アンダーグラウンド

 昔々、地下鉄ってどこから入れたのか、考えだしたら夜も寝られないという有名なネタで大変な人気があった漫才師がいる。といってもわたしもまださすがにそこまでトシではないので、じかに見たことがあるわけではなく、歴史的事実としてそれを知るのみであるが、後世の人間にこのように語り継がれるくらいだから、よっぽどのことウケにウケたネタだったのであろう。そうよな、そら気になるわなという「あるある」のはしりだったのかもしれない。実際わたしも気になるわ。地下鉄。

 後輩のSちゃんは仕事帰りに必ず地下鉄の窓に映る自分の姿を見て「今日はいけてるかいけてないかチェック」をやります、と言っていたが、もー年が年だからいけてる日はどんどん減ってますね! と苦笑していた。よくわかるわ、わたしも黒い窓に映る己が顔を見て、どこのババアかと思うことがあるぜ。胸が痛い。でもまあ、地下鉄の窓に絶望を教えられるのも今に始まったことではなく、昔、学生の頃、べっぴんさんの奈美恵ちゃんと一緒に乗るのはイヤやったなあ。帰る方向が同じだった奈美恵ちゃんと並んで座って鏡になった窓を見るのは軽めの拷問であった。同じホモサピエンスという存在のはずなのに、パーツ、サイズ、レイアウト、ここまで差があるとはなあ、と逆に感心すらした。生物学的には個体の多様性、ということなのだろうが、社会福祉、人道という観点からすれば、自分はこれもう明らかに弱者なのであるから、保護されてしかるべきなのではないか、なぜ日本政府や国連は手をこまねいているのだろう、守れわたしを! アムネスティも仕事やぞ! と思ったものである。


 わたしは表が見えない分おもんないうえに時としてはそうした拷問まで受けてきたので、ずっと長い間、地下鉄と夜の電車は嫌いだったのだけれども、こないだ知り合いの、パニック障害を持っているお姉さんとしゃべっていたら、お姉さんは「昨日地下鉄に乗って心斎橋まで行けたねんで!」と喜んでいた。具合の悪いときは電車に乗るどころか家から歩いて100メートル離れるのも無理で、不安になってしまってすぐ帰る、とかねがね聞いていたから、よほど調子がよかったのだろう。でも、地下鉄ってその名の通り地の下なわけやし、暗いし、しんどくならへんかったの? と尋ねると、外の景色がどんどん変わる地上の電車の方がしんどい、とお姉さんは答えた。地上の電車やったら目ぇつぶってるねん。でも地下鉄は窓の外がずっと黒やから。ときどき電光の看板が入ってきてびっくりするけど。

 それを聞いて、地下鉄もいいとこがある、と考えを改めた。なにか、わたしの好きなお姉さんを助ける善のもの、というふうに感じたからだ。

 地下鉄の駅にある縦置きの巨大冷房も素晴らしいと思う。夏、灼熱の地上から降りて来てあれの前に立ったときの極楽感。高校の頃もあれの前で仁王立ちになったものだ。今の自分ならやめなさい女子がそんなふうに立つなとたしなめるだろうが、それでもあの気持ちよさは他の何にも代えがたい。あれ欲しいわ。どこに置くんや。

 あと、地下鉄っつたらサブウェイでサブウェイはサンドイッチ屋である。これも学生の頃のことだけど、ずっと、いっぺんサブウェイに行きたいなと思っていて、そんならすぐにでも行けばいいようなもののなんとなく行かなくて、じゃあ何かすっげえ良いことか逆にたまらん辛いことがあったら行こう、と決めたはいいけど結局我が身に起こったのが吉事凶事いずれであっても、程度が甚だしければいやこれサンドイッチどころちゃうわ、アルコールや、となってしまって行かないし、いまいち基準を満たすとは思われない、ということならば「これしきのことで」とやっぱり行かないで、あれよあれよという間にわたしは大学を卒業し、立派なおばはんになってしまった。そんで、今に至るまでやっぱりまだサブウェイには行ったことがない。多分思いを残してわたしはこのまま死ぬだろう。ひょっとしたら化けて出るかもしれない。サブウェイ前に。

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