが戦に強いとは思えねえが」

 ジュリアスはレグラーンの街で、剣士の一団とけんかをしていたマリアンヌたちを思い出した。とりわけ、そのうちの一隊を瞬く間に蹴散らした黒人の航海士と太った怪力戦士の力にはすさまじいものを感じた。相手は訓練を積んだ警備兵だ。それを簡単に料理してしまう男たち、そして、そんな男たちを従えている少女に、彼は興味があった。

 彼はこちらに向かって少しずつ近づいてくるインフィニティ号を眺めた。そして、甲板の方に顔を向けて、集合している船員たちに発破をかけた。

「いいか。相手は商船だが、絶対に油断するんじゃねえぞ。戦艦を相手に戦うくらいの気持ちを持て。そうすりゃ必ず勝てるぜ」

「おうっ!」

 乗組員たちは叫び声をあげて闘志を盛り上げた。先に海賊を撃破したことで士気は高まっている。乗組員の強さも証明されている。よほどのことがない限り負けることはないとジュリアスは確信した。

「全員、白兵戦配備で待機。運航員は作業を続けろ。インフィニティ号の正面に近づけろ」

 ブラッディ=ウルフ号は滑るように船を走らせ、インフィニティ号との差を500ヤードの距離にまで縮めた。

 副官が言った。

「ジュリアスの旦那、攻撃準備は整っています。戦闘開始の合図を」

「そう急ぐな、まずはパーレイ(交渉)だ」

「交渉するんですか? それでは戦闘配備の意味は……」

「臨戦態勢で交渉するのが海軍のやり方だ。口出しせずに、オレの言うとおりにしろ。運航員、船をインフィニティ号の30ヤード先まで接近させろ。そうだな、100ヤードの距離になったら、交渉の信号を送れ」

 副官が船員に命令を伝えると、ジュリアスは船首に仁王立ちして、インフィニティ号を待ち受けた。


 マリアンヌはインフィニティ号の当直甲板に立って、対峙するブラッディ=ウルフ号の動静をじっと見守っていた。両船の距離は200ヤードを切っている。そこまで接近すると、どちらも帆を半開にしてスピードを緩め、相手の動きを見るようにゆっくり動いている。

 さらに近づいたとき、ブラッディ=ウルフ号の船首に立った信号手が手旗で合図を送ってきた。

「交渉を要求しています。どうしますか」

 セレウコスがマリアンヌに言うと、彼女はひとつうなずいた。

「交渉に出るわ。了解の合図を送って」

 彼女は船首の、ほかの船からもはっきりわかる位置に一人で立った。表情は緊張している。交渉次第で戦闘を回避できるかもしれないが、そうできる自信はあまりなかった。

 二つの船の距離が50ヤードくらいに狭まったとき、ブラッディ=ウルフ号は縮帆して船を止めた。インフィニティ号も同様の方法で停船をかける。あとは止まりきるまで慣性で両船が近づく。

 ブラッディ=ウルフ号の船長の姿を認めると、マリアンヌが呼びかけた。

「あたしがこの船の提督、マリアンヌ・シャルマーニュよ。あなたが船長ね」

「オレは海賊のジュリアス・セザール。また会ったな」

「また会った? ……あっ、あのとき助けてくれた人なのね」

 彼女ははっきりと思いだした。レグラーンでムオイ男爵たちの警備隊に囲まれたとき、圧倒的な強さで敵を追い払った剣士。その、目にも止まらぬ剣裁きもはっきりと脳裏によみがえった。

「あのときは助けてくれてありがとう。でも、こんな場面で再会するなんて……」

「言っただろ。今度会うときは敵同士かもしれねえって」

 ジュリアスの言葉に彼女の表情はまた堅くなった。レグラーンでは心強い味方だったが、今度は敵、それも強敵だ。

「交渉を要求してきたってことは、何か条件があるんでしょ? 何なの?」

「その前に確認したいが、アッシャーのバカはどうした」

「この船にいるわよ。連れてこようか?」

 当直甲板に、プトレマイオスに羽交い締めにされてアッシャーが上ってきた。アッシャーはジュリアスの姿を見ると、泣きながら助けを求めた。

「ああ、ジュリアス。早く助けてよう」

「つくづく情けねえな、てめえは。一度痛い目にあって頭冷やした方が、てめえにはいいんじゃねえか?」

「そんなこと言わないでよう。ボクは生涯最大のピンチなんだよ。もう頼れるのジュリアスしかいないんだよう」

 泣きつくアッシャーを見ながらぼりぼり頭をかいたジュリアスは、マリアンヌの方に向き直った。

「ま、こんなバカボンでもオレの雇い主だ。護衛としてこいつを無事にティシュリに送り返すのも仕事の内なんでね。アッシャーの身柄、オレに引き渡してくれ。そうすりゃ、オレたちは引き上げるぜ」

「悪いけど、それはできないわ」

 マリアンヌはきっぱりと拒否した。

「アッシャーが起こした騒動のせいで、ビール組合やほかの人たちにたくさん迷惑がかかったのよ。彼にはその責任をとる義務があるわ。そのためにも、アッシャーはあたしたちがしっかり見張っておくつもりなの。本当だったら、あんたも共犯だから一緒に謝るくらいしなきゃいけないのよ」

