#6 ビールの恨みは恐いのよ

 ジュリアスは明らかにいらだっていた。苦虫をかみつぶしたような顔で波止場の留め杭に足をかけ、貧乏ゆすりで16ビートを刻んでいる。

 ぴりぴりしたオーラが彼の周りを幾重に取り巻いているので、アッシャーに雇われた運び屋の船長たちは難を恐れてジュリアスに近づけないでいる。

 彼の機嫌が悪い原因は、アッシャーが出航予定時間に大遅刻していることだ。

「ったく。おい、あのバカボンはどこに行きやがった」

 彼は手近にいた部下に言ったが、部下は首を横に振るだけだった。

「出航予定時刻は九時だって言ったのはあいつなんだぞ。もう二時間遅れじゃねえか。いい加減にしろよ」

 ジュリアスは出航に備えてすべての船員と、雇い入れた船長たちを召集していたのだが、肝心のアッシャーが黒服たちを引き連れてどこかに出ていってしまった。気の長くないジュリアスが待ちぼうけを食らわされて気分がいいはずがない。

 そのうえに、船長たちからある報告を受けたことで、彼の機嫌は輪をかけて悪くなっていた。

「あ、ジュリアスの旦那。坊ちゃんが来ました」

 部下のひとりが言った。ジュリアスが目を上げると、黒服の一団に取り囲まれて、アッシャーが気取って歩いてきた。大きな鳥の羽を飾った帽子と、おろしたての毛皮のコートを着ている。彼に付いてきている黒服たちは、山のような衣装箱を抱えさせられている。

「いやあ、さすが世界の都だね。ボクにぴったりの服がいっぱいだったよ。帽子のコレクションもまた増えたし、今回の航海は大満足だね」

 アッシャーはすっかり上機嫌の様子だ。どうやらこの男、スケジュールを無視してショッピングに出ていたようである。

「てめえ、どこほっつき歩いてた!」

 ジュリアスは怒鳴りながら、アッシャーにドロップキックをかました。アッシャーの側頭部にきれいに蹴りが決まり、彼は吹っ飛んだ。

「なにするんだ、ジュリアス。今顔を狙ったでしょ。顔は傷つけないでよ」

 半身を起こしながらアッシャーが抗議した。

「うるせえ、この大盛り1.5倍バカ野郎。てめえが出航時間を九時に決めたくせに、それをほったらかして買い物かよ。仕事なめるのもいい加減にしろよ」

「だって、せっかくレグラーンまで来たんだよ。ショッピングもしないで帰れるとでも思うかい」

 言い訳するアッシャーの頭にジュリアスは一発ハンマーパンチを食らわした。

「この野郎、それ以上ぐだぐだ抜かすといい加減殴るぞ」

「殴ってから言わないでよ。その前に蹴りも入ってるし」

「船の上ってのはな、集団行動がちゃんととれねえ奴は駄目なんだ。本当はてめえら全員置き去りにして出航してもよかったんだぜ。ちゃんと反省しやがれ」

「わかったよ。予定時刻を破ったのは悪かったよ。でも、大麦を買い占めて、ビール組合の妨害はできたわけだから、あわてることもないじゃない」

 ジュリアスはアッシャーの首っ玉を、猫をつまみ上げるようにつかみ、運び屋の船長たちがいるところに放り込んだ。

「そのことだ。おい、そいつにさっきの報告を伝えろ」

「へい。カマ・ドーマさん、大麦を積んだ船が一隻、先に出航していったんですよ」

「え? どういうことだい?」

 カマ・ドーマというのが自分の変名だということを思い出してから、アッシャーは船長のひとりに聞き返した。

「自分らはギルドで集められて、大麦をティシュリ港まで運ぶ仕事を割り当てられましたが、カマ・ドーマさんの知り合いというディカルト船の船長があとからやってきて、回送を手伝うと申し出たんです。大麦が自分らの船のキャパシティーを超えていたので、200樽ほど引き受けてもらったんです。そうしたら、今朝の九時前に、その一隻だけが出航してしまったんです」

「それって……まさか、その船の名前は?」

「たしか……インフィニティ号とか」

 アッシャーは舌打ちした。

「やられたよ、マリアンヌ・シャルマーニュに。まさかボクが買い占めた大麦をかすめ取っていくなんて。それにしても、なんでよその船に荷物を任せたりするんだい」

 船長たちを責めるアッシャーの頭をジュリアスが鷲掴みした。

「てめえの失敗だぞ、これは。仕事を丸投げして管理しねえからこんなざまになるんだ。そんなんだからどら息子だのバカボンだの言われるんだ」

 ジュリアスに責められてアッシャーはしゅんとなった。

「とにかく、ここでじっとしててもはじまらねえ。出航するぞ」

「うん……」

「こら。バカでもどら息子でもてめえがリーダーだろうが。リーダーらしくしゃきっとしやがれ」

 ジュリアスが叱咤すると、アッシャーは背筋を伸ばして頭を上げた。

「いいか、オレの言うことをよく聞け。正直、先手を取られたのは痛かった。船足のほうはあっちのほうが速いから、まともに追いつき、追い越すのは難しい。だが、奴らより先にティシュリにつく方法はある」

「えっ、どうするの」

「オレの読みでは、奴らは帰りの航路も安全な白ゼナガを通る。それなら、オレたちはティシュリまで直線ルートの青ゼナガを通る。そうすりゃ、少なく見積もっても四日は早くティシュリまでたどり着ける寸法だ。それだけ時間があれば、ビール組合の買収工作もできるんじゃねえのか」

「そうだね。でも、青ゼナガの航路は海賊が跋扈していて危険だって聞いたけど」

「海賊どもが追ってきたら、俺に任せろ。護衛がオレの仕事だからな」

「そうか、それは頼もしいね。あと、もしボクたちの艦隊にマリアンヌ・シャルマーニュの船が追いついたらどうする。そうならないとも限らないでしょ。クリッパーの船足は抜群だから」

 尋ねられたジュリアスは、目に鋭い光を含ませて、口元をゆがめた。

「……むしろ好都合だろ。なんとかするさ」

「……そうか。なんとかすればいいんだ」

 なんとかの意味を悟ったアッシャーは薄く微笑を浮かべた。そして、雇い入れた船長たちのほうを向いて、指示を出した。

「それぞれの船に戻れ。出航する。ボクのロード=オブ=オーシャン号を先頭に縦列隊形を取って、全速力でティシュリ港に向かうよ」

 彼の指示を受けたジュリアス以下船長たちはそれぞれの船に乗り込み、出航の体勢を整えた。そして、迅速な動きでレグラーン港から出ていった。


 マリアンヌたちを乗せたインフィニティ号は快調にゼナガ川を下って、航海三日目の11月4日にはトッドリーの岩脈帯の地点に出た。

 川の流れに乗り、そのうえ常に順風を受けて川下りをすると、スピードに乗りすぎて座礁などの事故を起こしかねない。青ゼナガと白ゼナガの分岐点であるこの箇所は流れが複雑な上に岩礁などもあり、慎重に航行しなければならない。実際、このあたりで事故を起こす船は後を絶たない。

