年の瀬に思い出すことあり
しばらく何も書かなかったのはわたしの心情を吐露したいしたいしたい病が治ったからではなく、単にばたばたしていたからである。
実家の父が何十年ぶりに受けた健康診断で、初期の癌が見つかったといって入院・手術の段取りを全部自分でつけてきたのが十月の終わりだった。えー、早よわかってよかったやーん、ちゃっちゃとあんじょう取ってもらいー、なんて、家族も軽いノリで送りだしたのだけれども、術は上手くいったのに予後がよくなくて、一時はまじで葬式の話までするような有様だったのだ。本当に、兄と二人病院の廊下で「お父さんの人生は結構いい人生やったんとちゃうか」「ワールドカップ連れて行ったげといてよかった」などと親とはいえども別の個人の走馬灯を勝手に回してざっくりまとめに入ったりしていたのだが、その後父は幸いにして危ないところを脱し、食事が水臭いとか、嫌いなブロッコリーがしょっちゅう出るとか文句を垂れられるところまで回復した。命が助かったのだから贅沢言うな、ワタイは他人の作ったものならなんでもうまい、と両肩を掴んで説教したいが、しょせん人間はそんなものなのかもしれない。ここでの重要なポイントはわたしが父を応援したりしなかったことである。父が生き永らえたのは間違いなく、わたしがガンバレガンバレ言わなかったからだ。
そんなこんなであっという間にもう師走で歳末で年の瀬になってしまった。バーゲンだってやっている。年々、何かの詐欺かと思うくらい月日の過ぎ去るのが早くなった。
今年もわたしは年越し蕎麦を食べるつもりはない。ここ十年くらい食ってないし、この先も食わない所存である。以下は四年前に配信した駄文の反復になるが、皆様既にお忘れのことと思うので堂々と蒸し返させていただく。
そもそも年越し蕎麦を食べる目的とは何か。
栄養補給が目的ではなかろう。
空腹を満たすためでもない。十九時やそこらにたらふく飯を収めた胃袋が、わずか数時間後にニシン蕎麦、きつねうどん、あるいはにゅうめんを欲するであろうか。
では何のために。
一年を振り返るために食べるのである。
蕎麦を食うことがメインなのではなく、蕎麦を食うことを介してこの一年間の色んなことに思いをいたす、そういう「催し」だということだ。「イベント」、もっと大げさに言うと「儀式」である。
その場に臨む者たちは来し方の営みに思いをはせながら、箸を使いつつ賑やかにああだこうだと言い交わすもよし、しみじみと黙って蕎麦だけを啜るもよし。どちらにせよ、摂取にあたってあまりに長い時間がかかりすぎる食品をこの儀式の進行役に据えるとハナシは間延びし、ややもすれば思い出したくもないあれやこれ、今さら言わなくてもいい不景気極まりない話題を持ち出してしまうというようなことにもなりかねず、そうなれば席に会する人心は止める者もなくささくれ立ち、初日の出を見る前に血を見るなんてことにならないとも限らない。反対に、例えば握り一貫なんてものが供されたとすれば適度な会話の暇もなく一瞬のモグモグのうちにこの式典は終わってしまうのである。また、もし一切の座持ちということを考えず栄養補給を眼目にするのであればポポンSでも飲めばよい。あるいは年越しリポビタンD。でも目的は滋養強壮ではない。一年を穏やかに、平和裡に振り返るに過不足ない時間を計り、それ相応の情緒を与える食べ物、それが蕎麦なのだ。
年越し蕎麦に対してそういう認識を持っていたからこそ、別に心底食いたいというのでもないけれども大晦日には家族そろって長いものを食っていたわたしだった。言わばしゃーなしで「年中行事やからなあ」とやっていた。
ところが、ある年の十二月三十一日、蕎麦でけたで、というわたしの呼び声を聞いて台所にやってきた夫は、あろうことか食卓につかず、ひとり丼鉢を持ってテレビの前に戻って格闘技中継を見続けた。多分結婚して二年目くらいだったと思う。
独り身ならば咳をしても一人、蕎麦食っても一人でいたしかたなかろうが、家族があるならば儀式は全員参加である。これって家族という病? わたしが狂っているのか(←©『御法度』)。でも、ひとつ屋根の下に住むというのはそういうことだ。それをばなんですか。そこの。そこのそこのそこの。
以来わたしはおおつごもりに会同する一族の面々の要望に応じて年越し蕎麦を作りはすれども、自分は食っていない。食わないのか、と聞かれれば、食わないし今までだって食いたいわけでもなかったしもう二度と絶対に死ぬまで食わない、と答えるようにしている。かくてわたしは、この一年を、過去を振り返らない女になった。けどそのわりに根に持つタイプ。おお、アンビバレント。
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