「ふん。それじゃ、どうあっても引き渡せないわけか」

「ひとつだけ引き渡せる条件があるわ。あんたたちがあたしに降伏したら、アッシャーを返してあげる」

 それを聞いて、ジュリアスは笑い出した。

「そう返してくるとは思わなかったぜ。ちょっとはそっちの言うことも道理だがな、こっちとしてはその条件を飲むわけにはいかねえな」

「待ちなさいよ。こっちにはあんたの雇い主のアッシャーがいるのよ。人質に取っているようなものなのに、それでも戦う気?」

 彼女の言葉に、ジュリアスは真顔で応えた。

「そいつになにしようと勝手さ。ただ、傷でも付けようものなら、こっちも容赦しねえぜ。もしそいつを殺したら、こっちもてめえらを皆殺しだ」

「むちゃくちゃよ。アッシャーを返してほしいんじゃなかったの?」

 ジュリアスはサーベルを抜くと、マリアンヌの方に差し向けた。

「オレは海賊だ。むちゃくちゃだろうと腕ずくで解決するのも方法の内だぜ」

 マリアンヌもジュリアスに倣って、短刀を抜くとジュリアスの方に差し向けた。

「わかったわ。ならこっちも全力で戦うだけよ」

 二人はしばらくの間武器を向けあってにらみ合ったが、ジュリアスがすっとサーベルを引いた。

「いい目をしてるぜ、あんた」

 そう言い残して、ジュリアスは引っ込んだ。すぐにブラッディ=ウルフ号の船員たちが動き、運航員は帆を広げ、戦闘員は体勢を整えた。

「プット、アッシャーを船倉に詰め込んでおいて。かき回されると面倒だわ」

「おう。放り込んですぐに戻ってくるぜぇ」

 プトレマイオスはアッシャーを引きずって船内に入っていった。アッシャーは「暗いところはいやだよう」とわめいていたが、なすすべなく船倉に閉じこめられた。

「セル、戦闘準備は整ってる?」

「整っています」

「なら、船員の指揮はセルに任せるわ。頼むわよ」

「承知」

 セレウコスは彼女にうなずくと、船員に命令した。

「取り舵一杯。船を反転させろ」

「逃げるの?」

 マリアンヌは驚いてセレウコスの顔を見た。

「いえ。今のままではまともに敵艦の横付けを許します。そうなると勝ち目はありません。自分に考えがあります」

「そう。……ごめんね、あたしさっきセルに任せるって言ったのに」

 セレウコスの命令通りインフィニティ号は左旋回して180度回頭した。ブラッディ=ウルフ号に背を向ける形になったが、追い風の体勢でもあるので、操船するには有利な状態でもある。

 ブラッディ=ウルフ号は帆を全開にして、インフィニティ号の舷側に滑り込もうと迫ってきていた。

二つの船が接近したところで、セレウコスが命令した。

「面舵一杯。船首を90度右に回せ」

 インフィニティ号は右に急旋回すると、徐々に横付けさせようとしていたブラッディ=ウルフ号に向かって進み、その船首部分に頭をぶつける形で衝突した。二つの船は、船首と船首をつないで、くの字を描く形で停船した。

 接点が狭ければ、その部分に兵力を集中することができる。寡兵で多勢を相手にするにはこれしかなかった。

 セレウコスはマリアンヌの顔を見て言った。

「お嬢ちゃんは船尾に下がっていてください」

「なんで? あたしも前線で戦うわ」

「いけません。今回の敵はかなり手強い相手です。お嬢ちゃんにもしものことがあったら、自分はジョゼフの旦那に顔向けできません」

「相手が強いってことは百も承知よ。でも、みんなに任せて引き下がれないわ。それに……なんかあのジュリアスって人、あたしたちと戦いたがってた気がする。それを受けて立つって決めたのあたしだもん。だから」

「お嬢ちゃんの思っていることはわかります。ですが、ここは自分らに任せて下がっていてください」

「セル……」

「そうだぜぇ、お嬢。ここは俺様に任せろぉ。強ええ敵を相手にするときこそ、一世一代の漢の花道ってもんだぜぇ」

 プトレマイオスがそう言って、ぼんと土手っ腹をたたいた。

「……うん。わかった」

 彼女はセレウコスの手を握り、それからプトレマイオスの手を握った。

「お願い、セル、プット。この船を守ってね」

「わかりました」

「おうよ、俺様に任せとけ。がはははは」

 彼女は船尾甲板まで退いた。二、三人の船員が彼女の護衛についた。

 ブラッディ=ウルフ号の船首部分に、斬り込み部隊が集結していた。船と船の間に二ヶ所、木製のタラップが渡される。

 セレウコスとプトレマイオスは互いに目配せした。迎撃準備は整っていることを、互いの目で確認した。

「来るぞ。敵の乗船を許すな」

「そっちこそな。びびって逃げ腰になったら承知しねえぞ」

 ブラッディ=ウルフ号の斬り込み隊の先頭で、ジュリアスがサーベルを振り上げた。

「さあて、いっちょうぶちかまそうか。いいか、腰が引けた奴はあとでタイキックだからな。突撃だ!」

 叫び声をあげながら、ブラッディ=ウルフ号の戦闘員が、雪崩を打ってインフィニティ号を襲撃してきた。

「槍小隊、前に出ろ。敵の乗船を許すな」

 一方の渡し口に、小槍を構えた船員たちが並び、敵船員を迎え撃った。とはいえ、勢いをつけて突撃した相手を簡単には止められず、競り合いの末防衛線が破られた。

「ひるむな。上甲板より先には進ませるな」

 セレウコスは自ら先頭に立ち、ロングソードをふるって敵と戦った。かつてはジョゼフ・シャルマーニュ提督とともに、幾多の海戦を経験した猛者である。数に勝る敵戦闘員相手に一歩も引かなかった。船長の奮闘に奮い立ったインフィニティ号の船員たちも、乗り込んできた敵相手に猛然と立ちはだかった。

 もう一方の渡し口では、大棍棒をおがらのように振り回して、プトレマイオスが雄叫びをあげながら獅子奮迅暴れまくっていた。

「ふぬりゃあぁっ!! どおおおおっ!! きしゃぁあぁぁ!」」

 もはや人語ではない雄叫びとともに、襲ってくる戦闘員に向かって容赦なく棍棒の一撃をお見舞いする。

 どごっ 「ぐおっ」

 げしっ 「あべし!」

 ぐぢゃ 「ふばぶぅ!」

 前線の戦闘員は一撃でぶっ飛ばされてのびた。プトレマイオスは敵の渡したタラップに乗り出して、斬り込みをかけようとしていた敵兵に向かって棍棒を振り回し、三、四人まとめて海にたたき落とした。

「あ……あいつは豪傑プットだ!」

「近づくと殺されるぞ! 取って喰われるぞ!」

 ブラッディ=ウルフ号の船員たちは震え上がった。豪傑プットはとりわけディカルト諸島周辺の海域では、破壊神とも噂される生きた伝説なのだ。

「引くな! まとめてかかれば何とかなる! 行くぞぉっ!」

 それでも勇気を振り絞って、ブラッディ=ウルフ号の戦闘員が声の限りに叫びながら突撃してきた。

「ふんごぉぉぉっっ! うがあっ!」

 プトレマイオスはタラップごと持ち上げると、それをひっくり返した。突撃の雄叫びはそのまま悲鳴となって、戦闘員は残らず海に落ちた。プトレマイオスはタラップを海に投げ込むと、どんどんと胸をたたき、敵船に向かって叫んだ。

「もっともっとかかってこんかぁ! 死を賭けて俺様と勝負しろぉ!」

 ジュリアスは少し含み笑いを浮かべると、独り言を言った。

「やっぱりあの二人はただ者じゃねえな。オレが出るしかねえか」

 彼はひるみの見える味方をぎろりとにらむと、大声で言った。

「敵もさるものだが、怪物じゃねえ、同じ人間だ。倒せないなんて考えるんじゃねえ。いいか、オレがついているんだ、死ぬわけがねえ。さあ、このジュリアス・セザール様についてこい!」