 ベテラン航海士のセレウコスはさすがにそのあたりをわきまえていて、川の分岐点から岩脈帯の足を洗う渓谷の水域を、スパンカー(船の最後尾にある縦帆)だけを開いて、ゆっくりとしたスピードで無難にインフィニティ号を進行させていた。

「渓谷を抜けたら横帆も開いて航行しますが、よろしいですか」

「うん、いいよ」

 剣術の稽古の手を休めて汗を拭いていたマリアンヌはセレウコスの言葉にうなずいて、上甲板から当直甲板に登った。レグラーンを出航してから毎日、彼女は船員相手に剣術の稽古を重ねていた。レグラーンの街でムオイ男爵らとのけんかに巻き込まれたことから、いつでも戦う準備ができてないといけないと思ったからだ。

 上甲板では先ほどまで彼女の稽古相手になっていた船員が三人、剣をおいて休憩していた。誰も肩で息をしている。マリアンヌの剣術の腕は、大の大人相手でもひけを取らないほどになっているのだ。

「稽古の成果が出てますね」

「ほんと?」

「剣の動きと足裁きが乱れなくなりました。まだ動きに無駄が多いのが気になりますが」

 彼女の剣術をセレウコスは評価して言った。操船の指示を出しつつ、彼は稽古の様子を見守っていたのだ。

「そっか。まだまだ稽古がいるね」

 彼女は船首まで来ると、船縁の欄干にもたれかかった。渓谷を吹き抜ける風が、汗をかいた肌に気持ちよかった。

「セル。確か、行きの航路より帰りの航路のほうが早いんだよね」

「そうです。この時期は大陸からの西風が吹くので、それに乗れば早く着けます。十日から二週間くらいの航路になります」

「ねえ、帰りにサモス島に寄れる?」

 セレウコスは首を振った。

「サモス島付近を通ることはありません。ニート海に出たらしばらく中央大陸沿岸に沿って帆走し、東大洋に出てからは北東に進路を取りますから」

「そう。あそこの温泉にまた入りたかったんだけどな」

 彼女はちょっと残念そうな顔をしたが、すぐに気を取り直した。

「でも、早く帰れるならいいか。ビール組合の人たちもティシュリの街の人たちも待ってるんだしね。温泉も帰ってからのお楽しみ、ね」

「そうですね。なら、なるべく急いで帰りましょう」

「うん。船のことはセルに任せるわ。でも、急ぎすぎて事故らないようにね」

「わかりました」

 マリアンヌは立ち上がって上甲板に戻ろうとした。そのとき、不意に船尾近くの下甲板あたりから騒ぎ声が聞こえてきた。彼女は下甲板に駆けつけた。

 騒ぎ声の主はプトレマイオスだった。顔を真っ赤にしてわめきながら、どたどた飛び跳ねている。彼の頭の上をマリアンヌがランヌ広場で買ったミニドラゴンが輪を描くように飛んでいる。

「このチビトカゲ野郎、羽根むしり取って手羽先にしてやるぜぇ! こんにゃろう!」

 彼はミニドラゴンをとっつかまえようと飛びかかるのだが、ミニドラゴンはその手の届かないぎりぎりのところを飛び続けている。

「ちょっとー、何してるのよ。プット」

 マリアンヌが声をかけると、プトレマイオスは飛び跳ね回るのをやめた。

「お嬢、あのチビトカゲを何とかしてくれ。あんにゃろう、俺様が釣り上げた魚を、断りもなしに勝手に食い尽くしやがるんでぇ」

 彼女が甲板を見ると、プトレマイオスが釣り上げたらしい魚が六尾ばかり、背骨をきれいに残して食べられていた。

「せっかく酒の肴にしてやろうと思ったのによ。こうなりゃ、あいつを手羽先か手羽元にしてやらねえと気がすまねえ」

「ちょっとやめてよ。ピクルスはあたしのペットなんだからいじめないで。プットには夕御飯に何かごちそうを付けてあげるから」

 彼女は頭の上のミニドラゴンにまた飛びかかろうとするプトレマイオスの太い腕をつかんで制止した。ピクルスというのはミニドラゴンの名前だ。胴体の色がきゅうりのピクルスのようだからそう名付けたらしい。

「ピクルス、降りておいで」

 彼女は腕を伸ばしてピクルスに呼びかけた。ピクルスは船に向かって降りてきて、彼女の腕ではなくプトレマイオスの頭の上に止まった。

「どうして腕のばして待ってるのにそっちに止まるの? まあいいわ。プットの釣った魚を食べたらだめよ。ちゃんとプットに謝って」

 ピクルスはマリアンヌの肩の上に止まると、プトレマイオスのほうを向いて、その鼻先に大きな息を吐いた。生魚をたらふく食べた後の息は、とてつもなく生臭い。

「うえっ。このくそチビ、バカにしやがって! もう許さねえぞう!」

「勘弁してよプット。ピクルスもだめじゃない、ちゃんと謝らなきゃ。このおじさんを怒らすとほんとに恐いのよ。ほんとに手羽先にされるわよ」

 マリアンヌが言うと、ピクルスはちょこんとプトレマイオスに頭を下げた。謝っているつもりなのかもしれない。プトレマイオスはとりあえずつかみかかるのをやめた。

「いたずらもするけど、ほんとはこの子も頭がいいのよ。あたしがいろいろ教えてるんだからね。さあ、飛んでおいで」

 彼女はピクルスを空に飛ばした。ピクルスは素早く舞い上がり、上空でアクロバット飛行をしたかと思うと、急降下して水面すれすれを滑空した。そしてまた高く舞い上がって、それからきりもみ回転して急降下し、水面ぎりぎりで切り返して舞い上がった。なかなか芸達者だ。見物していた船員は感嘆の声をあげたり、口笛を吹いたりしている。

「なかなかやるでしょ。さあ、戻っておいで」

 彼女がまた腕を伸ばして呼びかけると、ピクルスは空から降りてきて、彼女の頭の上に止まった。

「ちょっと、どうして腕を伸ばして待ってるのにそっちに止まるのよ?」

 彼女は上目で見ながら文句を言うと、ピクルスは彼女の腕にちょこんと止まり、彼女の鼻先に向かって大きく息を吐いた。生魚をたらふく食べた後の息は、とてつもなく生臭い。おまけに少し発酵したらしく、においが目にしみる。

「うあっ! けほっ、けほっ。もうっ、なにすんのよっ! お仕置きしてあげるわ。待てえっ」

 マリアンヌはピクルスをつかまえようと飛び跳ねるが、ピクルスは彼女の手が届かないぎりぎりのところを輪を描いて跳び回った。船員たちはそれを見てげらげら笑っていた。

「何をやってるんだか」

 当直甲板からセレウコスがあきれ顔でつぶやいた。


 11月5日。マリアンヌたちのインフィニティ号が白ゼナガを悠々と下っているとき、アッシャーの船団は青ゼナガ川を通過して東大洋に出た。

 トッドリーの岩脈帯付近から南下してニート海に下る白ゼナガ航路に対し、そこから東進する青ゼナガ航路はディカルト諸島方面に向かう直線ルートになる。ただし、青ゼナガは下流のデルタ地帯にさしかかると、水路が迷路のように入り組んでいる上、水路が狭いということもあり、航路を熟知していないと袋小路にはまりこむ危険な航路でもある。

 その危険な水路をアッシャー船団はすんなりと通り抜けた。けれど、東大洋のアズール湾に抜けると、またしても危険が待ち受けている。

 東に進むアッシャーたちの船団に向かって、周辺の海岸から軽武装の船がわらわらと向かってきた。海賊船だ。

「わあ、いっぱい来た! なんかいっぱい来た!」

 船団の先頭をゆくロード=オブ=オーシャン号の甲板上で、アッシャーは追いかけてくる多数の海賊船にたじろいでいた。  

「うろたえるんじゃねえ。望遠鏡を貸しな」

 ロード=オブ=オーシャン号に併走するブラッディ=ウルフ号からジュリアスが叫んだ。望遠鏡を受け取ると、彼は海賊船を観察し、鼻で笑った。

「……七隻ばかりの小型船か。ガレーも混じってるな。一隻あたり、多くて二十人ってとこか。素人に毛の生えた程度の木っ端海賊だ。あわてるような相手じゃねえよ」

「でも、七隻もあったらボクたち囲まれるかも。どうしよう」

 ジュリアスは船を180度旋回させ、海賊船のほうに進路を向けた。

「アッシャー。お前らは全速力でティシュリに帰れ。すぐに追いつく」

「一隻で大丈夫なのかい?」

「木っ端海賊にやられるようなジュリアス様じゃねえよ。なあに、奴らは烏合の衆だ。ちょっと脅しかければすぐに逃げるだろうぜ。早く行きな」

「わかった。後は頼んだよ」

 ブラッディ=ウルフ号はもと来た航路を引き返し、ロード=オブ=オーシャン号と輸送船は帆を全開にしてディカルト方面に向かった。

 ジュリアスは舳先に立つと、望遠鏡をのぞいてもう一度向かってくる海賊船を見た。旗艦を中心に統率されている艦隊ではなさそうで、連携した動きではない。その中で、一隻の船がほかの船を引き離して向かってきていた。

「あの船だけブリガンティンのようですね。武装はしてなさそうですが、兵隊は二十人と少し……三十人近く乗り込んでますぜ」

 副官がジュリアスの傍らで、先行してきた海賊船を指さした。ブリガンティンは二本マストの中型船で、商船向きだが武装を施せば軍用の護衛艦にもなるタイプの船だ。とはいえ、その海賊船は船首にバリスタ(大型の固定式ボウガン)が設置されている程度で、それ以外に武装は施されていない。

「あれが一番強い船のようだな。よし、あいつをつぶすか」

 ジュリアスは甲板のほうを向き、船員たちに号令した。

「総員、砲撃戦配置! 海賊どもと一戦おっぱじめるぜ!」

「おおうっ!」

 船員たちは気勢を上げ、甲板を駆け回った。甲板員たちは場慣れした動きで甲板上に大砲を構え、操帆手と操舵手も命令に即応できる体勢を整えた。

 ジュリアスは大砲の備えられた下甲板に降りて、配置を検分した。ブラッディ=ウルフ号には大砲が両舷に三門ずつと船尾に一門、合計七門装備されている。

「12ポンドデミカノンが六門か。大した装備じゃねえか。私有の護衛艦にするのはもったいねえな」

 この世界、大砲は極めて貴重品である。

 大昔には科学と法術(念導サーマ語と呼ばれる古代語を用いて事象を操る、魔道の一種)を組み合わせた高度な魔法科学文明が栄えたが、それは遠い昔に絶え、その大いなる魔法科学技術も風化して失われた。その時代の遺物は辺境の地や魔境の奥に隠された遺跡の中にわずかに残されている。大砲もそんな遺物のひとつだった。

 そのような遺物を研究し、そのレプリカを作り上げ、古代技術を復興させようとする研究者を考古科学者という。聖皇歴948年、西方大陸にあるナードイン王国の考古科学者たちが大砲のレプリカ作成に成功した。それ以降、大砲の研究が進められ、その性能も徐々に向上しつつある。

 とはいえ、大砲は全世界にそれほど普及していない。

 まず、生産が鋳物職人による手作業のため、大量生産ができない。その上、技術不足のため、よく故障(とくに多いのが砲身の破裂)を起こした。そして、弾薬に使う火薬も古代技術の復興が頼りで、大量生産に至っていない。大砲も弾薬も、大量に生産できない物は当然安価にならない。

 大砲自体が高価で、それを使用するコストも高く付き、その上よく故障する。使用するにはあまりにリスクが高いのだ。なのでだれも大砲を導入したがらない。これでは大砲の普及も技術研鑽もとうてい望めない。

 ただ、軍艦に搭載する兵器として、大砲は好適だった。これまでは投石機が搭載されていたが、これは艦載するにはあまりに大きすぎ、とりわけマストにスペースをとりたい帆船には不向きだった。大砲は投石機に比べてはるかに小型で、その上射程距離と威力は投石機に遜色ないか、これを上回る。それゆえ、各国の海軍は大砲技術の研究に力を入れはじめている。ディカルト連邦も大砲開発に力を入れている国のひとつだ。

「このブラッディ=ウルフ号はBSE社(バニパル・セキュリティ・エンタープライズ。バニパル=シンジケート傘下の警備会社)所有の最新鋭護衛艦ですからね。うまくやれば旧型の戦艦とも互角以上に太刀打ちできますぜ」

