生きてるだけで歴史的


 桃の節句だったので、女子のはしくれとしてお雛様と飲酒だ! とウィスキーを買いにスーパーに行ったのだが、紙類の売り場の前を通ると商品が全然なかった。本当に。うわあ、これか、と非常に驚いた。買い占め騒動ってやつね。


 わたしは普段からラグビーの中継以外、テレビをそこまで見ない。情報の取得元は主に新聞というアナログスタイルなうえ、毎日ちゃんと読むというわけでもないので、旬の俳優さんだとか、世間の流行に関する知識にむらがある。こないだ、車で岡崎体育のCDを掛けていたら、助手席の母が「誰これ? 玄米、とかなんとかいう人?」と聞いてきたが、

「これは岡崎体育やけど、うーん、多分お母はんの言いたいのは米津なんちゃら、って人やと思うなー」

「あー、そうか」

「なんかパプリカ? とかいうのもその人が作ったらしいで。知らんけど」

「へー」

 てな会話が成立したのも、わたしがどっちかというと「玄米側」に属しているからこそだろう。

 だがそれで困るということはさしてなく、ウォーホルは「NYはテレビの中にある」と言ったが、わたしの感覚としては、テレビの世界とわたしの住む世界とは別物というか、関係薄というか、もっと極端に言うとテレビで云々されていることなんて、半ばは仕込みネタなんじゃないかと思っていたりする。


 製紙の組合かなんかのエライさん?(←すげえうろおぼ過ぎる肩書)が出てきて、トイレットペーパーがなくなるというのはデマです、落ち着いてください、心配ありません、と訴えているところは、たまたま何日か前のニュースで見ていた。買い占めに走ってる人がいる、というのも聞いてはいた。品切れらしいで、とパート先でも話題になっていた。へえ、そうなんやー。都会は大変やなー。と思っていた。他人事として。テレビの中の話として。

 それが、自分の住んでいる小さなまちでも起こっていた。本当に、空っぽの陳列棚を見るといきなり「歴史の目撃者」みたいな気分になった。アホのようだが事実なのだから仕方がない。わたしは大正九年生まれの閣下から「そのとき艦載機が煙を吐きながら山の方に飛んで行って」という類の話を五百回くらい聞いたが、わたしもこの先孫が出来たら「マスクがなくなる言うた次はトイレットペーパーやらティッシュやらがなくなって」とか語るのだろうか。閣下の戦争の話とはスケールが違い過ぎるけど、今回のこともいずれ歴史の一ページとなるであろうことは間違いないように思われる。


 我が「歴史的体験談」として、今の時点で子どもに話してもウケるのは、通信機器の発達に関する事がらである。わたしの世代はちょうど、ケータイの発達とともに成長したような感があるのではなかろうか。だいたい、家電(イエデン)の方だって、最初はダイヤル式だった。年子の兄はそれで110にイタズラ電話をしてその罪をわたしに押しつけた(当時兄五歳。わたし四歳)。

 我が家に携帯電話が到来したのはわたしが小学三年か四年の頃だったと思う。今のとは比べ物にならないくらいものすごく重くデカく、トランシーバーみたいだった。父は昔から無線をやったり、そういうものが好きだったのだ。夏、母兄わたしの三人がグリーンスタジアム神戸でのプロ野球オールスター戦に行くとなったとき、途中でかけてきてみ、と父に持たされた。四回の裏あたりで言われたとおり「もしもーし!」と電話したら、隣に座っていたサラリーマン風の三人組がこちらを見てびっくりしていた。まだそういう時代だったのだ。それから少ししてポケベルである。裕木奈江のやつは鳴らへんねん。それが中学生から高校生の時で、もっと軽く小さくなったケータイそしてPHSも、そのへんから入ってくる。

「なんかな、番号を打つんよ。家の電話から」

「暗号みたいなヤツ?」

「そうそう。11で『ア』やったかな。したら、それが相手のベルに行くと」

 ポケベルのことは説明するのも一苦労である。もうあんなもんはどこにもない。ベル全盛期の当時にケータイかPHSを持っていたのは過保護か一部のヤンキーたちだった。普通の層は持っていなかった、というのは興味深いことである。


 今の子たちは生まれたときからすでにパソコンがありスマホがありインターネットがあり、陳腐な言い草だがSFやな、と思う。ちょっとした待ち合わせやなんかにも込み入った段取り(まずは相手の家に電話することから)を必要とした昔とは、軽く異次元である。

 そういえば、わたしの母方の祖父、伏見のパパはケータイの時代が来る前にこの世を去った人である。母、兄、パパ、ママと一緒に醍醐でやってた見本市か何かに行ったとき、人ごみでパパだけはぐれてしまい、わたしがパパのことを「ソフがマイゴです」と言って館内放送してもらったことがあった。もしもケータイがあったらなかったかもしれない思い出だ。平成という新しい元号の発表も、わたしはパパと近鉄伏見駅のところのイズミヤで見た。それがパパの亡くなる年の、一月のことだった。

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