急いでもないのに
この話も散々したけど、鬼才中島らもの曰く、教養というのは暇つぶしの技術であるらしい。
小人閑居して不善をなす、とはさらに昔の人の謂いであるが、暇を持て余すと余程のじんぶつでもない限り、ロクなことはなさそうである。
塩野七生女史のエッセイで、思想犯(宗教異端者)として投獄された会計士かなんかの男が、持てる教養の全てを駆使して自らの正気を保ち、次第に牢番その他を信用させ、最後は脱獄する中世イタリアの話があるが、何度読んでも感服し、嘆息する。わたしなら二か月以内に発狂して獄中死するね。無芸大食だからな。
暇つぶし、やってみろと言われたら、本も好きだしペンと帳面があればこうしてつまらん文章を書かんでもないが、手ぶらで表に放り出された場合もはやなーんにも出来ることがない。学生の頃、四条のドトールで、向かいの予備校に行っていた友だちのことを何の苦もなく四時間くらい待っていたことがあるが、あんなことが出来たのは手元に本があったのと、学生特有の時空に生きていて慢性的にヒマだったため感覚が麻痺していたからで、日々あくせくしているオバハンになったいま、同じように出来るかと考えたら多分出来ないだろうと思われる。その四時間のあいだに突っ込める用事を全部突っ込こみ、時間を惜しんでなんらかの活動をしてしまうはずだ。そういうのは暇つぶしとは言わないような気がする。暇つぶしというのは、もっと優雅なものであるか、あるいはしゃーなしにするものだろう。
しかしながら、昔アルバイトしていた定食屋さんでも、雨天や冬場極端に寒い日などは客足が遠のいて猛烈に暇になるため、ジャガイモむいて玉ねぎ刻んでカレーを仕込んだり、店の名前が刷られた箸袋に割り箸を入れる内職をしていたのだけれども、暇つぶしのために始めたそれらの作業を、わたしは鬼のようにテキパキやって、とっとと片付けてしまっていた。それどころか、さらなる効率的なやり方を模索し、どんどん進捗させていた。早く片付ければ片付けるほどまた暇地獄になって自分の首を絞めることになるとわかっていても、決してぼちぼちやりましょかー、みたいにはならなかった。
車に乗っても、別に急いでもないのに、目的地までの一番早いルートを探してしまう。毎日が「最短記録に挑戦」である。いうなれば、「目的地に早く着くこと」が目的になってしまっている。着いても当然することはなく、うっかり手ぶらで出ていたりすると途方に暮れる。歩くにしたって、自分は歩くために歩くこと、つまり散歩散策ハイキングの類は全然できない(好きでない)のだけれども、例えば駅から勤務先までとか、目的地あっての徒歩ならば誰よりも早い。先ゆく歩行者を無意味にごぼう抜き。すれ違う人はわたしの残像しか見えない。足音も後から聴こえる。でも早く着いたところでやっぱり全っ然、すべきことはないのである。あるのは「あー、早よ着いた」という達成感ばかり、その達成感とてあまりの所在なさに二分でしぼむ。競歩とかやればよかったかも、とか思うが、実際している人たちからは競歩をなめるな、と怒られそうだし、今気付いたのだけども、問題はひょっとしたら暇つぶしが出来ない云々ではなく、「当初の目的とは違う目的を情熱的に設定してしまう病」なのかもしれない。うわー、頭悪そう。あるいはただのいらち。うーん、どっちも嫌だがいらちのほうがまだマシか。
しかし、ゆったりした大人になるのが夢だったが、もう大人なのに実現されてないし、期限を延長してゆったりした老人になりたい、と願ったところで老人になったらもっと余裕がなくなってるに違いない。件の定食屋でも、お客が混んでて待たせたときに、ぶうぶう言うのはたいがい老人だった。未来が少ないから焦ってんのね、と思って真心込めないお詫びを申し述べていたわたしだったけど、あんなふうになったらあかんのである。これからは全力でゆっくりしなければならないと思っている。その方法をかんがえなくてはと。
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