第73話 もう少しここで
今日も全ての仕事を終え、夕食の片付けも終わりくつろげる時間がやって来た。
リビングには俺とテトラの二人だけだ。クルミが旅に出てしまい部屋が開いてしまったので、今はコムギがそこを使用している。寄生虫として着実に成長しているようだ。
あいつの分も飲み物を入れてやろうかと思ったが今日は疲れて寝てしまっている。大分火に慣れて来たからと調子に乗り、目の前でフランベしてやったのが効いたのかもしれない。
そういえばあいつが火を怖がる理由を聞いたが、実は爺さんも知らなかった。教えてやるという嘘はコムギを後押しするための方便だったのだ。結果的には良かったが、コムギは騙されたとブチぎれていた。
本当に、なんなんだろう。徐々に克服できて来てるからいいけど。
ヤトコがザラメの下僕に戻って数日経ったが、目立った問題はない。ザラメはここの店員でありヤトコの料理の腕は確かなので、彼女がここで働くことになるのは自然な流れだった。
ヤトコの要領の良さは半端ではない。そこそこ出来ると自負している俺より早く、相当忙しい店で働いていたに違いない。
凄いとヤトコに対して賞賛したが、素直に喜ばないのが彼女だった。
「決闘では負けたでしょ。料理はあんたの方が上手いんだよ」
確かに投票ではそうだ。
バールゼーブは組織票の「三票」、残り六票のうちヘイゼルとなぜかバールゼーブを裏切ったカルダが俺にとっての組織票。つまり純粋な票はたったの四票で、それを半分づつ取り合った。
だから本当は引き分けなんだ。
「このまま行けば、受注量を増やせそうね。悪魔病院以外にも配達場所を増やそうかしら」
テトラは大量の酒をあおりながら言う。
「クルミさんが旅に出て、実質人員は変わってないのに?」
「ヤトコが早いじゃない。調理も出来るし。伸びしろを見せたコムギとザラメをこのままあんたが育てれば、余裕よ」
「自分がもっと動くって発想は……」
「なにそれ」
「料理、好きなんですよね?」
「好きよ。でも忙しく動くのは嫌」
無茶苦茶だ。玉座がどうとか格好つけていたけど、この女、楽がしたいだけでは。
「ま、安心しなさい。今以上に忙しくはしないわよ」
「本当ですかね……」
「本当よ。折角、あんたがこの場所を守ってくれたんだから。二人の時間が減るのは嫌」
「ぅぶっ」
隕石が落ちたような言葉にコーヒーを拭き出してしまう。とても普段のテトラのとは思えない。
空いた酒瓶の数を見る。いつも通り凄い数だ。
「酔ってますよね」
「どうかしら」
毒の王としてテトラは泥酔する事はないが、ほろ酔いになると気分が良くなるのは人と一緒だ。
反動に次の日の朝は機嫌が悪い。こんなにだらしない魔王は嫌だろう、盟主はやはりバトラで正解らしい。
テトラは注いだばかりの酒を飲み干した。宝石でも眺めるように空のコップを見つめ、蠱惑的に俺を流し見る。酒の催促かと思うがその割には妖艶すぎる視線だった。
「下僕に決闘のご褒美をあげてなかったわね。少しくらいえっちなお願いでもいいわよ」
「ごほっ!」
再び天からの不意打ちによりコーヒーが気管に入った。盛大に咽て涙が止まらない。何言ってんだコイツ。挙動不審になる俺を見て、テトラは声を出して笑った。
少し虚ろな目をしてネックレスを撫でるように触る。
何がどうかしら、だ、そこそこ酔ってるだろうが。コーヒーで溺死しかけたぞ。
「馬鹿なこと言ってないで早く寝て下さい。明日も早いんですから」
「もう一本だけ」
「駄目です」
テトラは「ケチね」と言いながら気分良さそうにソファーへもたれ掛かった。そしてすぐに寝息が聞こえ始める。
あぁ、だめだこれ。寝落ちだ。
深い眠りにつく前に起こそうと思ったが、気持ちよさそうに眠る主人を見てその気も失せる。
開けた胸元、無防備に投げ出された太腿、さっきの台詞のせいで如何わしい所に目線が行ってしまい、いかんいかんと逸らす。
でもまぁ……決闘での臨時収入って事で眼福させてもらおう。これくらい良いだろ。
俺は零したコーヒーを拭いて、最後の一口を啜った。
もし今帰れる方法が見つかっても、もう少しここで下僕をやっていてもいいかもしれないな、と世迷言を吐かせるくらいに、目の前の悪魔は天使の寝顔をしていた。
魔界の下僕の弁当屋事情 高田丑歩 @ambulatio
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