 副官がそう言って胸を張った。

「ふん。さすがはバニパル=シンジケートだな。自前の軍隊まで持ってるとは、大した複合企業だぜ。それはそうと、お前らちゃんと大砲扱えるんだろうな」

「任せてくだせい。訓練も積んでますし、場数もある程度踏んでますんで」

「そうかよ。なら、お前らを信頼するぜ。さあ、一丁ぶちかますか」

 ジュリアスは当直甲板上に立ち、向かってくる海賊船を見た。海賊船は迷いなく全速前進し、ブラッディ=ウルフ号との差を縮めてきている。ジュリアスは敵艦の進路をふさぐように船を動かし、敵艦に左舷を向けた体勢で停船し、待ちかまえた。

 海賊船を200ヤードの距離まで引きつけると、彼は命令を発した。

「砲撃開始だ! 連射をかましてやれ!」

「撃てえっ!」

 ブラッディ=ウルフ号の大砲が火を噴いた。船首側から船尾側の順に、左舷側の三門の大砲が短い間隔で砲撃する。一斉砲撃ほどの迫力はないが、敵艦にしてみれば間髪入れずに砲弾を受けるわけで、船体の損害以上に精神的にダメージを受ける。

 海賊船の甲板に砲弾が命中した。衝撃で何人かの海賊が船から放り出された。続けて撃ち込まれた砲弾は海賊船の船首を砕き、ひとつは海賊船の横で水柱をあげた。

「バカ野郎! なんのための至近弾だ。全弾命中させてみろ!」

「手を休めるな! 撃てえっ!」

 ブラッディ=ウルフ号からの間髪を入れない砲撃に海賊船は辟易して、船首を返そうとした。逃がすものかとさらに激しく撃ち込まれた砲弾は、海賊船のフォアマストを吹き飛ばした。

 海賊船のメーンマストに翻っていた海賊旗が引き下ろされた。

「ジュリアスの旦那。奴ら、旗を降ろしましたぜ。降参のようですね」

「認めねえ。砲撃を続けろ」

 ジュリアスは敵の降伏の意思を全く無視した。戦意を失っている敵に、さらに容赦なく砲撃が浴びせられる。

「てめえから戦闘を仕掛けておいて、逃げをうとうなんてこのジュリアス・セザール様が許さねえ。オレたちに向かってきたらどうなるか、思い知らせてやるさ」

 激しい一方的な砲撃でマストを二本とも失い、大破した海賊船の喫水線付近に、とどめの砲弾が命中した。浸水した海賊船は横転し、ゆっくり海の底に沈んでいった。

「よし、一隻撃沈だ!」

 ジュリアスの激しく、そして容赦ない攻撃ぶりを見て、後続の海賊船のうち四隻が退却を始めた。だが、二隻の海賊船がまだ向かってこようとしていた。

「ちっ。これだけ脅しても聞き分けのないバカがいやがった」

「どうしやす、ジュリアスの旦那。本船はもうだいぶん向こうに行きましたが」

 彼の傍らで副官が尋ねた。

「アッシャーには後で追いつけばいい。海賊どもを片づけるぞ。向かってくる奴らは容赦しねえよ」

「了解。戦闘を続けるぞ! 海賊どもを全滅させる!」

「おおっ! やってやるぜ!」

 海賊船を一隻撃沈したことでブラッディ=ウルフ号の戦意は高揚していた。引き下がらない海賊船はコグと呼ばれる小型船と小型のガレー船。はっきり言って敵ではない。

 ジュリアスたちがこれらの海賊船を海の藻屑とするのに、長い時間はかからなかった。


 航海十日目の11月11日。マリアンヌたちのインフィニティ号は順風と好天に恵まれ、順調な航海を続けていた。現在位置は東大洋の中程に達している。ここからあと一週間もあればティシュリに到着できる。

 もう少しで今回の仕事が完了する、そんな見通しがついたので、マリアンヌは機嫌がよかった。

 昼食を取り終わり、腹ごなしに日課になっている剣術の稽古をしようと準備していたとき、不意にメーンマスト上で見張りをしていた船員が呼び子笛を吹き鳴らした。

「何かあったの?」

「前方に船団が見えます」

 見張りは進路前方を指さした。彼女が見ると、インフィニティ号の進路の少し左より、十一時方向に何隻かの船影が見えた。

「輸送船団のようです。おそらく商船隊でしょう。馬の紋章の司令官旗は初めて見ますが、国旗はディカルト旗を掲げています」

 望遠鏡で前方を監視していたセレウコスが彼女に報告した。海賊や敵対国の戦艦隊なら警戒しなくてはならないが、同国籍の商船隊なら特に警戒しなくてもいい。彼女は安心して表情をゆるめた。

「あたしにも見せて」

 彼女はセレウコスから望遠鏡を受け取り、前方を帆走する船団に目を凝らした。

 船影はだんだんはっきりしてきた。間違いなく輸送船団のようだ。130フィート級のキャラック船で、その数は5隻。積み荷を満載にしているようで、さほどスピードを上げずに東に向かっている。そうすると目的地は、マリアンヌたちインフィニティ号と同じ、ディカルト諸島方面だろう。

 マリアンヌは船団の先頭に立つ船に注目して、セレウコスの言う旗を確認した。

「ねえ、セル。あの紋章は馬じゃなくて、カバでしょ」

「いえ、馬ですよ。駈ける駿馬がデザインされています」

 セレウコスは一点の揺るぎもなく確言するが、彼女にはどたどた走っているように見えるカバのような生き物にしか見えなかった。

「あれって、絶対カバよね」

 彼女は横にいた監視員に言うと、その船員は大きくうなずいた。

「それにしても、あの船はずいぶん目立ってやすね。船体を黄色と紫のペンキで塗る船なんて、世の中そうはありませんぜ」

 監視員の言葉を聞きながら、彼女は船団の旗艦をもう一度よく見た。

「ほんとだ、まるでお祭りの宝船だわ……。あら? あれはもしかして……」

 彼女は望遠鏡を目から離すと、セレウコスに言った。

「あの船団、なんか気にかかるわ。船を近づけてくれる?」

「了解。展帆全開、取り舵30度」

 セレウコスの指示で、インフィニティ号はスピードを上げて、輸送船団の方に進路を向けた。マリアンヌは船の舳先に立って、船団の監視を続けた。

「間違いないわ。先頭にいる船、レグラーンに向かうときにニート海で見た不審船よ」

 彼女はうなずきながら言った。船体を紫と黄色のペンキで鮮やかに塗り、帆には大輪の薔薇を染め抜き、金銀のモールでマストをもやった、宝船のような不審船は見まごうはずもない。