 ジュリアスが先頭に立って、第二波の突撃が開始された。猛将ジュリアスが陣頭に立ったことで、ブラッディ=ウルフ号の戦意は高まり、勢いを盛り返した。

「くそっ、やっつけてやる」

 小槍を持った船員がジュリアスに突きかかった。ジュリアスは攻撃をかわすと、小槍の柄を断ち切った。ひるんだ船員を、彼は袈裟懸けに斬り捨てた。船員は血しぶきをあげて甲板に倒れた。

「よくもやったな! このおっ!」

 別の船員が後ろから彼に襲いかかったが、ジュリアスはその槍の一撃を脇に巻き込んで受け止めると、背中越しにサーベルを突き刺した。のどを刺された船員はその場にくずおれ、動かなくなった。

「甘めぇよ。間合いを読むことだな」

 セレウコスはいとも簡単に味方を片づけたジュリアスを見て、うなった。

「あの男、やるな」

 ジュリアスはセレウコスの方を見た。二人の視線が合った。

「あんた、この船の船長だな」

「いかにも。インフィニティ号船長、セレウコス・ニカトールだ」

「オレはブラッディ=ウルフ号船長ジュリアス・セザール。セレウコスさんよ、オレと差しで勝負しようぜ」

「望むところ」

 セレウコスはロングソード、ジュリアスはサーベルを構えて対峙した。お互い間合いを取りながらにらみ合い、そして、ほぼ同時に第一撃を繰り出した。

 両船長の火花を散らす一騎打ちが幕を開けた。


 上甲板を中心に繰り広げられる戦闘を、マリアンヌは船尾甲板の上からじっと見ていた。セレウコスとプトレマイオスが中心になって奮戦しているが、自軍の形勢は不利に違いなかった。味方が何人か倒されるのを見て、彼女は心を痛めていた。

「みんながんばってるけど……このままじゃみんなやられちゃうわ。何とかしなきゃ……」

 彼女はそう思うが、乱戦に飛び込んでいったからと言ってどうにかなるものでもなかった。何か、戦況をひっくり返すきっかけはないものか。

 彼女はブラッディ=ウルフ号の方を見た。運航要員に加えて戦闘要員がいる分だけ人数に勝るブラッディ=ウルフ号だが、今は船員の大半がインフィニティ号に乗り込んできているため、人影はまばらだ。

「……今敵船に乗り込んだらどうなるかな……?」

 彼女はふと思いついたが、船首部分だけで両船が接触している今の体勢では、泳いで渡る以外に実行できない。それは実行不可能と同じ意味だ。

 ブラッディ=ウルフの方を見ていると、彼女は二つの船の船体が徐々に近づいてきていることに気がついた。潮流がブラッディ=ウルフ号の横腹を押すように流れているので、接点部分の角度が少しずつだが狭くなってきている。

「船縁同士がくっついたら負けなのよね……そうなる前になんとかしないと」

 彼女はメーンマストを見上げた。下から二番目の帆げた、上主帆のヤードの先からロープが垂れ下がっているのが目に付いた。それを見た瞬間に、彼女はメーンマストに向かって走った。

「提督、どこに行くんですか」

 護衛の船員が呼び止めると、彼女は口に人差し指を当てた。

「静かにして。敵船に乗り込んでみるわ」

「無茶ですよ! やめてください。俺たちは船長に提督を守るように言われているんです」

「無茶でも、やってみなきゃ戦況は変わらないよ」

 彼女はそう言うと、するするとメーンマストに上り、上主帆のヤードの先に立って、たれているロープをたぐった。ロープの長さは10フィートくらいはある。彼女はそれをしっかりつかむと、いっぱいまで引っ張って、ターザンの要領でブラッディ=ウルフ号に向かって飛んだ。

 狙い違わずブラッディ=ウルフ号の下甲板に向かって飛び移るところで、船内に残っている船員が彼女の動きに気づき、妨害しようと数人集まってきた。

「きゃあ! どいて、どいてぇ!」

 着地地点にちょうど船員の一人が立ちふさがっていた。彼女は騒ぎながら甲板に勢いよく飛び込んだ。彼女の膝が、邪魔しようとした船員の顔面に、見事にめり込んだ。

「ふう、ブレーキになったみたい。ごめんね」

「一人で乗り込むとは、なめやがって。ぶっ殺す」

 短刀を構えた船員が彼女に斬りかかってきた。彼女は体をかわすと、ちょんと足を出した。その足につまずいて、男は海に転げ落ちた。

「のおりゃっ」

 別の男が短剣で突きかかってきた。彼女は船縁の欄干を足場にバック宙でかわして男の後ろを取ると、背中を蹴って男を海に突き落とした。

「邪魔しないで。痛い目に遭うよ!」

 マリアンヌは短刀を抜いて、敵船員を威圧した。敵兵は少したじろいだが、どく気配はなく、彼女に向かって武器を構えた。

「言わせてもらうけど、あたしは弱くないからね。いっくぞぉ!」

 彼女は短刀をふるって斬りかかっていった。素早い動きで斬りかかると、次の瞬間には背後にいる。反撃すると、さっとかわして、すぐ攻撃に転じる。攻撃すると、反撃を受ける前に遠い間合いを取っている。マリアンヌの最大の武器は、抜群の運動神経による動きの素早さと小回り。それをめいっぱいに使った彼女の剣術に、大の男たちは完全に翻弄された。

 一人は額を割られて昏倒し、一人はジャンプ回し蹴りであごを蹴り上げられてひっくり返った。残る一人は剣術が苦手らしく、攻めあぐねた様子で彼女を見ている。

 船内に残っていたのは戦闘要員ではなく一般の船員だったみたいだ。彼女は少しほっとした。もし戦闘要員が残っていたら危なかったかもしれない。

「船倉のハッチはどこ?」

 残った船員に刀を突きつけて尋ねると、男は手近なハッチを指さした。彼女はハッチを開けて、船内に飛び込んだ。


 二隻の船の船員が入り乱れる戦いの中で、インフィニティ号の上甲板中央部でひときわ熱く戦っている二人の船長がいた。

 一騎打ちを繰り広げるセレウコスとジュリアスだが、二十合、三十合と打ち合うも勝負がいっこうにつかなかった。

 ジュリアスがサーベルで斬りかかるとセレウコスはそれをがっちり受け止めて防ぎ、セレウコスのロングソードが突き出されるとジュリアスはそれを払いのける。折れんばかりに武器と武器が打ち合わされ、電光のような火花が散った。

 両者は少し間合いを取ってにらみ合い、再度、ほぼ同時に相手に襲いかかった。どちらも6フィートを越える大男で、体格に差はない。力もスピードもほぼ互角。剣術の技量もまさしく実力伯仲。

