月影さやかに

水木レナ

呼ばれてます! サヤカさん!!

 公営住宅の屋上で、昼間の空へ、一人両手をさしのばしている少女がいた。

(私、やっぱり……見えないのね)

 長い髪を風になぶられながら、じっと立っている。


(やっぱり間に合わないよね、もう力が残ってないんだし)

 両手で顔にかかる髪の毛を抑えながら、風に吹かれて天を見上げる。

(いよいよ、覚悟しなきゃ、かも……)




 四角いケーキを並べたような公営住宅が建ち並んでいる。

(うっ、ドキドキしてきた。いよいよ、この時が来た!)

 少年はものなれない様子で、最上階から屋上へのドアを開けようとしている。



「見えちゃった……見てしまった……!」

 そして彼はため息までついてしまったのだった。



 彼はスマホで影をとらえようとしている。

 が、うまくいかないようだ。

(今さら、オレの勘違いだったなんて、クラスの奴らに言えない)

「ううん……なんで映らないんだろう」


 一樹いつき(13)藤城ふじしろ家長男、不登校一歩手前。

 少女の名は、年は、どこから来たのか、一切が不明。

 二人に共通するのは、屋上にいるということだけ。


 2000年代の普通の生活。

 こんな出逢いはなかなかない。

 ――でも、本当は出逢いなんてどこでもいいよね。




 視界を遮るもののない、コンクリート造りの床面。

 少年、少女のあちらとこちらで流れる空気だけが異なる。

 一樹が近づくと、ふわっと鼻孔をくすぐる甘い薫りがした。


 一樹の母親がつくる、ちょっと端のこげた焼き菓子のようだ。

 一体全体どうしたというのか、張りつめた顔をして目を伏せ、少年に気づかない少女。

 一樹は一瞬、逃げ出してしまいたくなる。


 幻だったらどうしたらいい?


(まぶしいよ! こんな女の子、見たことないくらいかわいい! 信じられない!)


 一樹はドックドックと高鳴る胸に拳をあてる。

 が、抑えきれない。

 いわゆるボーイミーツガール。


(これがオレ一人に見えてるなんて、どうかしてる。ままま、まさか幽霊なのか? この屋上から飛び降りた地縛霊だとかいうんじゃ……いや、オレ生まれたときからここに住んでるけどそんなこと聞いたことがない)


 少年は棒立ちのままスマホで友達に連絡。


『そんなにかわいいのか!? 話しかけろ!』

「あ、ああ。うん」

 一樹は名も知らぬ少女に向かって一言。


 こんなところでなにをしているの?

 妥当なもっていき方である。

「あなたは?」


「あ、よかった。言葉が通じる」

「どうやら、翻訳機は壊れてないみたいね」

 ぎえ! と明らかに引く一樹。


「わけわからん」

 こういう、何を言っているのかよくわからない相手というのは、一樹をひどく疲れさせる。

「わかったら、あなたは天才よ」


「オレ、小さい頃は天才だった」

 内心冷や汗ものだ。


(大丈夫なのかしらね、この人)


「いい天気だね」

 明らかに無難な話題をふる。

 こんなかわいい子に馬鹿だと思われるのはキツイ。


 そうとうダメージ大きい。

(逃げたい……)

 甘がゆいような痛みが支配する、出逢いの瞬間だった。


 一樹の住む公営マンションの屋上で、彼は恐怖を追い払うように、腹から声を出した。

「ねえキミ、ここいらへんの子じゃないだろう? どこから来たの?」

(最近引っ越してきた人はいないはずだし、こんなに美少女だったら有名になっていてもおかしくない)


 少女が花がほころぶように、ふわりと微笑むと、一樹は幼子のように、安堵し歓びに打ち震えた。

「この辺で見かけたことないもんな。よかったら、こんな吹きっさらしの場所じゃなくて、屋根のあるところへ行かない?」

(こんなこと言っちゃって、大丈夫かな、オレ……)


 ホームグラウンドで強気になるのはよくあること。


 切妻屋根の東屋は、子供用の席がしつらえられている。

 小さな公園で、天気がいいのに二人以外、だれもいない。

 入り口からずらっと、葉をつけた針葉樹が並んでいて、人目もない。


 念のため、少女が人の目に映らないことを明記しよう。

 一樹の母親は彼が学校へ行きたがらないのを少々気にしている。

 一樹も家の中では気づまりになる。


 二人は東屋で隣り合って座り、小さな木目のテーブルに手をおいておしゃべりしている。

 一樹は知らず多弁になっていた。

「私の話を聞きたい、ですって……?」


「うん!」

「果敢ね」

(それって褒め言葉なんだろうか? この娘、オレのこと好きなのかな?)