「でも、一緒にいた護衛艦っぽい船はいないわね。どうしたのかしら」

 輸送船団が不意に隊列を変えた。先頭を進んでいた宝船だけが進路を変え、反転してインフィニティ号に船首を向けた。後続の輸送船は減速して、東に向かっている。

「接触しますか」

「そうね……うん、接近して。あ、そうだ。プットを呼んでおいて」

 セレウコスはインフィニティ号の帆を縮めて減速し、宝船―ロード=オブ=オーシャン号に横付けできるように操船した。

「おう、お嬢。おっ、ありゃあ前に出会った不審船じゃねえか」

 呼び出されたプトレマイオスが彼女のそばにきた。

「そう。なんか怪しいにおいがしたから追いかけたけど、向こうも気づいたようね」

「怪しい奴には暴れ込んでやろうってのかい。へっへっ、お嬢もわかってきたじゃねえの」

 プトレマイオスはうれしそうな顔で腕をぽきぽき鳴らした。

「別にそういう訳じゃないわよ。だけど、あんな船でも危険な相手かもしれないでしょ。用心しなきゃ」

 インフィニティ号とロード=オブ=オーシャン号は鼻先を近づける形で、約60ヤードの距離に接近した。

「プット、あの船に呼びかけてみて。どこに向かうのかって」

「おう。うぉーい、おめえらはどこに行くんだぁ」

 彼は土手っ腹に響かせる大声でロード=オブ=オーシャン号に向かって呼びかけた。が、返事は返ってこない。

「おかしいわね。何で返事しないのかな」

「お嬢、前にでると危険だぜぇ。奴ら、悪い奴に違えねえや」

 プトレマイオスの警告にひとつうなずきながら、マリアンヌは船首から身を乗り出すようにしてロード=オブ=オーシャン号の様子をうかがった。

 そのとき、ロード=オブ=オーシャン号から、ボウガンを構えた船員が数人、彼女のほうに向けて射撃してきた。

「危ない!」

 セレウコスが彼女の手を引っ張ってかばったので、間一髪撃たれずにすんだ。

「あんにゃろう、やりやがったぜぇ!」

「あたしに向かって攻撃してくるなんて、やっぱり後ろ暗いところがあるんだわ。きっと、大麦買い占めの犯人のカマ・ドーマって男よ」

「応戦しますか、それとも、船を離しますか」

 セレウコスの問いに彼女は一瞬唇をかんで、目を閉じた。そして、甲板に集まった船員たちを振り向いて号令した。

「応戦するわ。あの船、取り押さえてやる! みんな、力を貸してね!」

「うっしゃあ! 戦闘なら任せろぉぅっ!」

「おおう!」

 プトレマイオスと船員たちの威勢のいい声が甲板上にどよめいた。

「総員、戦闘配置に就け。白兵戦に備えろ」

 セレウコスの命令で、甲板員たちが短剣や手斧、棍棒などを手に取り、船縁を固めた。インフィニティ号は左舷を、対面しているロード=オブ=オーシャン号の左舷側に向けて、横に並ぶ位置に陣取り、縮帆停船した。

 ロード=オブ=オーシャン号の左舷側には、ボウガンを構えた船員たちが待ちかまえていた。インフィニティ号に向けて一斉射撃を仕掛けてきた。

「みんな、伏せて!」

 マリアンヌの号令で、船員たちは船縁やコンテナの陰に隠れ、雨あられのように撃ちかけてくる敵の攻撃をやり過ごした。とはいえ、やむ間もなく射かけてくるので、マリアンヌたちはうかつに攻撃を仕掛けられない。

「敵はアサルトボウガンを使ってます。威力がそこそこある上に、扱いやすくて速射がきくから厄介ですよ」

 撃ち込まれた矢を拾って、セレウコスがメーンマストの陰に隠れているマリアンヌのところにきて言った。

「こっちも何か飛び道具がある?」

「一応あります。おい、三号船倉を開けて武器を持ってこい」

 セレウコスが手近な船員を数人呼んで命令した。船員は船内に降りて、しばらくすると、二丁のボウガンと、型は大きくないがとても重そうな箱を持ってきた。

「これが現在ある射撃武器です」

 マリアンヌは箱を開けてみた。中にはテニスボール大の石がぎっしり詰まっていた。

「なにこれ? 石ころ?」

「つぶてです。武器と呼べるほどではないかもしれないが、なかなか効果があります」

「確かに、これぶつけられたら痛いね」

 彼女は船員たちと手分けして、射撃戦に備えてつぶてを配分した。そのとき、轟音が響いて、インフィニティ号の舷側の一部から木片が飛び散った。

「なに? どうしたの?」

「敵が大砲をぶち込んできましたぜ」

 ロード=オブ=オーシャン号には大砲が備えられていた。ファルカン砲という口径1インチほどの軽砲で、射程、威力ともに低いが、今のように接近しているところで撃ち込まれると侮れない。

「大丈夫? 誰もケガしてない?」

「直撃はしてませんが、着弾したときの破片に当たって、二人傷を負ってます」

 マリアンヌは大砲の撃ち込まれたところに駆け寄り、負傷した船員の傷口を見た。服に血が付いて赤く染まっていたが、ケガ自体は深くなさそうだったので、彼女は少し安心した。

「じいさんのところにつれていって」

 仲間の船員が肩を貸して、負傷者を船室に運び込んだ。カッサンドロスは戦闘開始前から医務室に詰めているのだ。

「お嬢。敵の射撃がやんだぜぇ」

 プトレマイオスがマリアンヌに言ったので、彼女は敵の攻撃が収まったことに気づいた。敵船をうかがうと、船員の間に混乱が走っているようだった。二発目を砲撃しようとした大砲が暴発したらしい。大砲が台座から転げ落ちて、幾人かの負傷者がでているようだ。

「反撃するわよ。向こうが体勢を立て直す前に」

 敵船の混乱が静まりかけ、射撃を再開する気配が見えたとき、彼女は号令を出した。

「攻撃開始よ。それっ!」

 インフィニティ号の船員たちは一斉につぶてを投げつけた。たかだか石つぶてだが、敵の動きを止めるには十分な効果がある。石を投げつけられながら、ボウガンを構えて撃つ気力のある敵兵はいなかった。

「ぎゃっ!」

 投石の後ろからボウガンを構えていたインフィニティ号の船員が悲鳴を上げて倒れた。脇腹に深々と矢が立っている。セレウコスが駆けつけて、矢を引き抜いた。体に刺さった矢は、すぐに抜かないとやじりが体に残り、後遺症になることがあるからだ。

「敵船に狙撃手がいるようです。お嬢ちゃんがねらわれる可能性があります。船室にさがっていたらどうでしょう」

 総大将である提督が狙撃されて倒れたら、味方の士気はがた落ちする。セレウコスはそれを見越して提案したが、マリアンヌは首を横に振った。

「そうはいかないわ。あたしの命令でみんな戦っているんだから、あたしだけ安全なところに隠れているなんてできないよ」

 彼女は戦況をもう一度見た。つぶての効果があったのか、敵の攻撃の手はかなり抑え込まれている。散発的に矢が飛んでくるくらいだ。実質的にマリアンヌたちのほうが押していると言っていい。

「あたしとプットで敵船に斬り込んで、一気にかたを付けてくるわ。セルは後方支援をお願いね」

「了解。気をつけて」

「うん。プット、敵船に斬り込むわよ!」

「おっしゃあ、任せろぉ! 戦闘はやっぱり斬り込みに限るぜぇ!」

 プトレマイオスは得物の棍棒を振りかざして、雄叫びをあげた。

 彼女は短刀を鞘から抜いて、すうっと息を吸い込んだ。

「勇気のある人はついてきて! 突撃!」

「いくぜぇぇぇぇっ!!」

「ぅおおうっ!」

 インフィニティ号とロード=オブ=オーシャン号の間に、タラップ(渡し板)やはしご、鉤縄が掛けられた。プトレマイオスを先頭に、マリアンヌとインフィニティ号の船員たちがロード=オブ=オーシャン号に躍り込んだ。

「わっ! 意外と多いわ!」

 ロード=オブ=オーシャン号の船員は総勢50人。10人あまりの人数で斬り込んだマリアンヌ側のほうが明らかに無勢だ。数で有利ということがわかったのか、敵方は勇んで迎撃に向かってきた。

「けんかは数でするもんじゃねえ。このプトレマイオス・ラゴス様が相手だ! へっぽこども、命がけでかかってきやがれぇ!」

 包囲してくる敵に向かって、プトレマイオスが棍棒を風車のように振り回して飛びかかった。はじめの一振りで四、五人の敵兵が吹っ飛ばされた。次の一振りでまた四人吹き飛ばされた。これまで幾多の海賊相手に暴れまくり、あまたの海賊たちから豪傑プットと呼ばれ恐れられている怪力戦士プトレマイオス・ラゴスにかかれば、並の水夫などものの数ではない。

「うわ、こいつはかなわねえ」

「かんべんしてくれ~。にっげろ~」

 プトレマイオスの大暴れで、敵兵は震え上がった。インフィニティ号の船員たちはプトレマイオスに続いて敵に討ちかかり、船の制圧にかかった。

「ここの船長はどこっ。出てきなさい!」

 マリアンヌは叫びながらロード=オブ=オーシャン号の甲板を見渡した。彼女の周囲では双方の乗組員が入り乱れて乱闘になっているが、その中に船長らしい男の姿はなかった。

「船内にいるのかしら」

 彼女がハッチのほうに向かおうとすると、その方向から敵船員が短剣を手に近づき、襲いかかってきた。

「女か。おとなしくくたばれっ!」

「女だからって馬鹿にしないでよねっ!」

 彼女は敵の攻撃をさっとかわした。そして、敵の肩口に短刀を振り下ろした。

「えいっ」

「ぎゃ」

 肩口に深い傷を負って武器を取り落とした敵に彼女は刀を突きつけた。

「ちょ、ちょっとたんま。こ、降参」

「船長はどこにいるの。教えてくれたら命は取らないわ」

「船長なら船尾に。弓を持っているからわかる」

「そう。じゃ、しばらく寝てて」

 彼女は敵の首筋あたりを短刀の峰でぶったたいた。敵は昏倒した。

 乱闘の繰り広げられる間を縫って、彼女は船尾のほうに向かい、大声で叫んだ。

「この船の船長が大麦買い占めの犯人だってわかってるのよ。カマ・ドーマ、出てらっしゃい!」

 そのとき、船尾甲板から矢が飛んできて、彼女の足元に突き刺さった。

「そこにいるのね!」

「いかにも。君がマリアンヌ・シャルマーニュか。ボクの計画をここまでじゃまするなんて、なかなかやるじゃないか。でも、もうおしまいだよ」

 船尾甲板に、純白のスーツに身を包み、鳥の羽で派手に飾り付けた帽子をかぶり、弓を握った若い男が姿を現した。

「あなたがカマ・ドーマねっ……あれ? あんたは……」

 その男の姿に彼女は見覚えがあった。そう、この男は、ディカルト有数の大金持ちのどら息子として、ティシュリの有名人なのだ。

「あ! あんたはアッシャー・バニパルね。バニパル=シンジケートのバカ御曹司の。まさか、あんたがカマ・ドーマなの?」

 彼女が男に指を突きつけて叫ぶと、男はふっと笑って、さらさらの前髪をかき上げた。

「その通り。カマ・ドーマとは世を忍ぶ仮の姿。その正体は……強い、賢い、そしてハンサム。このすべてをプァーフェクトに兼ね備えたティシュリの王子様アッシャー・バニパル! このボクさっ」

 彼はそう言い放ち、ポーズを決めた。彼の後ろの方で取り巻きの黒服たちがやんややんやと盛り上げるが、一様に顔が引きつっている。

 マリアンヌは、どこからつっこんだらいいものかと一瞬思案した。

「ねえ、あんたそれ受けねらいで言ってるの?」

「受けねらいなものか。真実だもの。ああ、天に二物も三物も与えられるなんて、ボクはなんて罪な人間だろう……」

「……勝手におナルしてなさいよ、バカ御曹司」

 彼女はアッシャーの自己陶酔発言による一時の脱力感から気を取り直し、彼に向かって指を突きつけた。

「こんなことしてる場合じゃないわ……。アッシャー、あなたが大麦買い占めの犯人なんでしょ。何でそんなことするのよ」

「ふふん、せっかくだから教えてあげようか。ボクはビール組合をバニパル=シンジケート傘下に組み入れるんだ。その計画のためにしばらくビール組合には操業を停止してもらう。大麦がなければビール醸造はできないから、大麦はぜーんぶボクが押さえさせてもらったのさ。君が手出ししなければ、もっとうまくいったのに」

「じゃあ……ビール組合に一粒も大麦が入らなかったのも、全部あんたの仕業なのね!」

「その通りだよ。原料の大麦をボクの手に押さえ、ビール組合がボクたちの傘下に入ることを条件に大麦を売り渡す。これがボクの考え出した、世にもすばらしい、プァーフェクトなビール組合乗っ取り計画なのさっ」

