Comin' through



 例えば、朝六時とか六時半とかに起き、日中七時間くらい仕事をして、家族の食事を作り、子どもの送り迎えをし、他にもなんやらかんやら雑務をやっつけ、而してのち、だいたい二十一時前後、風呂に入ってさっぱりしたところの人間を布団に転がして電気を暗くすれば、これはもう寝ない方がおかしいのであって、最終の時点で①極端に腹の立つことがある②ひどく嬉しいことがある③不安に過ぎることがあるなどなどの尋常ならざる精神状態でもないかぎり、まず間違いなくその人物は寝てしまうものだと断言してよい。そしてその人物とはわたしのことである。事態をよりつまびらかにするために付け加えると、布団に転がるのは自分だけではなく傍らには子もまた転がっている。要するに、子どもを寝かしつけているわけである。それが、たいていの場合、子を差し置いてわたしが真っ先に意識を失っている。スピードスリーピング! 気がつけば丑三つ時。


 さすがにわたしも、目が覚めたのが二時や三時だったらそのままもう一度目を瞑って朝まで寝る。仕方がない。

 けれども、上手くして二十二時、二十三時台に意識を取り戻したときは、そこから頑張って起床する。かなり頑張らなければ起床出来ないが、それをする。もちろん挫ける日もあるが、勝率としては七割という高さで、わたしは起床する。歯を食いしばって快適な布団をはねのけ、それまでの睡りを「仮眠」という形に仕立て上げる。なぜそこまでして起きるのかと言うと、そうでもないと時間を確保できないからである。自由時間、趣味の時間。わたしの趣味は主に読書とこの駄文書きで、とくに読書の方は趣味というよりも生きていく運動の一環のようになっているため、子どもの寝かしつけからぶっ続けで本眠に突入、などという潮にのせられてしまった朝は、

「昨日一行も本読めへんかった、一秒も好きなことしてへん」

 という落胆で心中苦々しいことこの上ない。体の一部が死んだような気にさえなる。

 しかしながら反面では、そこまで必死になってすることか? と自分でつっこんだりもする。趣味は楽しんでやるもので、意地になってすることではない。眠いときは寝ればいい。そのまま永眠してもいい。

 だがな、とここでわたしはさらに反転する。趣味こそ意地になるべきものである。釣竿ごと高波にさらわれるという恐ろしい目に遭っても翌週やっぱり磯釣りに出かけてしまう父ちゃん、ツーリングで滑って事故って死にかけてもバイクに乗るのはやめない兄ちゃん、沢登りで道に迷って命からがら帰ってきても懲りずに誘われればアイゼン担いで冬山へだって行ってしまう姉ちゃん、家族の白眼視に耐えながら(いやハナから気にしていないかもしれない)アイドルの追っかけをする母ちゃん、ひとは皆そのことを意識するせざるにかかわらず、ものすごいカロリーを燃焼させながら趣味に邁進するものである。それに比べれば、布団を出て、とりあえず酒を作ってアイドリングしてから目当ての書物の頁を繰る、という程度のわたしの張る意地は知れたものだ。だけども、そのときの、あー、今日も一日えらかった、何はともあれいい日だった、本を読む、読んだら寝る、ありがたいね、という充足感は、筆舌に尽くし難い。


 たしかまだ学生だった昔に読んだ本なのでうろ覚えなのだが、曽野綾子さんがエッセイの中で、「自由とは、すべきことをすることです」という神父さんか誰かのことばを紹介していた。あまりにもテツ学的で難しく、腑に落ちないことばだったため、おお、腑に落ちなかったものはあたまに残る、折にふれ考えてきた。

 べつにわたしは、ご飯を作るのはきらいではないし、子どもも色々面倒だけど面白いこともいっぱいあるし、パートに行くのも決して厭ではないのだから、自分の生活はほんとうに泰平安楽日々上々なのであって、一日ふつか好きなことが出来なかったくらいそれがどうした、と一面では思うのだけど、せめて数行でもいいから眠る前に読みさしにしている本を読みたいとも切実に思っている。贅沢だろうか。贅沢だろう。

 だからこそ贅沢が叶ったときは、こんなに嬉しい。だって贅沢なのだから。そんで、ひょっとして、「自由とは」っていうあのことばは、「すべきことを(したうえで趣味まで満喫)することです」の( )内が省略されてんちゃうんか、と今は思っている。自由だってある程度ヒモ付きの方がいい。無制限のそれの行き着く先は畢竟「自由からの逃走」だと言うでしょう。それにしても、ちょっと端折り過ぎやな。

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