 何度か武器を重ねたあと、二人はつばぜり合いになった。

 ジュリアスはつばぜり合いのさなか、ふと口元に笑みを浮かべた。

「なにがおかしい」

 セレウコスがジュリアスの目をにらみながらきくと、ジュリアスはその目をにらみ返し、

「おかしいんじゃねえよ。うれしいんだ」

「うれしいだと」

「ああ。オレとここまで渡り合える男に出会うなんて久しぶりだからな。海軍にいた頃にも滅多にお目にかからなかった強者だ。世の中、なかなか広いぜ」

「……やはりな」

 セレウコスはジュリアスのサーベルをはじいて、短く間合いを離した。

「あのジュリアス・セザールだったか。メルクリウス号事件で名を上げた」

「ふーん、知っていてくれたのかい。光栄だな」

「なぜ海軍随一の剣の使い手と言われた男が、海賊に身を落としている」

「……それをあんたに教える義理はないな」

 二人はまた剣を交えた。

「セレウコスさんと言ったな。あんたこそ、それだけの腕がありながら、なぜあの娘の下で働いている?」

「先代の旦那……ジョゼフ・シャルマーニュ提督に託されたからだ」

「それだけじゃねえだろ」

 ジュリアスはそう言って口元をゆがめた。

「実直そうなあんただから、それも理由なんだろうが、あんたがあの娘の下についているのは別の理由があるはずだ。オレにはわかるぜ」

「……なぜそれを訊く?」

「興味があるからさ」

 ジュリアスはセレウコスのロングソードをはじいて、短い間合いを取った。

「興味だと」

「あんたと言い、あの豪傑プットと言い、一騎当千の豪傑を束ねて従えている娘なんて、興味がわかない方がおかしい。マリアンヌ・シャルマーニュがどれほどの人物なのか、試してみたいもんだぜ」

 ジュリアスはサーベルを大上段に掲げると、セレウコスに斬りかかった。セレウコスはロングソードで受け止めた。

 次の瞬間、ジュリアスの蹴りがセレウコスの肩を狙った。

「ぬっ」

 セレウコスは思わぬ攻撃を受けて、後ろによろめいた。だが、何とか転倒は避けた。

 そのすきに、ジュリアスは大きく間合いを離した。

「あんたとの勝負はお預けだ。マリアンヌ・シャルマーニュがどんな人物か、勝負して試す。そして、この手で斬ってやる」

 彼は味方の船員に号令した。

「一小隊はオレと一緒にブラッディ=ウルフ号に戻れ。あとの奴らはこの船の制圧を続行しろ」

 彼は六人ほどの戦闘員を連れて自艦に戻った。

「なぜ退却した……?」

 体勢を立て直したセレウコスはいぶかしく思った。そこへ、船尾甲板の船員があわてた様子で駆けつけてきた。

「船長! 提督が単身敵艦に潜り込んで……」

「なんだと!」

 セレウコスは珍しく声を荒げた。

「おまえはお嬢ちゃん付きの護衛だったな。なぜ止めなかった!」

「申し訳ありません。止めるまもなく……」

「このままではいかん。敵艦に乗り込む手だてを打たんと、お嬢ちゃんが危ない」

 セレウコスはプトレマイオスの方を見た。

 プトレマイオスの周りには五人ほどの敵兵が立ち向かっていた。だが、足止めが目的のようで、討ちかかろうとしない。槍などの長柄の武器で間合いを取って、倒さないかわり倒されないことに集中している。

 手足の短い体格の彼にとっては不利な戦いで、さすがに辟易している様子だ。

「奴でも難しいか。しかし」

 セレウコスは歯がみした。珍しく不安に駆られている。

「百人斬りジュリアス相手ではお嬢ちゃんは勝てない。どうにかしなければ」


 ブラッディ=ウルフ号の船内に潜り込んだマリアンヌは、船内でかっぱらったランプを片手に弾薬庫を探していた。彼女は弾薬を暴発させて、ブラッディ=ウルフ号を混乱させよう、あわよくば船を沈めて勝負を決してしまおうと考えたのだ。

 船内最下層にそれらしい船倉があり、彼女はその中に入った。

「誰もいないね。さて、早く火薬を探さなきゃ」

 彼女は火薬の入っていそうな容器を次々に開けたが、樽も壺も箱もだいたい空っぽで、火薬らしいものを見つけられなかった。

「これも空っぽ……これも空だわ。どれが火薬の樽なの? ていうか、火薬がどんなものかもよくわかんないし、これじゃ探せないよ」

 ただ、それ以前に彼女の策には決定的なミスがあった。マリアンヌは、火薬の実物を見たことがないのだ。黒色火薬は黒っぽい粉状のものという情報しか知らない。思いつきで行動するとたいてい失敗する、その典型パターンだ。

「弾薬だったらもうないぜ。使い切ったからな」

 船倉の入り口から急に声がした。マリアンヌは短刀を抜いて、倉庫の奥で身構えた。

「何者っ?」

「そりゃこっちのせりふだぜ。火薬に火をつけて船を沈めようと考えたんだろう。なかなか考えたな。だが、おいそれと許すわけにはいかねえ」

 船倉の入り口をふさぐようにジュリアスが姿を現した。彼はサーベルを抜くと、マリアンヌに向けて斬りかかった。彼女は並んでいる樽をバリケードにして、その後ろに潜り込んでかわした。

 とはいえ、この状態では危険すぎる。彼女は敵にぶつけようと、手近にあった何かをつかんだ。

 つかまれたものはちゅうちゅうと鳴いた。

「きゃああ! ネズミぃっ! いやあぁっ!」

 鼓膜を破らんばかりの悲鳴を上げて、彼女はネズミを思いきり投げた。ネズミはジュリアスの顔にまっすぐ飛んできた。

「うおっ」

 彼が一瞬ひるんだすきに、彼女は船倉を脱出して、甲板に向かう階段を駆け上がった。そのスピードからして、ジュリアスから逃げると言うよりも、ネズミ恐怖症からきた火事場の馬鹿力のようだ。

 ハッチから甲板に飛び出した彼女は、何か人のようなものに体当たりした。

「やーん、ネズミつかんじゃった。こわかったよお」

「そんなことより、状況を見たらどうだ」

 自分が体当たりした人物の言葉に彼女は我に返り、状況を見た。

 彼女の周りを、剣を構えた五人の戦闘員が包囲していた。その後方では敵船員がボウガンを構えて、彼女に照準を合わせている。

「げげえっ。あたしもしかして超ピンチ!?」

「もしかしなくてもそう言うことだな」

 ハッチからジュリアスが出てきて、彼女の首筋あたりにサーベルの刀身を当てた。

「うっ。……くっそぉ」

「このままあんたの首をはねることもできる……わけだが、それじゃちとおもしろくないんでな。特別に機会を与えてやろう。オレと一騎打ちで勝負しな。それで勝ったら命を助けてやるが、負けたときはあんたの最期だ。どうする」