 しゃあしゃあと語るアッシャーのせりふを聞いていて、マリアンヌはだんだんと腹が立ってきた。

「そんな身勝手な計画でティシュリからビールをなくしてしまうなんてひどいじゃない! あんたのためにどれだけの人が迷惑していると思ってんのよ! もう許せないわ! ここんところビールが飲めなくていらいらしてんのよ。覚悟しなさい!」

「ふっ、無駄だよ。君はボクに触れることなくボクに倒されるんだ」

 アッシャーは黒服の一人が差し出した矢筒から矢を三本取り、弓でマリアンヌにねらいを付けた。

「天才スナイパー、アッシャー・バニパル様の連射術、その目に焼き付けなよ」

 彼は三本の矢を指の間に挟み、一本ずつつがえて彼女めがけ射撃した。5秒程度のスパンで連射してくる矢を、彼女はぎりぎりのところでかわした。

「へえ、ボクの連射を全部かわすなんて、やるね」

「もうっ。飛び道具なんて卑怯じゃないの。あたしと剣で戦いなさいよ」

「卑怯? それは言いがかりだよ。武器なんて各自別々だろう。君は剣だし、ボクはこの弓。それだけのことさ」

 そういいながらアッシャーはまた矢を三本取って、連射の体勢に入った。

「ま、リーチを詰める必要がない分だけボクのほうが有利だね」

 含み笑いを浮かべながら、彼は矢を次々と放ってきた。彼女は短刀で矢を払いのけながら、甲板上を跳びまわってかわした。

「くっ。ただのどら息子と思ってたけど、けっこう手強いじゃない」

「そっちこそ。女の子と思って甘く見てたけど、ここまでボクの天才的な弓術が効かないと思わなかったよ。まるで山猫だね」

「山猫じゃちょっとかわいくないわ。むしろ海猫って言ってよ」

 とはいえ、余裕綽々のアッシャーに対して、マリアンヌはあまり余裕を感じなかった。アッシャーの弓術はなかなか鋭く、ぎりぎりで何とかかわし続けている状態なのだ。全力で回避しなければ矢の餌食になってしまうので、攻撃に転じるどころか、近づくこともままならない。

 アッシャーは矢を二本取ると、それを同時に弓につがえた。

「よけきれるまでよけ続けてみなよ。ボクの矢が尽きるのが早いか、君の体力が尽きるのが早いか勝負してみるかい」

 マリアンヌがアッシャーの方を見ると、取り巻きの黒服たちが四、五人、矢筒を抱えて待機していた。それらの矢を全部よけきるのは無理だと彼女は思った。とてもじゃないがアッシャーの挑戦は受けられない。

「これじゃらちがあかないわ。なら、こっちも飛び道具で勝負よ」

 彼女は口に指を当てると、口笛を吹いた。それに反応して、インフィニティ号からピクルスが飛んできて、彼女の右肩に止まった。

「いい。合図を出したらあそこの王子様気取りに襲いかかるのよ」

 ピクルスは彼女の左手の甲あたりに留まってスタンバイしたが、ひとつ大あくびしたり、しっぽを持ち上げて放屁したりと、まるでやる気が感じられない。彼女は一抹の不安を覚えた。

「勝負よ、アッシャー!」

「いいとも。いざ!」

 アッシャーは弓を大きく引き絞って、矢を二本同時に放った。

 彼女はジャンプ一番それをかわした。矢の一本が彼女の革ベストの脇腹あたりをかすめた。

「それっ」

 彼女はジャンプ中に左手を送ると、ピクルスがぱっと飛び立って、矢のようにまっすぐ飛んで、ロード=オブ=オーシャン号のミズンマストの上に止まった。

「全然違うじゃん! なにやってんのよぉ」

「ははっ。何のつもりか知らないけど、飛び道具が言うこときかなければどうにもならないね。ま、君の腕なんてそんなものさ」

 アッシャーは黒服から矢を三本受け取った。

「今度こそ串刺しにしてあげるよ」

 そう言いつつ、弓に三本の矢を同時にかけた。

 そのとき、ピクルスがミズンマスト上からぱっと飛び立って、急降下して、アッシャーの首筋に頭から突進した。

「あいたっ! なんだなんだ」

 不意打ちを受けて矢を取りこぼした彼に向かって、ピクルスはかぎづめでひっかき、しっぽで打ち、小さいけど鋭い牙で肩口にかみついた。

「うわあ、やめろ、やめろよ。トカゲのくせにぃ」

 彼は弓を振り回してピクルスを追い払おうとするが、ピクルスは猛攻を全く止めない。

 アッシャーは攻撃をかわそうと後ずさりして、船尾甲板のコーナーに追いつめられた。ピクルスはアッシャーの顔にしっぽの一撃をたたき込むと、長い間合いを取り、彼のみぞおちあたりに体当たりした。