 つい、少女と手をつなぎ、歩いてるところを妄想する一樹。



 それ以上のことまで妄想するのが、男ってものです。



 気づくと空には茜色がさしていた。

 そろそろ近所のおばさんがスーパーに行く頃だ。

 二人、なんとなく席を立った。


 近道をするために、カートを引く女性が公園の中を通り過ぎていく。

 少女の姿はやはり誰にも見えていないようだ。


 少女の表情は隠しようもなく陰りを帯びていて、明るい髪はさらりさらりと動きにつれてふんわり揺れる。

 なぜか服装は印象に残らないのだが、その後姿は消え入りそうに淡い。


(言わなくちゃ、でも……)

 こっそり、少女の横顔を盗み見る一樹。

 一瞬立ち止まり、覚悟を決めて顔をあげる彼。


(また逢おうねって……言うんだ!)

 一樹は少女の後ろ姿へ、口に手をあてて、大声で呼んだ。

「あっ! あのさあ!」


「いきなり、な、なに!?」


 一樹は彼女の背中に追いつき、手をつかもうとした。

 そうしたら、勢い余ってつまづいて、一樹が押し倒すかっこうになって、二人は街路樹の下へ転がった。

 思いがけないことだった。


 二人の唇が重なり、一樹の手がやわらかいものに触れていた。

 起き上がろうとしてぐっとつかむと、小さな悲鳴があがった。

「ごっ、ごめん」


 一樹ははっとして上体を離した。

 触れられたところを庇うように抑え、手で唇をぬぐう少女。

 一樹は口づけなんて挨拶だと思う文化圏の育ちではなかったし、そうべたくたと女子の体に触るのが自然だとは思わない。


 一樹はとても神妙な顔つきになっていた。

「責任……とるから」

「えっ? なんのこと?」


「キミをお嫁さんにするから!」

 まるで吸いこまれるように、凝視して互いに見つめ合う二人。

 その日の夕方の空は薔薇色だった。


「うれしい……これが最初で最後のプロポーズかあ」

 男が責任を口にするのは、人生の大切なごくごく限られた場面である。

 宙に暗い雲が重たげに漂っている。


 星は見えない。

 誰もいない夜。

 再び公営住宅の屋上でうずくまっている少女。


 一樹はそんなこととは思いもよらず、スマホをいじっている。

 壁にはいくつもの額に入った賞状が飾ってある。


 今も少女の姿は誰にも見えないのだ。




「ゲームの女かと思った! そこまで頭がイッちゃったんだと思った。てっきり!」

「まあまあ、人の事あんまり言ってやるなよ」

 学校の友人たちは、一樹に口々に言うが、そばにいる少女のことは無視。


「どうしたんだろう……? なんでなのかな?」

 少女の姿は誰にも見えていないらしいのだ。

 首をかしげて、そんな一樹を怪訝に見る友人。


 説明するのも今さらだが、少女の姿は誰にも見えていないのだ。

 一樹はと言うと、夕べスマホで話した友人からの着信に少しドキッとした。

 学校の屋上へ行くと、ひそひそと話し始める。


 少女は表へ出て、また両手を空にかざしている。


『んで? どこまでいった!?』

「そんなことはこたえられないよ」

『おめーも男だったか……』


「もういいだろ? からかうなって」

『わりーわりー』

 スマホを切ろうとした時だった。


「じゃあな……」

『そうだ一樹!』

「なに!?」


『ゴム着けろよ!?』

 いろいろ複雑でどういった反応を返せばいいのかわからない一樹。

「ゴムってなんだよ」


 白い……フウセンです。




 帰り道、表はまだ明るい。

 にぎやかな商店街を歩きながら、一樹、憂鬱な溜息をつく。

「あーあ」


(誰にも話さなきゃよかった)

 彼女ができたとうれしい気持ちを隠せなかっただけだが、彼氏、彼女が何をどうするものなのか、いまいち心の準備がおっついてない一樹だった。

(手をつなぐだろう? キスをして……もうしちゃったよ。どうするんだ? 手、手をつなぐ前にキスしちゃったら、この後どうすればいいんだよ。というよりか、オレ、責任とるって言っちゃったし)


 飛行機の飛んでいく音がして、一樹は思わず空を見た。

 その真白な飛行機雲を見て、

(つっきるしかない。オレも男なんだ!)