「……断ったら殺すんでしょ、どうせ。だったら、受けるしかないじゃない」

「決まりだな。上甲板にこい。おい、おまえら絶対に手出しするなよ」

 二人はブラッディ=ウルフ号の上甲板に移動し、そこで向き合った。

「改めて名乗ってやる。オレはジュリアス・セザール元海軍少尉。人呼んで百人斬りジュリアスだ。このオレに斬られて名を残しな」

「百人斬りジュリアス……」

「聞いたことあるだろ」

「ううん、しらない」

「そうか……結構有名だと思ったんだけどな……」

 ジュリアスはひゅんひゅんとサーベルを振り、顔の前に捧げ持った。

「まあいい。オレは過去を捨てた男だ、そんなに気にしねえ。さて、公開処刑を始めるか。このオレの刀、ドミトリー=ズブローニンⅧが血を欲しがって呻ってるぜ」

 彼は異様に光る獣のような目でマリアンヌをねめつけながら、サーベルの刀身をペローリとなめた。

「痛て、くちびる切った」

「……」

 これでは悪役登場のシーンがきまらない。

「勝手に公開処刑って言わないでよね。あたしもここで死ぬわけにいかないんだから」

 マリアンヌは短刀を低く構えると、膝を曲げて重心を低くした。

「勝負だ。かかってきな」

 ジュリアスはゆっくりとサーベルを持ち上げ、真上に向けてかざした。そして、その体勢のまま動かない。

『隙だらけ……そんなはずないわ。何かしようとしてる』

 胴ががら空きで一見隙だらけに見える構えに、彼女は逆にとまどった。これは明らかに誘っている。マリアンヌの方から仕掛けるのを待っているとしか思えない。

「でも、向かってくしかないっ!」

 彼女は気合いを込めて、ジュリアスに向かって突っ込んでいった。

「せやぁっ!」

 ジュリアスは口からすさまじい気合いが発し、サーベルを振り下ろした。サーベルは、気合いの瞬間に立ち止まったマリアンヌの鼻先あたりで、うなりだけを残して振り抜かれ、刃先を甲板に少し沈めていた。

 刃風がマリアンヌの長い髪をなびかせた。刃に当たっていないが、刃風を受けただけで彼女は顔がひりひりした。それほどの一撃だった。反射的に彼女が立ち止まっていなかったら、唐竹割りに斬り捨てられていただろう。

「オレの一撃必殺を逃れたか。なかなかいい勘してるな」

 振り下ろしたサーベルをまた大上段に掲げて、ジュリアスは口元に軽く笑みを浮かべながら言った。

「すごい剛剣。一発でも受けたらやられるわ……」

 彼女は息を飲んだが、かといって向かっていかないわけにはいかない。彼女はジュリアスの懐に飛び込んで短刀を突き出した。彼が後ろに跳んで攻撃をかわすと、彼女はさらに突っ込んで短刀で斬りかかった。彼はサーベルの峰で彼女の攻撃を受け流した。

「思ったより剣がうまいな。こりゃおもしろい」

 ジュリアスはいったん間合いを取ると、サーベルで彼女の足元を狙った。

「はっ」

 彼女はその攻撃をジャンプしてよけ、ジュリアスの頭めがけて短刀を振り下ろした。

「ふん、まだ甘めぇっ」

 彼はサーベルを一閃させてその攻撃を払い、着地した彼女の喉元めがけてサーベルを突き出した。彼女はそれをしゃがんでよけると、ジュリアスの胴めがけて短刀を横に振った。彼がそれを後ろによけて避けると、彼女は続けざまに突きかかった。

 ジュリアスはその攻撃をサーベルの刀身で受け止めた。

「そろそろオレも本気を出させてもらうか。おらあっ!」

 彼は彼女の剣をはじくと、鋭い突きを見舞った。彼女はとっさにその攻撃を短刀で払った。

「痛っ!」

 ジュリアスのサーベルはマリアンヌの服の袖を裂き、彼女の左腕をかすめた。血が流れたが、大した傷ではない。彼女は少し間合いをあけた。

 ジュリアスは風のように早くしなやかなサーベル裁きで彼女に攻撃をくわえた。彼女は小刻みに体をかわして、何とか攻撃を回避するが、かわすのがやっとで攻撃に転じることができない。

「くっそ~。これじゃどうにもならないよ」

 マリアンヌは大きく後ろに跳んで間合いを広げた。そして、何とか攻撃に転じようと試みるが、ジュリアスに1ミリほどの隙もなかった。

「間合いを離しても無駄だぜ。オレの武器とあんたのカットラスじゃリーチが違う。間合いがわかってりゃ、下手に飛び込んで斬られるまねはしねえ」

 ジュリアスの得物であるドミトリー=ズブローニンⅧは刃渡りが3フィート弱と、サーベルの中でも長いリーチを持つ。対してマリアンヌの持つ短刀は全長で2フィートもない。リーチの差ははっきりしていて、ジュリアスはそれを熟知した間合いの取り方をしている。これでは、マリアンヌは攻撃のしようがない。

 マリアンヌは腹の内で歯がみした。

「ちっとも攻撃できないなんて……しゃれなんないくらい強いわこの人。……でも、前に出るしか道は開けないのよっ!」

 彼女はあえてジュリアスに向かって突進した。それを待っていたかのようにジュリアスのサーベルがうなりを上げて繰り出される。

 マリアンヌはその攻撃を短刀で受け止め、体を回してジュリアスの懐に潜り込んだ。そして、短刀で斬り上げた。

「うおっ、やべえ」

 ジュリアスは大きくのけぞって、紙一重でその攻撃をかわした。彼女は至近距離で短刀を振り下ろしたが、その攻撃を彼はサーベルで受け止め、つばぜり合いの体勢になった。

「オレの間合いの中に入ってくるとはなかなかやるな。だけどな……」

 ジュリアスはつばぜり合いの体勢で彼女を押し返した。

「きゃあっ!」

 マリアンヌははじき飛ばされて、甲板の上を転がされた。そして船縁に激しくぶつかって止まった。衝撃のダメージが大きく、彼女は苦しそうにうめいた。

「起死回生の攻撃も当たらなきゃ意味がねえ。この勝負、オレの勝ちだ」

 彼女が起きあがる前に、彼は彼女の胸元にサーベルの切っ先を突きつけた。

「そんな……」

「残念だったな。殺すにゃ惜しいが、これも戦のならいって奴だ。恨むなよ」

 彼がマリアンヌの心臓を貫こうとしたとき、

「うぬぅっ……! ふんごぉぉぉっっっ!」

 すぐ近くで大音量の咆吼が響き、ブラッディ=ウルフ号の船員が数人、上甲板の上に転がった。そのうちの一人がジュリアスにぶつかった。

「な、なにがあった」

 ジュリアスは戦闘員で固めていたはずの当直甲板を見た。

 そこには赤鬼が立っていた。体中の血が回ったかのように顔を紅潮させたプトレマイオスが、ほえ声を上げながら向かってきている。でっぷりとした体型に似合わず素早い。

「プット! 助けにきてくれたのね!」

「お嬢に手を出す奴は俺様がぶっ飛ばす! お嬢はこのプトレマイオス・ラゴス様が守ってやるんじゃあっ!」

 ジュリアスはサーベルでプトレマイオスに斬りかかった。だが、それより早く、プトレマイオスのてっぽうがジュリアスのあごをとらえた。

「ぐおっ」

 突っ張りとはいえ、プトレマイオスのパンチ力は最大で1トンを超える。ジュリアスはまともに食らった一撃だけでふらついた。そこへ二発、三発、四発とてっぽうがお見舞いされる。

「ふっ、んっ、ぐわぉあっ!」

 プトレマイオスは両手でジュリアスの体をかち上げた。ジュリアスの体はメーンマストのトップスルあたりまで吹っ飛び、甲板の上に墜落した。

「どうどうどうどう……。プット、もういいわ。ありがとね」

 甲板にひっくり返ったジュリアスに、追い打ちの百貫落としをぶちかまそうとするプトレマイオスを、マリアンヌはなだめた。プトレマイオスの頭から、たまっていた血の気が徐々に元に戻った。

「ちっ、油断しちまったぜ……つーか、乱入なんて反則じゃねえの?」

 ジュリアスはそう言うと、がくっと首を折った。


 アッシャーは船倉から甲板に引っぱり出されると、仏頂面で腕を組んでいるジュリアスがあぐらをかいて甲板に腰を下ろしているのを見て愕然となった。ジュリアスの自慢のサーベルは取り上げられてしまっている。

「ジュリアス、もしかして負けちゃったのかい?」

 震える声で訊ねるアッシャーに、ジュリアスは無言でうなずいた。

「ああ……そんな……」

 彼はがっくりうなだれて、甲板に両膝と両手をついた。

「こうなったからにはじたばたしてもはじまらねえ。監獄上等だ、保安局に突き出してもらおうじゃないか」

「ああ、もうだめだ……。牢屋に閉じこめられて、一生日の目を見ることなく過ごすんだ。もう二度とチョコレートパフェも食べられなくなるんだ。よよよ……」

 覚悟を決めたジュリアスの横で、アッシャーはさめざめと泣き出した。

「往生際が悪いぞ、アッシャー。法にも人倫にも背いて失敗した報いだ。男だったら腹を決めろ」

「いやだよう。牢屋はいやだよう」

 覚悟を決めて目を閉じたままじっとしているジュリアスと、おいおい泣き続けるアッシャーを前にして、マリアンヌは仲間たちとなにやら話し合った。

「うん。じゃあ、それでいいね」

「お嬢ちゃんの意向に従います」

 セレウコスが代表して答えると、マリアンヌは口元をゆるめてうなずいた。それから、捕虜にした二人の前に、武器も持たずに立った。

「ねえ、あんたたち。ものは相談なんだけどさ」

 彼女が口を開くと、アッシャーはなきべそ顔を上げた。

「あんたたち、結構強いし、船も動かせるみたいだから、あたしの仲間にならない? そしたら許してあげるわ」

「オレたちに降伏しろって言うのか?」

 ジュリアスが目を上げて彼女に言うと、彼女はうなずいた。

「正直に言うとね、あたしには心強い仲間が必要なの。だって、あたしが目指すのは世界一の航海者だもん。だから、あんたたちに仲間になってほしいの。そうしてくれるなら……そうね、一緒にビール組合に謝ってあげるわ。どう?」

「どうと言われてもな……そんな条件聞いたこともねえ。だいいち、一度あんたたちに刃を向けた者が、簡単に降伏できるか。バカなこと言ってねえで、保安局にでも突き出せ」

 ジュリアスの返事はすげないものだった。彼女の言葉を信じなかったからだ。

 対照的に、アッシャーはすがるような目をしてマリアンヌを見た。

「ほんとに、降伏して仲間になったら許してくれるの?」

「あたしはうそは言わないわ」

 彼女は大きくはっきりとうなずいた。

「それじゃ、ボク仲間になる」

「おい、アッシャー」

 簡単に降伏したアッシャーをジュリアスがぎっとにらんだ。

「だって、ビール組合乗っ取り計画が失敗してしまったから、ボクはパパに合わす顔がないもの。帰る場所をなくしちゃったんだ。だったら、マリアンヌ・シャルマーニュ提督の下で働く方がいいに決まってるよ。それに、謝って許してもらえるなら、バニパル=シンジケートにかかる迷惑も少なくてすむかもしれないし」

「オッケー。アッシャー、これからよろしくね。で、あんたはどうなの?」

 マリアンヌはジュリアスの顔をじっと見た。

 ジュリアスはマリアンヌの目をにらむようにまっすぐ見たまま、黙りを決めていた。

 マリアンヌの横にカッサンドロスが立った。

「嬢ちゃんはの、おまえさんのサーベル裁きに心底惚れておるようなんじゃ。おまえさんがなにゆえ海軍を辞め、海賊に身を落としたかはわからん。だが、おまえさんが海賊や犯罪者のままで一生過ごすべき人間じゃないことは確かじゃ。今一度、嬢ちゃんの言葉を考えてみんかね?」

「おう。おめえは酒が飲めるか?」

 プトレマイオスが野太い声で訊ねた。

「あ? 酒は好物だぜ」

「こいつをくれてやらあ」

 プトレマイオスはデカパンの中に手を突っ込むと、ネルソンズブラッドの瓶を取り出し、ジュリアスに放ってよこした。ジュリアスはそれを受け取り、ふたを開けて、ぐびぐびと飲んだ。