「うわ、うわ、うわあああああっ」

 体当たりの勢いで彼ははねとばされ、船尾甲板から下甲板に転げ落ちた。彼は何とか起きあがると、コンパクトを取り出してのぞき込んだ。

「ボクの顔どうなってる? 傷ついてないよね」

「顔のことより、あんたの命のこと心配したら」

 そう言われてアッシャーは我に返った。マリアンヌは彼の胸元に短刀を突きつけていた。

「え。もしかして、ボクの負け?」

「もしかしなくてもあんたの負けよ。命が惜しかったら抵抗しないことね」

 船尾甲板にいた黒服たちはその様子を見て、諸手をあげて降参した。アッシャーを助けにくる者は誰もいない。

「どうする? 降参する?」

「うん、降参。命だけは助けて。お願い」

 アッシャーは彼女に向かって両手を合わせ、哀願した。

「あんたたちの船長は降参したわ! 無駄な抵抗はやめなさい!」

 マリアンヌは上甲板を中心にして戦っているロード=オブ=オーシャン号の船員に向かって呼びかけた。総大将が敗れたとわかると、船員たちは抵抗をやめた。

「よっしゃあ! 勝ったぜぇ! うおおお~っ!」

 プトレマイオスが勝利の雄叫びをあげると、インフィニティ号の船員たちが勝ちどきを上げて喜びを爆発させた。

 ピクルスが舞い戻ってきて、マリアンヌの腕に止まった。

「やるじゃないピクルス。大手柄よ」

 そう言って彼女はピクルスにキスした。ピクルスは得意げに前足で顔をかいた。

「お嬢ちゃん、ほかの輸送船が逃げようとしてますが」

 インフィニティ号で待機していたセレウコスが彼女に言った。

「信号を出して。内容は『このまま逃げたら報酬なしだけど、あたしたちについてきて荷物を運んでくれたら、それなりのお礼をしてあげる』って」

「了解」

 インフィニティ号の信号手が手旗信号で内容を伝えた。輸送船の船長たちは了解の応答を返して、停船した。

 味方の船員が二人やってきて、アッシャーを取り押さえた。何人かの船員を事後処理に残して、マリアンヌとプトレマイオスはアッシャーを連行してインフィニティ号に戻った。

「見事な戦いでした」

 セレウコスが彼女たちを迎えてねぎらうと、彼女は笑顔を見せた。

「みんなが勇敢だったからよ。それに、最強のプットが味方だったからね」

「まあ、俺様にかかれば、こんな船なんてちょろいもんだぜぇ。がはははは」

 プトレマイオスは土手っ腹に響かせてガハガハ笑うと、上機嫌でネルソンズブラッドのボトルをくわえた。

「捕獲船に水夫長を残しておいたわ。ティシュリまで彼らに運んでもらおうと思ってね。操船させるために捕獲船の船員も解放しておいたわ」

「船の運航のみなら問題ないでしょう。ただ、捕獲船の船員が反乱を起こさないかどうかが心配ですが」

「それは……こいつ次第よね。こいつが変な気を起こさなければ大丈夫だと思うけど」

 そう言ってマリアンヌはアッシャーの背中をたたいた。

「あたしは取り調べをするから、セルたちは運行再開にかかって」

 インフィニティ号の甲板上で、小さくなってしゃがみ込んでいるアッシャーの前にマリアンヌが腕組みして立った。

「あんたがしでかしたこの事件のこと、ちゃんと話してもらうわよ。あたしの訊くことに正直に答えるのよ」

 アッシャーは小さくうなずいた。さっきまでの傲慢な態度は全くなく、しょんぼりうなだれている。

「だいたい何でビール組合の操業を妨害しようなんて考えたのよ。ビール組合になんか恨みでもあったの?」

「違うよ……」

「どう違うのよ。ビール組合の人は大麦が手に入らなくて本当に困り果てていたのよ。恨みがないんならそこまで困らさなくていいじゃない」

「そこまで考えてなかったんだ……ボクはビール組合をバニパル=シンジケート参加に組み入れることしか考えてなかったから……」

「どうしてビール組合を傘下に組み入れようと思ったの?」

 アッシャーは少しの間だまり、口を開いた。

「ボク、パパたちから認められたかったんだ」

「認められたかった?」

 彼はうなずくと、べそ混じりに話し始めた。

「ボクの家はグランパの代からバニパル=シンジケートの会長だから、いずれはボクが現会長のパパの跡を継ぐって自負があったんだ。だから、ハイスクールのあと大学も出て、会社の経営についてけっこうがんばって勉強した。卒業してすぐに傘下会社の役員になったから、ボクも経営に参加できると思ってたんだけど……パパがほかの役員と話しているのを聞いたんだ。ボクは頼りなさすぎてシンジケートの経営に参加させられないって」

「まあ、あんたは名うての遊び人だもの。そう思われても仕方ないよね」

 そう言いながらも、マリアンヌはアッシャーの気持ちが分かった。自分も処女航海の時から、一人前の船乗りとして認められたいと思ってとにかくがんばってきたからだ。

「ボクはそれを聞いて悔しかったんだ。だからパパや役員たちも驚くような仕事をしたかった。そうすればパパも役員もボクの力を認めると思って」

「その驚くような仕事がビール組合の併合で、そのためにいろいろ妨害したってわけね。でも、何でまたビール組合をねらったの?」

「昔、バニパル=シンジケートとビール組合で業務提携の話があったけど、組合がそれを拒否したから実現しなかったって聞いたんだ。だからビール組合を傘下に組み入れればシンジケートのためになると思って……」

「ふーん、事情は何となくわかったわ。でもね」

 彼女はアッシャーの眉間あたりにびしっと指を突きつけた。

「どんな理由があっても、たくさんの人に迷惑をかけたことは許されないわよ。ビール組合だけじゃない、酒場やレストランの人たちもビールが手に入らなくて困ってたんだし、ビールが飲みたいあたしたちにも大迷惑だったのよ」

「反省してます。ごめんなさい」

「あたしに謝ってもしょうがないわ。それよりも、ビール組合の人たちや酒場の人たちとか、謝って償わなきゃいけない人たちがたくさんいるのよ。その責任はちゃんと自分でとりなさいよ」

「……」

「あんたをどうするかはまた後で考えるわ。でも、監獄行きくらいは覚悟しなさい」

「ふえーん。牢屋はいやだよぉ」

 アッシャーはしゃがみ込んだままめそめそ泣き出した。

「お嬢、どうする。そいつをちょっと痛めつけておこうか?」

 プトレマイオスが指をぼきぼき鳴らしながら訊ねたが、彼女は首を横に振った。

「やめておこうよ。十分反省したみたいだし、それに捕虜を痛めつけるのはいいことじゃないよ。それより」

 彼女は船内を見渡した。戦闘の跡はある程度片づけられて、運行再開の準備は整いつつあるようだ。

「戦ってくれた船員のみんなにラムの樽を開けてあげて。ただし、すぐに出航するから一杯だけね」

「わかったぜぇ。がははは、酒だ酒だ」

 プトレマイオスがラム酒の樽を取り出しに船倉に降りていったとき、見張りの船員が呼び子笛を吹いた。

「後方、西の方角から接近してくる船を発見! 武装船のようです」

 見張りが呼ばわる報告を聞いて、アッシャーがべそかき顔をあげた。

「ジュリアスだ。ジュリアスが助けにきてくれたんだ」

 マリアンヌは船尾に立つと、望遠鏡をのぞき込んだ。西の方から一隻の中型武装船が近づいてくる。その船影はマリアンヌも見覚えがあった。

「おーう、お嬢。ラムの樽持ってきたぜぇ」

「ごめん。お酒の方はちょっとお預けだわ。もう一回戦わなきゃいけないかも」

「敵船か? 相手にとって不足はねえ。やってやるぜぇ」

 プトレマイオスは気合い十分の様子で腕をぶんぶん振り回した。

「輸送船に信号を出して。『ロード=オブ=オーシャン号……だったっけ、を先頭に、順次ティシュリに向けて出航せよ』。セル、後方の船に近づいて」

 彼女の指示通り、ロード=オブ=オーシャン号を先頭に、大麦を積み込んだ輸送船は東に向かって帆走を始めた。インフィニティ号は船首を反転させ、西の方にゆっくりと船を進めた。

 マリアンヌは輸送船がティシュリに向かうのを確認すると、船首の当直甲板に移動し、距離を狭めてくる武装船の方をじっと見た。

「強そうだなぁ。戦って勝てるかしら……」

 彼女はぐっと親指をかんだ。

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