(彼女なんだから、あんなことやこんなことをしていいんだよな。キス以上も、いっ、いいんだよな!?)


 彼女なんだということは、なんでもOK.してくれるということではありません。


 一樹はもう、少女の赤裸々な姿を妄想している。

 少女がユウレイだったら、透明人間だったら、という考えはとうに放り投げてしまった。

 だってもう、触ってしまった。


「ごめんなさい」

 少女はあらかじめ言うべきことを考えていたようだった。

(だって、私は……それに、なんだか……そう、恥ずかしいの)


「あ、そ、そう……」

(えっ! 本当にダメなの?)

 一樹はがっかりするのを隠せなかった。


 道を行くとき、一樹は車道側を歩いた。

 日本ではその方が安全なのだ。

 一緒に歩いている彼女にとって。


 しかし、彼女はいまいちピンときていない。

 二人、そのまま時だけが経過した。

「責任とるってどういうこと?」


 焦った一樹は、

「じっ、事故だから! わざとじゃないから!! でもけっこうやわらかかったっていうか……」

 なにか余分なことを口走った。


 両手で口をふさぐ一樹。

(やわらかかった、やわらかかった、やわらかかった……)


「今、なに考えてるの?」


(男ってヤバンなのかしら……この人も)

 少女は道を変えた。

「そうだ! 言っておかなくちゃ」


「え? なに? どうしたの?」

 

 くるり。

 少女がふわっと一樹の方をのぞきこむ。

「今の私、あなた以外の人間には見えてない……いえ、認識できてないって言ったほうがいいのかな」


 なにかを期待するように目を輝かせる少女。

「驚かないでほしいの」


「うん。それがキミのアイデンティティーなんだよね」


 少女はちょっと考えるように唇に指を当てて、そっとため息のように言った。

「私、ユウレイなの」

 

 一樹は顔色をなくしてドン引きした。


 折しも時間は逢魔が時。

 店なども閉まり、外は街灯と建物の明かり以外、ほとんどない。

 

 ヒュードロドロ。


 そんな音がどこかから聞こえてきそうだ。

 そういえば、彼女には影がない。

 その上、肉体の内部から照るようなほの白さをまとっている。


 言ってしまってすっきりした少女を横目に、一樹、

「そりゃあんまりだよ。そんなことあるわけがないし。妄想なんじゃないの?」

 ギィー! バタン! どこかで扉の閉まる音がした。


 一樹は背筋に冷たいものを感じて、悲鳴をあげた。

 気づくと彼女に抱き着いていた。

 はからずもハグ!


(あ、やわらかい。ほ、ほら、さわれるじゃないか)

 二人のパーソナルスペースが重なった。

 聞こえてくる少女の鼓動は、小動物のように早かった。


 浮遊感。

 一樹は彼女がどうなっているのか、確認せねばならなかった。

 足が地につかない……。


 ハグしたまま二人は宙を飛び、雲の中につっこんでいた。

(離しちゃだめだ。彼女がユウレイでも、そうでなくっても。キスをして、抱きしめた、それから。それから後のことなんて知るか~~!!)

 眉をよせ、少女をますます強く抱きしめたままの一樹。


 二人の体が雲を抜けたとき、白い満月が見えた。

(あわてるな、オレ! でもどうする?)


「帰らなくちゃ、私」

 やわらかな呼吸が静かに伝わってきた。


「え? どこへ? もう、帰っちゃうの?」

 虚を突かれて、一樹は思考が止まる。


 月だと思っていた白い光が、今、頭上で大きな質量を伴い近づいてきている。

(ユ、ユーフォ―!?!)


「知らなかった……一樹、あなたの精神エネルギーは素晴らしい。伝わってくる。こんなに強い力は初めて……これで私、帰れる」

 少女はサヤカと名乗り、その光の中に吸い込まれていった。


(疲れてんのかな、オレ……ああ、落ちる。体、落ちてくよ~~)

 一樹は気が遠くなっていく。

(死んでもいいや……キミと逢えたから)


 実は宇宙人だったサヤカ。

 彼女は宇宙へ帰ってしまったのか?

 二人の恋は始まったのか終わったのか?

 それすらわからず、二人は離れ離れ。




 明日は独りで目覚めるのだろうか……。


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