「ふう、うめえ。酒はやっぱりネルソンズブラッドだな」

「たりめぇよ。海の男のネルソンズブラッドだぜぇ」

 そう言ってプトレマイオスはガハハと笑った。

 ジュリアスは表情をゆるめ、マリアンヌの顔を見た。

「是非もねえな。仲間にしてくれるんなら、よろしく頼むぜ」

 マリアンヌの顔がぱっと輝いた。

「よかった。ありがとう、仲間になってくれて。あ、これ返してあげるね」

 そう言って、彼女はジュリアスのサーベルを持ち主に返した。

「頼りにしてるわ。よろしくね」

「ああ。任せろ、提督殿」

 マリアンヌは仲間と船員たちのほうを振り返った。

「さて、新しい仲間も入ったことだし、ティシュリに急いで帰るわよ。みんな、運航配置について!」

 船員たちはそれぞれ配置についた。

「ジュリアスは操帆を手伝って。アッシャーはあそこで見張りね」

 新入りの仲間にマリアンヌは配置を指示した。

「いいよ。高いところは得意なんだ」

 アッシャーはそう言って、メーンマストに登っていった。これで、全員がそれぞれの持ち場についた。

「セル、出発するよ」

「了解。展帆開始、取り舵100度、進行方向東微北。一路ティシュリに向かう」

 セレウコスの指令で船員たちは動き、インフィニティ号は帆を広げ、帆走を開始した。インフィニティ号と、副官の指揮するブラッディ=ウルフ号は一路、母港ティシュリに向かった。


 先行していた輸送船団と合流し、11月18日、マリアンヌの艦隊はティシュリ港に入港した。

「一月半ぶりのティシュリかぁ。今回の航海は長かったなあ」

 久しぶりに本拠地の空気を吸って、マリアンヌは感慨に浸った。

 港の管理事務所に行くと、ビール醸造組合の組合長が待っていた。

「やあ、提督。帰ってくるのを首を長くして待っていたよ。大麦を仕入れてきてくれたんだね?」

「ちゃーんと200樽、買ってきましたよ」

 彼女はにっこり笑って答えた。

「そうかそうか。これはありがたい。これで我々ビール組合も首がつながったよ。……おや、200樽ほどにしては、ずいぶんと大仰な船団を組んでいるな」

 一隻のはずのマリアンヌの艦隊が、輸送船五隻と護衛艦一隻を加えた大艦隊に膨れ上がっていることに組合長は気づいた。

「それには理由があって……アッシャー、ジュリアス、ちょっと来て」

 彼女は二人を呼びだしてから、組合長に今回の航海の顛末を話した。そして、今回の大麦買い占め事件が、アッシャーのたくらみによるものだと説明した。

 鬼瓦のようにいかめしい組合長の顔が、怒りで鬼の形相になった。

「そりゃ許せんな。こちらは操業停止に追い込まれ、危うく廃業せざるをえんところまでになった。うちだけじゃない。酒場や酒屋も被害を受けている。バニパル=シンジケートを訴えて、賠償金を取れるだけふんだくってやる」

 アッシャーは、猛牛のように鼻息荒く、恐い顔をして息巻いている組合長に恐れをなして、ジュリアスの背中に隠れようとした。

 ジュリアスはそんなアッシャーの体を軽く突き飛ばした。

「なに隠れてやがる。土下座して謝ってこい」

「なに言ってんのよ。あんたも謝るの」

 マリアンヌはジュリアスの尻を軽く蹴った。

 二人は組合長の足元に土下座した。

「申し訳ありませんでした。ごめんなさい。買い占めた国産大麦は全部無償で譲ります。操業停止中の給与や経費も補償します。どうかそれで許してください。バニパル=シンジケートの首脳陣はなにも知らないんです。悪いのは全部ボクなんです。バニパル=シンジケートを訴えるのはどうか勘弁してください。お願いします!」

 アッシャーにとって、ここまで必死になって謝ったことはない。地面に何度も頭をこすりつけて、組合長に許しを請うた。

「組合長さん。アッシャーも深く反省しているの。どうかこれで許してあげてもらえませんか。お願いします」

 マリアンヌの深々と頭を下げた。

 組合長は表情を崩すことなく、足元でバッタのようにぺこぺこ謝っているアッシャーとジュリアスの二人を見、その後ろで頭を下げているマリアンヌを見た。彼は大きく鼻息を鳴らすと、表情を元に戻した。

「提督さんに頭を下げられては断れんな。頭を上げてくれ。おい、坊ちゃん。提督さんの顔に免じて今回は許してやるが、金輪際こんなまねするなよ!」

「ありがとうございます」

 三人はまた深々と頭を下げた。

「と言うことは、頼んだ200樽の大麦を含め、全部で1500樽の大麦があるわけか。わかった。提督さん、仕入れてきた大麦を全部買い取らせてもらおう。200樽分の報酬と、残り1300樽を別にしてな」

「えっ。いいんですか。はじめ国産大麦しか使わないって言ってたのに」

 彼女は小首を傾げた。

「いいんだ。今年の作柄を考えたら、国産だけで一年の生産分がまかなえるかどうか、いささか不安でね。何せ、ティシュリのビール消費量は半端じゃないからな。それに、これを機会に、外国産大麦を使った新銘柄を作るのもいいかもしれんと考えたのだ。それじゃ残りの報酬の2000ターバルと、この手形は大麦1300樽分だ。相場で買い取ろう」

 組合長はマリアンヌに、2000ターバル分の札束と、一枚の銀行手形を渡した。手形の額面は16900ターバル。大麦のティシュリ市況相場である、一樽13ターバルで計算した額だ。

「ありがとうございます。また何かあったら、気軽に申しつけてくださいね」

「ああ、そうしよう。それじゃ、急いで大麦を持って帰って仕込みにかからんとな。これから忙しくなるわい。さて、国産大麦はどこに保管してあるのか、教えてもらおうか」

 アッシャーの部下の黒服が組合長についていき、大麦を保管してある倉庫に案内するために出ていった。港湾施設のほうでは、輸送船から大麦の樽が次々に運び出されて、荷馬車に積み込まれていった。

「アッシャー。ビール組合が買い取ってくれた大麦の代金なんだけど、アッシャーが受け取ったらどう?」

「えっ。なんで」

「だって、大麦はあたしが仕入れたわけじゃないもん。ただでさえビール組合の補償とかでお金がかかるでしょ。その上にこれまであたしが取り上げちゃったら困るんじゃない」

「提督は親切なんだね。それじゃ受け取らせてもらうけど、ボクが大麦の仕入れに使った金額だけにするよ。利潤分は提督が受け取ってよ」

 そう答えてから、アッシャーはため息をついた。

「あああ、シンジケートに大損害を出しちゃったよ。ボクの持っている株を売れば何とか捻出できるけど、それにしても、大失敗しちゃったなぁ……」

 そんなアッシャーの背中をマリアンヌはぽんぽんとたたいた。

「元気出しなさいよ。大失敗でも、また取り返せる日が来るわ。あんたのこと頼りないって見てた人たちも、これから見返してやればいいじゃない。それをこれからの、あんたの目標にしなさいよ」

