はなたれ小僧様と保存食
ずいぶん前にも書いたけど、「はなたれ小僧様」という昔話がある。同じ題のおはなしであっても本によって細かい差異があると思うが、わたしが幼稚園の頃から慣れ親しんできたのは、柳田国男の『日本の昔話』(新潮社)に収録されたバージョンである。
手短に筋を言うと、貧しいおじいさんがある日、龍神の御子だという小僧様を預けられる。毎日「海老のなます」をお供えすれば、どんな願いも聞いてもらえるといい、事実、小僧様は鼻をかむ音とともに、次々と、おじいさんが望むものを与える。たちまちおじいさんは貧しい暮らしを脱し、働きに行かなくてもよくなった。唯一残ったおじいさんの「仕事」は、小僧様のための海老を、町まで買いに行くことだけである。しかしやがて、そのたった一つの仕事すら億劫で仕方がなくなってしまったおじいさんは、ついに小僧様の前に手を付いて、望みは全て叶えてもらったから、龍神様のところへお帰り下さい、と言う。するとどうでしょう。小僧様が立って表に出て行かれるやいなや、ずずうと鼻をすする音が聞こえ、新しい箪笥やらなんやら、小僧様が出して下さったものがどんどん消え失せてゆくではないの。あ、やべぇ、つっておじいさんは小僧様を呼び戻そうと飛び出したが、小僧様の姿は、もうどこにも見えなかったそうな。こうしてそこには、元のあばら屋と襤褸い着物のじいさんだけが残った。
と、そういう内容である。どうですお客さん。では、この話がわたしに訴えかけてくるテーマとは何か。
人間、一度結構なご身分になってしまうと、シマリもガッツもなくなって簡単な仕事すら面倒になってしまう? 悲しいひとのサガだ。身につまされるね。だが正味のところ、そこではない。なんでおじいさんは小僧様に、「なます出して」って言わなかったのか? それを言ってはおしまいである。たぶん既定の禁止事項だったんだろう。お前の願いをかなえてやる、と現れた神様に、わたしの願いを無限に聞いてください、と頼んではいけないのと同じだ。そんなことを突っ込むほどわたしは子どもではない。
そう、もはや子どもではないわたしを捉えたのは、ずばり「現代の一般家庭における冷蔵・冷凍庫のありがたさ」である。日立! 東芝!! 冷蔵庫があれば、じいさんももうちょっとがんばったろう。
いや、それでもじいさんはいつかはメンドーになったかもしれない。だが、「毎日行かなければならない」が例えば「週一でいい」になったらば。かなり楽である。じいさんの残りの寿命をx年とし、頑張れる回数をn回としたとき、それを毎日消費するのと、週一で回していくのでは?(数学っぽく言ってみたが、わたしの力量ではその差を示すための式は立てられない。遺憾である。)
とりあえずわたしが今言いたいのは、週一でやっていっておれば、じいさんは勝ち逃げのごとき格好で、イヤになってしまう前に、億劫になる前に、極楽浄土に召されたかもしれないのである。冷蔵庫・・・! まさに神器とよばれてしかるべき人類の大発明だ。
コロナのあれで極力買い物にも行かないが、そうした生活スタイルが可能なのも、ひとえにウチに冷蔵庫があるからである。もしも冷蔵庫がなかったら。もしもピアノが弾けたなら、ということを想像するときの楽しみ・羨しさ・ブライトネスとは同じ強さの力でありながら方向としてはプラマイが全く逆の、悲しみ・不便・絶望感。なんでもすぐ腐るよね。これからの時季は蟻とか来るよね。作り置きなんかもってのほかやね。でも我々には、冷蔵庫があるのだ!
ああ、これがなかった時代は大変やったやろなあ、想像したくもない、などと安直に思ってしまうわたしだが、さすが、家電がなくてもご先祖様たちには知恵がある。日本各地にはさまざまな保存食作りの歴史があるのだった。
わたしの手元には様々な料理の本がある。そして夜中お腹の空いているところでわざわざこれらの本を読むというマゾヒスティックな行為がやめられない。なかでも好きなのがそうした保存食のレシピ集である。なにそれメンドくせー! な工程を要するものがほとんどだけれども、うまそうで仕方がない。ダメ押しのように「近所の主婦が集まって作ります」などという文言が添えられていたりすると、遅刻・忘れ物・言語コミュニケーション等、多大な不安のあるわたしなどは、
「別にそこまでせんでもいい」
と見るだけで弱音を吐いてしまう(が、それでも鮒寿司が食べられるんなら全力を振り絞るかもしれない。全力鮒寿司)。
三四日、という保存期間のものから、十一月に仕込んで三月まで食べる、なんてものまである。とくに、雪の多い地方は降り込められてあらゆる自由が利かなくなるので、長期保存を眼目にしたものが多い。電気がなくても、ご先祖様は天日に干す・塩で漬ける・発酵させるなどの技術と、天然の冷蔵庫(=外、床下など)で、食べ物を保存してきたのだ。偉大である。
でも、保存というのはあくまでも、食料を長持ちさせる強い意思とセルフコントロールがあって初めて可能になることで、わたしの場合、冷蔵庫があろうが無かろうが、うまかったら食ってしまうような気がする。ていうか多分食う。北海道のニシン漬けなんて、めっさ美味そう。そしたら、なくなったー、とか言って近所に分けてもらわないといけないのか。げ、言語コミュニケーション力が問われるね。そんならやっぱり辛抱して食わずに過ごすのだろうか。いやあ。自信ない。どんどん飯が進むだろう。酒も飲むにちがいない。なんていうかもう、明らかに途中で飢え死にするね。ほんとに、現代人でよかった。
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