第72話「助けてくれて、ありがとう」
「お姉様、花言葉って知ってる?」
バトラは紅茶に映る自分を見つめ、姉に質問した。
「人間の世界にも花がたくさんあって、それぞれに象徴する素敵な二つ名があるのよ」
バトラは懐かしそうに、自身の髪飾りに一瞬触れた。
「そう」
テトラは紅茶を一口飲み、興味がなさそうに相槌を打つ。
「私の夢は世界征服なの。私の大事な人間が、向こうで待ってるのよ」
横で聞いていて俺はコーヒーを吹き出しそうになった。世界征服って物語の話じゃあるまいし。
と言うか人間界に行った事があるような話し振りだけど……まさかな。
「お姉ちゃん、どうしても帰ってきてくれないの? たまに助けてくれるだけでいい。テトラ弁当ごとこっちに来る気はない?」
いつの間にか氷山が荒潮に削られ丸くなっていく。お姉ちゃんと呼称したのは驚いた。
テトラは軽く自分の椅子をノックする。
「悪いけど、これが私の玉座よ」
視線を外し気味だったテトラはようやく真剣に見合った。
でもそれは一瞬で、バトラの方から目線を逸らす。
「そう……残念」
テトラは高所に手が届かないものを取ろうとするような顔をしてから、深く嘆息する。
「恨んでる? あんたを置いてった私の事」
テトラの神妙な発言。
姉の模倣をするように紅茶を一口飲んでから、バトラは首を横に振る。
「逆じゃなくて? お姉ちゃんは私をパパから守ってくれていたのに、私は甘えて何もしなかった」
バトラは別人のようで、今は姉と腹を割って話すただの妹だ。
「あんたがいたから、私は頑張れたのよ」
テトラはカップを撫でながら言った。バトラは花をめでる少女のように微笑み、すぐに顔を隠した。
「あんたもう、組織解体しちゃえば? 私は断念したけど」
「それは駄目」
しおらしくなったバトラへの助言を、当人は力強く断る。
「私の夢には、お金と設備と兵隊と後ろ盾が必要なの」
「難儀ね。そんなあなたに一つ朗報よ。バールゼーブは今、テトラ弁当の配下よ。三大組織のもう一つ「ルシファー」をあなたが手懐ければ、姉妹で魔界征服したようなものよ」
「??」
バトラは目をぱちぱちとさせる。頭の上にわかりやすいクエッションマークが見えるぞ。
そりゃ困惑するだろう。
秘密裏にカロテと交わした約束は、カロテをうちの配下にすることだ。カロテは名目上バールゼーブのボス。形だけとはいえ、大組織がウチの配下になっている訳だ。
そのことを簡単にテトラは説明する。今度はバトラが深く嘆息した。
「今後どこかの組織が力づくで来たらどうするのか聞こうとしていたのだけど……。強かね」
もう一度自分の椅子をノックする。勝ち誇った顔で紅茶を飲み干した。
バトラはその姿を見ながら苦笑いしか出来ない。姉には敵わない、そんな台詞が聞こえてきそうだった。
「さて、疲れも取れたし」
ヤトコを一瞥してからゆっくりと立ち上がる。
バトラは取り出したハンカチで飲み口に付いた紅茶の染みを拭いた。ずっとヤトコに張り付いていたザラメが顔を離す。無表情だったヤトコに、焦りに似た何かが宿った。
「紅茶、ご馳走様」
バトラは柔らかい口調で俺に告げる。姉と話していた時の感覚が抜けていないらしい。先ほどまであんなにテトラと打ち解けて話していたのに、名残惜しさを感じさせず去ろうとする。
「バトラ」
ザラメが離れ、ヤトコは焦って立ち上がった。
数秒、何かを言い淀んだ後、
「助けてくれて、ありがとう」
必死に紡ぎ出した言葉は感謝だった。
続いてザラメも身を乗り出し頭を下げた。ザラメとしても感謝しきれないだろう。上半身だけこちらに向けたバトラの顔は、いつのまにか盟主の顔に戻っていた。
「ヤトコのご飯が食べられなくなるのは残念ね。たまに来てもいいかしら」
「客ならいつでも歓迎するわ。暇なら愚痴くらい聞いてやるわよ」
「お言葉に甘えるわ。それじゃ、またねお姉様。テトラ弁当の皆さん」
バトラは髪をかき上げて颯爽と出て行く。
まだヤトコは何か言いたげだったが、羽の生えた背中にそれ以上何か投げかける事はなかった。二度と会えなくなるわけじゃない。
最初は完全に敵を演出して現れたテトラの妹。ヤトコの扱いを見るに、良い悪魔だったと思う。腕を壊されかけた恐怖は絶対忘れないけど。
テトラに似て華のある、美しい悪魔だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます