或る子供の王国

静嶺 伊寿実

ショートショート『或る子供の王国』

 私は子供をあがめているという、と或る国へ足を踏み入れた。

 その国は砂州が特徴的な小島で、対岸から見ると山がぽっこりと浮かんでいるように見える。この島のどこかにある子供を崇めている神殿を探すことにした。


 倉庫もクレーンも無い小さな港を出ると、すぐ住宅が並んでいた。静かというより寂れている雰囲気も感じられたが、潮の匂いが心地よかった。しかし子供の姿はまだ見えない。

 塩害にさらされているらしいトタン屋根の家々を通り過ぎると、人が居た。初老の女性だ。

「すみません。ここは子供をまつっていると聞きましたが……」

「今どっちの道から行こうか考えてるの、後にして」

「ああ、それはすみませんでした」

 しかし他に人が見当たらない。看板も無ければ地図も手に入れていない。仕方がないのでご婦人を待つことにした。

「こっちから行くとあの家だから嫌いな花が咲いているし、こっちは犬がうるさいし……」

 なにやら大変そうである。

 そこへ中年の男性の姿が見えた。先に話しかけたご婦人には申し訳ないが、どうにも取り込み中なので、男性に尋ねることにした。

「あの、すみません。子供をあがめた神殿があると聞いたのですが、どこにありますでしょうか」

「そんなことより、なんで帽子かぶってないのさ。ここで帽子かぶってない人なんていないべさ」

「ごめんなさい」

 反射的に謝っていた。それほど日差しの強くない季節だと判断して持って来ていなかった。

 そういえば先程のご婦人もこの男性も帽子をかぶっている。まずかっただろうか。けれども無いものは仕方ない。

「ところで神殿なんですけど……」

「あー、もう、どうして居なくなってるわけ。人に聞いといて居ないなんでどういうこと!?」

 ご婦人が大声を出しながら近づいて来た。

「すみませんでした。お取り込み中だったようなので……」

「こんな人をここに入れるなんてどうかしてる。どうしてわたしがこんな目に合わなくちゃいけないの。わたしたちは守られて当然なのに」

「そうだ。帽子もかぶっていないし、おかしなことを聞いてくる、この人は変だ」

「変だ」

「変だ」

 二人は同調してしまった。私は足早に立ち去るしかなかった。

 しばらく下見たまま歩いていると、ひらけた公園の前にさしかかった。道路を挟んだ向かい側もその奥も、一面が公園になっている。

 同じものがいくつも並んでいると思ったが、よく見るとすべり台も幅の広いものからジェットコースターのような高さのあるもの、色とりどりのジャングルジムや木製のアトラクションまで、意匠の凝らされた遊具が次々と目に飛び込んでくる。

 共通しているのは歩道と道路がしっかりとした壁で区分けされていることだけだろう。子供の目線から車は見えないようになっているのかもしれないし、もしかしたら車がぶつかっても歩行者には影響のないくらい頑丈な構造の壁なのかもしれない。


 しかし、肝心の子供の姿が一人も見えない。

 広い公園には無人の小さな汽車が走っているだけである。


 くじらの形をした公園の門の前で、同じ麦わら帽子をかぶった若い女性二人を見つけた。今どこに自分がいるのか分からない以上、思い切って聞いてみるしかない。

「あの、すみません……」

「あー、見て見てお客さん来たよー」

「いらっしゃーい」

 初めて歓迎の言葉を投げてもらえたので、いくばくか安心した。

「ちょっとおたずねしたいんですが……」

「わたしお母さんなの」

「わたしはお姫様」

「まずは写真を撮りましょう」

携帯電話を自分たちの方へ向け、私が逃げる暇もなくパシャリとボタンを押した。エプロンをつけていなければ、ドレス姿でもない、揃いのごく普通のワンピース姿の彼女たちはなおも話を続ける。

