成吉思汗誤傳


 いづれの御時にか。白山羊殿より御消息ありけり。黒山羊殿見給はでものし給ひてんげり。ずちなくて御かへりごとなどし侍りける、


   めくるめいて見しやそれをも開けぬ間に吾は喰いにけりぬしのふみかな


 惟光をば召してつかはしたり。例のうるさき御ふるまひと思へど、あるじのおほせなれば、てふてふ、てふてふと催馬楽謡ひつつ出でにけり。


 白山羊殿をたづねありくに、透垣のただすこし折れ残りたるかくれのかたに、けはひありけり。誰ぞと見るに、普賢菩薩の乗物なり。

 惟光、

「主どの、主どの、御鼻のいといたう長きかな」

 といへば、

「さり、さり、吾が母も長くあるかも」

 とぞ、いらへありける。重ねて問へる、

「主どの、主どの、誰をぞおもふや」

 御いらへ、

「あはれ、母上をこそ思へれ」

 となむ。しばしかくうち語らへど、つかひのみちにてまかりたり。


 さるほどに、仔猫にこと問へる検非違使にぞゆきあひたる。「なれの住み処はいづくにや。名は何ぞ」など問へども、いとどしく泣きたり。検非違使、わりなく思ひけむ、心憂げにわんわんわわんとぞ吠えたる。こは柴犬なればなり。

 惟光、さかしらに、

「やよ、そこな八殿、いかがならむ、幼きを我に預くるは。引き具して家をばたづねむ。もののついでなれば」

 検非違使こたへて、

「我が名は八にはあらず、八とはおほかた才がりたる妬きやつこなり。いで、そは便良きことかな。頼み申さむ」

「またいかに、白山羊殿の御すまゐはいづらにや」

 惟光の問ふに、

「いさとよ、西の方となむ、はかばかしくは知らず」

 とて、仔猫の鼻をばうちかませたり。


 かくて仔猫伴ひてゆきゆけり。かの辻、この辻に立ちて、「なれの家は近きや」と問へど、猫、「ねう」とのみなむ。惟光、なでふかかるわざして、かくわづらはしき目をみるらむ、知らぬがほにて過ぎましものをと、やうやう気色悪しうなりゆくに、ふと仔猫の足をぞ踏みにける。猫、大きにおどろきて、いみじう掻きて、そこなる殿のおほひに走りのぼりたり。

「すは、あやしの猫よや、爪をば切らむ。下り居よ、鬚をば剃らむ」

 惟光、いよいよ憎みてをめき、ののしりたり。


 をりしも、そのもとなる対の半蔀二間ばかり上がりて、「こはいかに。何の騒ぎぞ」とて白山羊殿のぞきたり。惟光、「あなうれしや」といふままに、近うさし寄りて、御文奉りつ。「いでいで」と白山羊殿取り給へれば、たちまちに召してんげり。

 「おのれもか」

 と荒らかに突き込みて、憤りのあまりに、洒落ならで、白山羊殿をばはふりたり。桟をわたせる鉄の鍋にて、たまな、もやしなど添へ、焼きて喰ひにければ、「さても旨し」と言ひて、やがていづちなくとも失せにけり。のちに、舟にてむくりへ渡りて王になりぬるとかや。かの成吉思汗とぞ聞こえたるは、惟光がことなり。さればこそ、惟光の喰ひたる山羊がれうりをば、成吉思汗鍋と謂へれとなむ。

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