「そうだぜ。提督がバカのおまえと、落ちこぼれのオレを拾ってくれたんだ。提督の目指す世界一の航海者に、オレたちがさせるんだ。元気出せ。がんばっていこうぜ」

 ジュリアスがアッシャーの肩をたたいた。アッシャーは小さくうなずいた。励まされて、ちょっと泣きたくなっているのを、何とかこらえた。

 港湾事務所で寄港手続きを済ませてから外に出ると、仲間が勢ぞろいして彼女を待っていた。

「これで今回の仕事は完了ですね」

 セレウコスが言うと、マリアンヌはへへへっと笑った。

「うん。大成功だったね」

「お嬢。ティシュリに帰ってきたんだ。今夜は派手に酒盛りしようぜぇ」

 プトレマイオスが提案すると、彼女はうなずいた。

「いいね。よーし、じゃあみんなで星の水鳥に行くわよ! レッツゴー!」

「ほっほっ。今宵こそリディアと熱い夜を過ごしてやるわい。待ってておくれよぉ」

 マリアンヌたちは港をあとにして、意気揚々と酒場街に向かっていった。


 酒を愛する、とりわけティシュリビールを愛する者にとって、ビール組合の再開はすばらしい朗報だ。大麦の仕入れを成功させてそれを実現させたマリアンヌは、言ってみればティシュリの酒飲みにとってスーパーヒロイン。だから、星の水鳥亭に行けば、凱旋行列のように迎えられるはずだ。

 プトレマイオスに肩車されたマリアンヌは、勇んで星の水鳥亭の中に飛び込んだ。

「たっだいま~。マリアンヌ・シャルマーニュ、コスバイアからたった今帰りましたあ!」

 彼女は酒場に入るなり、元気よくあいさつした。だが、次の瞬間には、信じられないものを見たような顔をして、目をぱちくりさせた。

 彼女の目に飛び込んできたのは、カウンターに並べられたビールの樽。テーブルの上にはビールのピッチャー。客がうまそうに飲んでいるのは、クリーミーな泡を立てた褐色の発泡酒。口ひげに泡をくっつけて、幸せな顔でぷへぇーと息をつく客。

「やあ、お帰り。無事でなによりだ」

 星の水鳥亭のおやじがマリアンヌに声をかけた。マリアンヌはプトレマイオスの肩から降りると、カウンターに駆け寄った。

「ねえ、おやじさん。なんでみんなビール飲んでるの?」

「大麦を仕入れに行ったお嬢ちゃんの帰りが遅いから、その間にビールができあがったんだよ」

「うそー。そんなはずないよ。だって、ビール組合の組合長さん、そんなこと言ってなかったもん」

 あわてたマリアンヌの様子を見て、おやじはプトレマイオスばりのガハハ笑いをした。

「冗談だよ。このビールはよそから仕入れたものだよ」

「なあんだ。もう、おやじさん、びっくりさせないでよ」

「ビールがないと、わしらも商売あがったりでね。ビールをよそから仕入れてくれるように共和国政府に働きかけたんだ。政府も動いてくれてな。ライザスのビール業者からつい昨日届いたところなんだ。で、今夜はビール復活祭をしているってわけさ」

「ふーん、そうなんだ」

 彼女は納得した。

「それにしても、普段は腰の重い政府がよく動いたものだの」

 カッサンドロスが言うと、おやじはうんうんとうなずいた。

「同業連中もみんなそう思ってるよ。まあ、ビールはティシュリに欠かせないってことを認識してたってことかね。それとこれは噂だが、政府総裁も大のビール党らしいから、ビール危機に気をもんでいたようでね。ビール輸入の件で積極的に動いたらしいよ」

「よかったね、政府を敵に回さなくて。もし大事になってたら、あんた監獄行きではすまなかったかもしれないよ」

 マリアンヌはアッシャーに小声で言った。彼は顔を引きつらせていた。

「お嬢ちゃん」

 おやじがカウンターから出てきて、マリアンヌの手を握った。

「感謝しとるよ。お嬢ちゃんが動かなかったら、ティシュリビールはもう二度と飲むことができなかったかもしれん。客も今は輸入物で喜んでいるが、本当はみんなティシュリのピュアモルトビールが飲みたいんだよ」

 おやじはそう言って頭を下げた。彼女はにっこり笑った。

「おうい、みんな聞いてくれ。ティシュリの誇る航海少女、マリアンヌ・シャルマーニュ提督が、大麦を手に入れて帰ってきたぞ」

 おやじの言葉に客から大歓声があがった。マリアンヌはそれを聞いて少し赤くなった。ティシュリの誇りなんて、これまで言われたことがなかったから。

「大麦を手に入れて、ビール組合も操業を再開するわ。もうすぐ、あたしたちの大好きなティシュリビールがまた戻ってくるわよ」

 彼女が客に向かってそう叫ぶと、酒場の客から、星の水鳥亭の屋根を突き破るような大歓声と大拍手がわき起こった。

「みんな、今日はわしからの祝儀だ。全品半額にするから存分に飲んでくれ!」

「自分らも飲みましょうか」

 セレウコスがマリアンヌに言うと、彼女は大きくうなずいた。

「そうね。おやじさん、ビールを一樽ちょうだい」

「俺様にはラムをくれ。ネルソンズブラッドの101だ!」

 注文の酒が運ばれてくると、マリアンヌとその仲間たち、船員たちのジョッキにそれぞれ好みの酒がつがれた。

「じゃあ、航海の無事を祝って、かんぱーい!」

 マリアンヌはジョッキになみなみつがれたビールをおいしそうにのどに流し込んだ。

「あ~っ! やっぱりビールでなくちゃね!」

「おい、アッシャー。なにちびちび飲んでやがる。祝い酒だ、もっと飲め」

 ビールに少ししか口を付けないアッシャーにジュリアスがからんできた。

「いや……ボクはちょっと遠慮するよ」

「なにしけたこと言ってやがるんでぇ。酒はたっぷりあるんだぜぇ」

 横からプトレマイオスがやってきて、自分の特大ジョッキに入ったラム酒をアッシャーの口の中に無理やりそそぎ込んだ。

「まって! だめなの! ボクほんとにお酒飲めな……うぷっ」

 プトレマイオスとジュリアスの二人がかまわずアッシャーにラム酒の洗礼を浴びせる。このツープラトン攻撃に、アッシャーは秒殺でひっくり返った。

 星の水鳥亭は飲めや歌え、歌えや騒げの大騒ぎ。熱気にむせ返る店内で、航海者たちは夜半を過ぎても陽気にはしゃいでいた。

 こうして、ディカルトの夜はにぎやかに更けていく。

                         (1st Logbook 完)

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航海少女マリアンヌ -1st Logbook(ビール編)- 宮嶋いつく @miyazima_izq

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