重いコンダラー
聞き間違い、勘違い、噂、讒言、独断と偏見。
ひとが、実際のところそうではないことをそうだと思い込んでしまうプロセスはいろいろあるが、友達なんかとしゃべっていても、この手の「自分が思てたこと、実はちゃうかった話」というのは下ネタの次くらいに罪がなく、面白いのでわたしは大好きである。
一番上の娘がまだ幼稚園に行っていた頃、
「お母さん、家に帰ったら『年に一度のカミカクシ』見たい」
と言ってきたので、アンタそんなもん、年イチで神隠し遭うてたら五回目くらいからもう誰も心配せえへんでなあ! と爆笑したことがある。
あれ、お父さん今日残業? そういえば帰ってけえへんな。朝は何も言うてなかったけど。アレちゃう? 例の。あ、神隠し? そうそう神隠し。えー、今年は何日かなあ。部長さんにも電話しといた方がいいね。そやなー。去年は二日で済んだけど一昨年は長かったなあ。しかもだいぶ押し詰まってからやったやろ。そうやったそうやった。ひょっとしてもう無いんかと思てたけど、ちゃんとあったなあ。ただいまー。あ、お父さんやで。なんや、今日はちゃうかったんや。
などと、『千と千尋の神隠し』と言いたかった娘の前で、「年に一度お父さんが神隠しに遭う家庭」の小芝居など演じてみたりもしたが、なに、聞き間違いはひとの常である。ことに、圧倒的にボキャブラリーの少ない子どもという生き物は、無限に広がる言葉の可能性を、どうしても自分の持っている小さな網で無理くり掬おうとしてしまうため、思い違いが生じやすい。オバハンになった今そうして我が子を笑っているわたしだって、五歳かそこらの頃は、デンターT(歯磨き粉)のコマーシャルで喧伝されていた「トラネキサム酸配合!」というのを聞いて、
「『とらね木イサムさん』て誰なんやろう……『とらね木』て、珍しい名前やなあ」
と真剣に思っていたのだから大差ない。わたしの頭の中ではもちろん、デンターTにとらね木イサム氏が配合されているのではなく、とらね木イサムが何らかの物質をデンターTに配合しているわけである。むしろ、そんな奇天烈な苗字を考え付くに至るわたしの方がアクロバティック・バカ。なんなら中に無駄に星を入れて、「ダイヤモンド☆ユカイ」風に「とらね木☆イサム」と書きたい。とらね木イサム説は二学年上の兄になぜかウケて、そのとき兄が描いていた四コマ漫画には「虎根木」という表札を貼った家が背景に出てきた。のみならず、わたし自身が兄から虎根木イサムと呼ばれる羽目になった。
そういえば、先週お送りした「欲木」という駄文で、昔(わたしが虎根木イサムだったころ)住んでいた家には柊の生垣があったと書いたが、もうひとつ、玄関と車庫との境目にも、常緑の木で垣が作ってあった。わたしの記憶が確かならば、あの木は恐らく椹(サワラ)だったのだと思う。その近くを通るといつも何とも言えないにおいがして、わたしはずっと、本当に長い間、それをサワラ自体のにおいなのだと思い込んでいた。なんかしらんけど、くっさい木! と。
その後そこからは引っ越すことになり、ずいぶん経った二十歳のときのことである。動物病院の張り紙を見てもらってきた雄の猫を、完全に屋内のみで飼い始めて数ヶ月後、電撃的にあのにおいが何だったのかが判明した。あれは、猫のオシッコ、しかもただの尿ではなくて雄猫のマーキングのにおいだったのである。うわあああ、くっせえ!! とびっくりしたが、それよりもこれはこれはこれはこれはああああのあのあのあの昔の家の玄関前のにおいや!!! ということの方が数十倍も大きな驚きだった。当時もうちには雄猫がいた。いちばんデカかった時点で11kgの目方をほこったトラ猫のタマは、去勢手術も受けさせず(すみません)、いつも近所を悠々とのし歩いていた。あれは、我が家がタマの本拠地であることを誇示する劇臭だったのだ。
誤った思い込みというのは、このように何かのきっかけで自ら気付く以外、余人に指摘される、教示を受けるということでしか是正されず、その機会が得られなかった場合、あるいは機会が得られたとしても本人がそれを拒絶するなどして認めなかった場合には、その思い込みは個人の中で永遠に真実となる。
わたしは昔(もちろん虎根木イサムだった頃だ)、庭に転がっていた素焼きの鉢に土を入れて、前の晩に食べたメロンの種を蒔いたことがある。毎日水をやっていたら、やがて立派な芽が生えて、チューリップの花が咲いた。
うおお、メロンの種からはチューリップが出来る!
不思議な大発見にわたしの胸は昂りふるえた。それなのに夕飯の席でそれを発表しても、大人たちは笑ってちいとも相手にしてくれず、おおいに不服だったのである。
おそらくは閣下が、何も植わっていないと見えたわたしの植木鉢にチューリップの球根を埋めたというのがことの真相なのではあろうが、実際この目で現場を見たわけではないので、いまだにメロンを切って種を取るときには、ほんのほんのほんのちょっとだけ、これを蒔いたらひょっとしてチューリップが、と思う。誤認是正の難しさを示す、一例である。
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