「さあさあ、向こうへ行って紅茶を飲みましょ」

「違うよ、まずはビールを飲むんだよ」

 二人は私の腕を引っぱり合い始めてしまった。ちーがーうーと叫ぶ彼女たちの言葉が途切れたところで、声を張り上げた。

「君たち、神殿って知ってるかな」

 二人の動きがピタリと止まった。

「神殿はここを真っ直ぐ行ったところ」

「坂の上にあるよ」

「でも行っちゃいけないんだよ」

「神殿のおかげで守られてるの」

「だから行っちゃいけないんだよ」

 二人の若い女性は坂の向こうと指さしたまま話す。

「わかった、ありがとう。行かないことにするよ。またね」

 そう言いながら私は坂の方へ全力で走った。

 これ以上何かに巻き込まれてはいけないと考えていたものの、地図も持たない身分では人に聞く以外の手段がなかった。

 その後も、靴を左右逆に履く中年女性をやんわりと指摘すれば「これはこうでいいの」と一蹴され、どのような神殿かを若い男性に聞けば「俺の分からないことを聞くお前が悪い、謝れ」と言われたり散々な目に遭いながら、ようやく神殿へ続く坂にたどり着いた。

 そこでこの国へ来て初めての看板を目にした。

「ここは子供のための国。子供のためなら何でもする」

 坂の入り口に置かれた立板たていたにペンキで手書きされた看板は、ぶっきら棒でありながら一切の反論を寄せ付けないすごみを感じた。


 白いタイル張りの坂をがっていくと、一階建ての小さな建物が並んでいた。ドアは通常のものより小さく、子供サイズに建て付けてあり、ウィンドウも子供の目線に合うように低い位置にこしらえてある。窓から見えるだけでも、積み木や人形、模型、漫画、絵本、ゲームなど様々な専門店がのきをつらねている。

 だが、子供はおろか人が一人も居ない。

 どこからともなく霧も出てきて、空も地面も白く染まっていく。ピリリとした緊張感を感じながら、私は坂をのぼって行った。


 大きな鳥居の下に着くと、おごそかと呼ぶ以外無いほどの立派な切妻造きりづまづくりの拝殿があった。

 ここがそうかと一礼をして入り、辺りを見回してみるが人の気配は無い。霧がときどき視界を遮り、人を受け付けていないように思える。

 無礼を承知で境内や拝殿を散策すると、「願いを胸にひとつお取り下さい」の張り紙とおみくじ箱のようなものを境内の端で見つけた。

 もしかすると私の願いも叶うのかもしれない。

 賽銭を入れるものが見当たらなかったが、元々神様に奉納するつもりであった金額を封筒に包んで、そっと横に置くことにした。誰に取られてもかまわない。願いが叶うならそれでいい。

 私は何度も何度も願いを口の中で反芻はんすうして、箱の中に手を入れた。

 幾重いくえにも折り畳まれた紙を手にすると、その場で開く。

 『未来あすの記憶を持たない者をこの国では子供と呼ぶ』

 紙の最初にはそう記してあった。続けて読む。

 『貴方の願いは叶わぬ。貴方の失ったものは取り戻せず取り返せず。しかして十二分に悲しみ、悲しみ終えたら貴方は明日を持てるであろう』

 そんな、こんなところまで来て、やはり駄目なのか。

 私は子を失った。なんとかして生き返らせたかった。どうにかして時間を巻き戻したかった。子供をあがめるこの国なら、もしかしたら一目ひとめでも一言でもまたあの子と触れ合えるかもしれないと思って、そう思って来たのに。

 私の目から溢れた涙は、視界を歪ませ頬をなぞって手や紙や服に落ちた。

 ごめんなさい。

 どうしても会いたかった。

 ごめんなさい。


 私は港から船でこの国をあとにした。

 あの後、さめざめと泣いて誰も居ない境内に人影を求めて、そして誰も居ないのなら自分で涙を拭くしかないと気付き、涙を拭いた後には少しだけ自分の強さが帰ってきたような気がして、拝殿と鳥居に一礼して坂を下った。

 帰り道は誰とすれ違っても特に気にも止めなかった。

 船はゆっくりと島を離れる。

 もしかしたら、神様から見れば私たち人間は子供に見えるのかもしれない、と島を見送りながら神殿のある方へ目を向けた。

 神殿のある山は霧に包まれ、建物すら見えない。私はあの紙を大切にポケットへ仕舞しまった。

 潮の匂い、海の香りを胸いっぱいに吸い込んで、私はもう島を振り返ることはなかった。


―終―

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或る子供の王国 静嶺 伊寿実 @shizumine_izumi

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